ガンッと、脳天から電撃に貫かれたような衝撃があった。
「ゼオン?どうかしたの?」
「 ──── っ!!……いま、だれか、オレを呼んだか…?」
会議中だった。百人の子供達は、学校に通いながらも、少しずつ実務に携わるようになってきている。その大事な会議の最中に、ゼオンが椅子を蹴り倒して立ち上がるなど、普段ならありえないことだった。
けれどゼオンは胸を押さえ、震える息を吐き出して、真っ青な顔で周囲を見回した。尋ねられたティオを始めとして、その場の誰もが驚いた顔で、首を横にふる。
いや、誰もがではなかった。
「ゼオン……、いま、私を呼んだのは、お主か……っ?」
ガッシュが、同じように血の気の引いた顔で、胸を押さえ、震える声で問う。いやと、ゼオンは搾り出すようにして答えた。
ちがう。ガッシュにもわかっているはずだ。この場にいる誰でもない。あの声は、あの呼び方は、遠く離れた場所にいるはずの彼だ。自分が間違えるはずがない。
(オレの名を、呼んだのは ──── )
何があった。なぜそんな追い詰められた声で呼ぶ。お前の身に何が起こっている!
「デュフォー!」
「清麿!私の声が聞こえるか、清麿!」
夢を見ているのかと思った。
現実だということも同時に悟っていたが、それでも信じられなかった。
本が。燃えて灰になり、チリ一つ残らなかったあの本が、目の前で光を放っている。
「これ、は……」
見れば清麿の前にも本があった。そのことに、デュフォーは眼がくらむような感覚を覚えた。
清麿の前には赤い本、自分の前には銀色の本。
かつて自分たちは、互いにこの本を持って戦ったのだ。
「本を取れ、デュフォー」
「清麿っ、清麿っ!怪我をしておるのか!ヌゥ、どっ、どうしたらよいのだ、清麿!」
二つの声が、合わさって響く。
冷静な声は揺るぎなくデュフォーの前に立って、その真白いマントが、デュフォーを守るようにひるがえる。
慌てふためいた声は清麿の傍らに座り、その怪我を癒そうと、必死で清麿の体から流れ出る血に手を当てている。
「…………ゼオン?」
「ああ」
「…………これは、夢か?」
ちらりと、ゼオンが振り返った。鋭い眼差しに射抜かれて、デュフォーはぱちぱちと瞬く。なにを怒っているのだろうか。夢だというのに優しくない。いや、夢ではないことはわかっているのだが。
びりっと、無造作に、ゼオンが己の服を破く。それをデュフォーに手渡すと、すぐにまた前を向いてしまう。デュフォーはとりあえず、もらった布で止血をして、銀色の本を手に取った。
それから、ゼオンの背中をぼうっと眺める。
ゼオンが振り向かないのは、敵を見据えているからだ。怪我人の治療よりも、敵の殲滅を優先する。最終的には、その方が早く助けられると判断して。
(ああ、ゼオンだな)
ぼうっと、真っ白な背中を眺めた。叶うことなら、いつまでも見ていたい。これを見惚れているというのだろうか?わからないが、幸せだ。痛みの全てが吹き飛ぶほどに、幸福が胸を占める。
「いけるか、デュフォー」
「オレは問題ないが、お前はいいのか……?王の試練は終わっている。この世界で力を使って、お前は大丈夫なのか」
何か代償を払う羽目になりはしないだろうか。そう考えて尋ねれば、ゼオンはわずかに肩を震わせた。
「馬鹿げたことを気にするなッ!……心の力に問題がないなら、本を開け」
ゼオンの声にも、体にも、雷を纏った怒気が膨れ上がっている。あっけに取られているデュフォーの前で、ゼオンは厳かに宣言した。
「ジガディラスを呼ぶぞ。誰一人、生かしては帰さん」
「ええい、落ち着け、ガッシュ!セット!」
条件反射でガッシュが前を向く。が、すぐに体が元に戻ってしまう。瞳はすでに潤んでいて、手は力なく清麿に縋りつく。
「清麿、清麿、まずはここを離れるのだ。ここはどこなのだ!?日本ではないのか!?どうして清麿がこんなにボロボロなのだ!ウヌウ、許さぬ!許さぬぞ!!あっ、ダメだ、清麿は動いてはダメだ、怪我をしておるのだぞ。すぐにお医者さんへ行かねば!ここはどこなのだ!?お医者さんはどこにいるのだ!?どうしてあやつらは、清麿を攻撃するのだッ!!」
「だーかーら、落ち着けっつってんだろうが!!」
ごつんと、ガッシュの頭に拳骨を落としてやる。心配したり怒ったりと忙しかったガッシュも、久しぶりの鉄拳には頭を押さえてうずくまった。
「まったく、お前は……。再会の余韻もなにもないな!」
何やら格好良くデュフォーの前に立っているゼオンを見習って欲しい…と、少しだけ思ったが、これがガッシュなのだと、清麿はすぐに思い直した。
