前々から察してはいたことだが。
ゼオンはなにか勘違いしている、と、デュフォーは思った。



左胸の名前



かつてデュフォーにとって生きる基盤はゼロであり、肉体が生きているから積極的に死のうとはしないだけという、精神的には死んでいるような状態だったが、それは過去の話だ。
今のデュフォーにとって、生きることの基盤はゼオンにあった。ゼオンやガッシュや清麿や、他のさまざまな人や魔物との係わり合いの中にあった。
ゼオンは別格で、清麿とガッシュは特別で、そのほかの魔物や人間もそれなりに大切である。特にゼオンとガッシュと清麿は、デュフォーにとって永久不動の位置にいる。
傍にいたいと思うのはゼオンだが、だからといってガッシュと清麿がゼオンより下に来るということもない。デュフォーにとって、三人には等しく存在してもらうことが大切なのだ。三人のうちの誰かが欠けても困る。特にガッシュと清麿の二人は、自分も困るが、なによりもゼオンが困る。
ガッシュ自身を失うことはいうまでもないが、清麿を失って嘆くガッシュを見ることとて、ゼオンにとっては酷く辛いだろう。考えるだけでも、こちらの胸まで痛んでくる。不思議なほどに。
ゼオンが辛いのは、デュフォーには困るのだ。ゼオンの幸せは、デュフォーの幸せに直結している。だから、彼らの代わりになるなら、いつ命を失っても構わない。
なぜなら、それが最も自分が辛くない『答え』だからだ。

だから、ゼオンは勘違いしている。
自分は昔のように「いつ死んでも構わない」と思って毒を呷ったわけではない。
毒入りだとは、わからなかったのだ。とは、まったく、推測すらしてもらえないのは、ゼオンが自分のアンサートーカーとしての能力を信頼しているからだろうが、こうなっては喜んでいいのかどうか。

あの酒に毒が仕込んであることは、一目見た瞬間にわかった。
まあ、そういう出方もありえるだろうと思っていたし。
自分が傍にいるときでよかった。清麿も警戒していたが、普段はアンサートーカーとしての能力を封じている彼には、見極めることは難しかっただろう。
それになにより、宰相である彼が毒を指摘すれば角が立つ。
だから自分が飲んで見せたのだ。