これがガッシュだ。落ち着きがなくて、頼りなくて、感情がそのまま顔に出る。
自分の大切な、世界で一番頼りになる、とびきりの相棒だ。
「ウヌウ…、清麿、会えて嬉しいのだ」
「ああ、オレもだよ」
「嬉しいのだ。とてもとても嬉しいのだ。嬉しくて泣きそうなくらい嬉しいのだ。だが、だが…っ、清麿が…こんなに怪我をして……痛そうで、苦しそうで、私は悔しくて、我慢ならなくて、泣きそうなくらい怒っているのだ!」
「ああ、わかってる。……とりあえず、この場を切り抜けようぜ。手を貸してくれるんだろ?」
「ウヌウ、当たり前なのだ!聞くまでもないのだ!」
赤い本を腕に抱いて、清麿は静かに微笑んだ。
ガッシュがいて、自分がいる。それだけで、どんな相手だろうと負ける気がしなかった。
ジガディラスとバオウの合わせ技はやりすぎだった、とのちに清麿は語った。
デュフォーは同意の頷きを返したが、金と銀の双子は揃って首を横に振った。
手ぬるいくらいだ、と吐き捨てたのはゼオンであり、あのくらい当然なのだ!と拳を握りしめたのはガッシュである。
長期入院を余儀なくされた二人の傍で、双子はしばらく怒っていた。
あんまり怒り続けるので、「お前ら、帰らなくていいのか?」と清麿がたずねたが、揃って「帰り方がわからない」と返された。どうやって人間界に来たのか、双子たちもわからないらしい。
しかしその割に慌てる様子もなく、その時がくれば帰れるだろうと鷹揚な構えだ。
ガッシュは激しく怒りながらも、久しぶりの清麿を満喫する気満々だし、ゼオンはゼオンで、影で何やら動いている様子ではあったが、デュフォーに何も説明せず、問いかけにも答えず、備え付けのパイプ椅子に腰掛けて林檎をウサギの形に剥いていたりする。
べったべたに甘やかしておるのう、と評したのはガッシュだが、そのガッシュも清麿に林檎を剥いてもらっていたりするので、大差はないだろうとデュフォーは思った。
「平和だな……」
ぽつりと呟けば、紫電の眼差しが柔らかく微笑んだ。
「散歩でも行くか?」
「……いや」
「いい天気だぞ?オレが車椅子を押してやるから、たまには花でも愛でるといい」
ゼオンにしては珍しい言葉だ。デュフォーがまじまじと見つめると、彼はコホンと咳払いして、「ガッシュの受け売りだがな」といった。
なるほど、とデュフォーは隣の空のベッドを見た。昨夜からいそいそと天気図をチェックして、朝食後はウキウキと出かけていった二人は、今日は遠出してピクニックにでもいったのだろうか。花を愛でるという習慣のないデュフォーは、毎回二人の誘いを断ってしまっている。
「……ゼオンが行きたいなら、付き合うが」
そういえば、ゼオンが困ったような、たしなめるような顔になった。
「オレではなく、お前の希望を聞いているんだ」
「オレはゼオンを見ていたい」
「 ─── なに?」
デュフォーはじっと紫電の眼を見つめて、かすかに微笑んだ。
「オレは、花よりも、お前を見ていたい。オレの大切なお前を、ずっと見ていたい。お前が帰ってしまうまで、お前だけを見ていたいんだ、ゼオン。……ダメか?」
「おまえ……。デュフォー、いいか、もう少し言葉を選んでだな……」
「伝わらなかったか?」
「伝わった!十分伝わったが!くそ、十分すぎるぞ ── っ!オレとて ─── 」
ふいにゼオンの腕が、デュフォーの体に回った。そうっと、壊れ物を扱うように抱きしめる。
頬と頬を摺り寄せて、はあっと熱い息を吐き出して、ゼオンがいった。
「オレとて、お前を見ていたい。本当は ─── お前を攫ってしまいたい。お前を魔界へ連れ帰って、オレのものにしてしまいたい。そんなこと、叶うはずもない夢だとわかっているのに ─── っ!」
「ゼオン……」
「デュフォー、頼むからもっと自分を大事にしてくれ。いつか必ず、オレはお前を迎えに来る。お前を魔界へ連れて行く。その力を手に入れてみせる。だから…、その時まで、息災でいてくれ」
「……ああ」
「約束だからな?」
「……わかった」
頷きを返すと、紫電の眼差しが柔らかく溶けた。
それを見て、デュフォーの唇にも微笑が浮かぶ。やはり、花よりもゼオンの方がいい。許されるなら、永遠に彼を見ていたい。それが、叶わない願いであると知っているけれど。
ちなみに。
ピクニックから帰ってきたガッシュが、拳を振り上げて、「何がなんでも絶対に、多少の無茶を通してでも、清麿を魔界にお持ち帰りするのだー!」と叫ぶのは、その数時間後のことであった。
お持ち帰りされるのはそう遠くない未来のことだと思います。