「ゼオン……」
「安静にしていろ」
手を差し伸べようとしたのに、動きを察したゼオンに、すぐさま押し留められる。
先ほどからずっとこんな調子だ。正直にいうとベッドの中はもう飽きた。
だが、そんな言葉は、口に出すまでもなく、ゼオンの瞳を見るだけで消えていく。
雷帝の眼だ。かつて、自分たちが人間界にいたときと同じ眼だ。
ゼオンを修羅の気性だと評したのは、彼の父親だったか。デュフォーはそんな風には思わないが、あのころと同じ眼をされると、胸が痛んで苦しくなる。不思議なほど。
「……清麿を、危険に晒すわけにはいかないだろう…?」
「あとで、同じ台詞を奴にもいってみるがいい。激怒させても、オレはフォローしてやらんからな」
もっとも、すでに十分怒らせているがなと、ゼオンが皮肉げに笑う。デュフォーはため息をついた。
「オレは、約束を破ってはいない」
「ティオと薬師が口を揃えてなんといったか聞きたいか?駆けつけるのがあと十秒でも遅かったら、お前の墓を立てる羽目になるところだった」
墓など立てる必要はない…といったら、本気で怒らせるだろう。そのくらいはデュフォーにもわかった。
「……ゼオン、落ち着け。清麿に何かあったら、陛下が苦しむだろう。陛下が苦しめば、お前も辛いだろう?だから……」
言葉を区切って、デュフォーはゼオンを見上げた。ゼオンは冷たいほどに無表情で、デュフォーはそっと目を逸らした。
「だから、オレが代わるのが、一番いい方法だ。……そうだろう?」
ゼオンは、しばらく何もいわなかった。だからデュフォーは、化物とも評された頭脳をフル回転させて考え込んだ。
なぜ、こうなってしまうのか。目を開けて一番に見たものが、ゼオンの憔悴しきった表情であるとか、一番最初に聞いたものが、ゼオンの悲痛な呼び声であるとか。そんなものを見せられたら、辛くてたまらなくなるのに。そんなものを見ないために、一番良い方法を選んだはずなのに。
この自分が、答えを間違うなど。ありえないことだ。おまけに『どうしてこうなってしまったのか?』に対する答えも見つからない。
アンサートーカーとは、あらゆる答えを瞬時に出せる者ではなかったのか。遠い昔に自分を閉じ込めた研究者は、嬉々としてそういっていたはずだが。まさかあれは嘘だったのだろうか。びっくりだ。嘘が見抜けない自分にもびっくりだ。
デュフォーの思考が斜めに脱線しかけた頃になって、ようやくゼオンが口を開いた。
「お前は……」
ゼオンの両手で、両頬を撫でられる。いやこれは、押さえ込まれているのか。真っ直ぐに見下ろしてくるゼオンから、目を逸らせない。こんなことをされなくても、もとより逸らす気もないのに。
「お前は、考えなかったのか?」
形は問いかけだったが、声は断定していた。
「お前を失うようなことがあれば、オレがどれほど苦しむか。考えなかったのか」
紫の眼が、激情に歪んだ。
「お前を失っても、オレは平然としていると思っていたのか」
「いや、少しは悲しんでくれるだろうと思っていたが……その、二、三日くらいは」
途端に部屋中に放電が走ったので、何かを間違えたことはすぐにわかった。しかし一度口にした言葉を消すことは、いかなデュフォーでも不可能だ。
くっと、ゼオンが唇をゆがめて微笑む。目は全く笑っていないのに、どうして笑い声を立てられるのだろうか。ゼオンは不思議だ。しかもなんだか、恐怖を感じるのは気のせいだろうか。
「……ゼオン?」
「そうか、二、三日か…!くくっ…、いや、よくわかった、デュフォー」
「なにが、わかったんだ…?」
 恐る恐る尋ねれば、ゼオンはめったに見せない程の、輝かしい笑顔でいった。
「お前が何もわかっていないことがわかったといったんだ、この大馬鹿者めが」
バカはない。その他もろもろの非難は許容範囲だが、バカだけはない。アンサートーカーである自分を愚かだといえる者など、魔界中探したっていないはずだ。
だが、デュフォーは反論しなかった。というよりは、できなかった。アンサートーカーとしての能力とは別の場所 ── おそらくはかろうじて残っていた動物的な本能 ── が、今のゼオンに逆らうなと声高に叫んでいたからだ。
「お前は、わかっていない」
ゼオンの指先が、そっとデュフォーの髪を梳く。壊れ物を扱うような、繊細な手つきで。
「陛下が苦しめばオレも辛いだろうだと!?ああそうだな、辛いな!清麿に何かあれば、ガッシュもただではすまん。気が狂うような思いをするだろう、今のオレと同じようにな!お前を傷つけた者どもを皆殺しにしてやりたいと、世界を呪うだろうな!それが、どうしてわからない ───っ!オレがお前を、誰よりも、 ── していると……」
叩きつけるような声だった。なのに指先だけは、優しいままだ。
「ゼオン……」
「約束を守れ、デュフォー。オレはお前が何をしようとたいがいのことは許してやるが、約束をたがえることだけは許さん。次にこんなふざけた真似をしたら、アンサートーカーであろうと決して破れぬ結界の中に閉じ込めてやる。お前ならわかるだろうが、オレは本気だからな?」
「ゼオン、オレは、約束を破ったつもりは……」
「言い訳は聞かん。覚えておくことだな、お前の死はオレの精神を殺す。オレを殺す覚悟があるなら、死んでみるがいい」
「 ──── バカなことをいうな。お前を、そんな…、オレはお前の助けになるためにいるんだ」
ふっとゼオンの眼が和らぐ。指先が、頬を撫でた。
触れるだけの優しい口づけの後で、ゼオンはいった。
「ならば、二度とこんな真似はするな。ほかの手を打つ事もできたはずだぞ」
「それは考えたが、清麿に危険が及ぶ可能性があった。オレは一番リスクが少ない手段を取っただけで…」
「オレを殺したいか」
「……………」
「オレを助けてくれるのだろう?」
「ああ……」
さらさらと、ゼオンの指がデュフォーの髪を掬う。撫でられているような心地良さに目を細めると、二度目の口付けが降りてきた。
「……デュフォー、頼むから、約束だけは守ってくれ」
破ったつもりはないとは、もういわなかった。ゼオンにとって破ったことになるなら、そうなのだろう。このパートナーは、間違ったことはいわないから。

ゼオンは自分の心臓。自分の命。愛するということの全て。生きるということの意味。
それを守るための死なら、それは生きるということに等しいのではないか。
だから「生きる」という約束は、破っていないと思ったのだけれど……どうやら違ったらしい。
けれど一つだけ、ゼオンはやはり勘違いしている。
たとえ自分がどれほど愚かで、物知らずであったとしても。
─── ゼオンが自分を愛してくれていることだけは、ずっと前から知っているのだ。









 デュフォーの未来イメージは、”ゼオンが大事すぎてときどき間違う人”です。両想いな割にすれ違うのは、デュフォーの中でゼオンの比重が大きすぎるからじゃないかな。