あぐらをかいたターレスの、膝の上に座れといわれて、ボクは思わず後ずさった。
「なに恥ずかしがってやがる。全身で感じた方が覚えが早いんだ、さっさと来い」
「そ、それはそうだけど、でも…!」
「悟飯。方法を選べる立場か、お前は?」
 冷ややかに笑われて、ボクは泣く泣くターレスの膝の上に座った。ターレスの太い腕がボクのお腹に回って、ぎゅっと抱きかかえられた。うう、恥ずかしい。この年になって、後ろから抱っこされることになるとは思わなかった。トレーニングルームの端で寝そべっていたダイーズも、にやにやとこっちを見てる。あははは、どう考えても変だよね、この体勢!
 ……泣きたい。




 とはいえ、ターレスの指摘通り、ボクは手段なんか選んでいられないので、大人しく彼の腕の中に収まった。うーん、ターレスの顔が近い。
 人肌がくっついて、気持ちいいような悪いようなだし、ターレスの息が首にかかってくすぐったい。でも、なんだか、昔を思い出すな。お父さんもよく、こうしてボクを膝に乗せてくれたっけ。まあ、あの頃はまだ小さかったからな。
「悟飯」
 お父さんとは違う声だ。耳にするだけでホッとするような、暖かさも力強さもない。あるのは、誘うような甘さと、その奥に潜む残酷さだけだ。
「この部屋は特別製なんだ」
「傷が付かないんでしょ?ラカセイに聞いたよ」
 ターレスは、低く笑った。
「それもあるが、それだけじゃない。この部屋の壁は、シールドと同じ性能を持っているんだ。わかるか、悟飯?お前がここで気を解放しても、誰にも気付かれないのさ。オレと、ダイーズと、お前だけの秘密だ」
 甘い声が、耳元で囁く。ターレスはいったい何をいっているんだ?ボクにそんな力がないことくらい、彼にもわかっているはずなのに。
「お前は自由だ、悟飯。この部屋の中でなら、お前は自由でいられるんだ。誰の目も気にしなくていい。お前がどんな力を秘めていようと、オレは歓迎するぜ。なぁ、悟飯。オレはおまえの味方だ」
 警鐘が鳴り響く。高らかに、力強く、ガンガンと、狂ったように。ボクは、ボクは、何かを間違えたのかもしれない。
 逃げないと、逃げないといけない。だめだ。ここにいては駄目だ。ボクは、
「辛かっただろう?ずうーっと、自分の力を抑え込んできたんだな。わかるぜ、お前は強くあってはいけなかったんだ。簡単に殺せるくらい弱くなくては、意味がなかった。そうでなくては、お前を人質に取った王家は、安心できないからなァ」
「ターレスッ!!」
 知っていたんだ、知っていたんだこの男は!
 ボクは全力で暴れた。ターレスの腕から抜け出そうと、容赦なく拳をふるった。だけど、その全てがやすやすと、彼に抑え込まれてしまう。拳は分厚い手のひらに握りつぶされ、ばたつかせた足は、逆に彼の足に押さえ込まれた。まるで標本にされる虫のように、体の要所要所を抑え込まれて、ボクは呻いた。くそ、そうか、この体勢はそのためか!
 新しい修行なんかじゃない、これはボクを逃がさないためだ。張り巡らした蜘蛛の糸に、最後の一息まで獲物を捕らえておくためだ。駄目だ、駄目だ、逃げないと!
 この男の話を聞いちゃいけない。これは最後の毒だ。獲物を貪るための、最初で最後の甘い薬だ。駄目だ。聞いちゃいけない。捕まっちゃいけない。この男はボクを食うつもりだ。ボクの全てを奪うつもりなんだ。
「そう、暴れるなよ、悟飯。オレはおまえの敵じゃない、味方だ」
「ふざけるな!!」
「わかっていないな、お前は。今オレの手を離せば、お前を導ける者は誰もいなくなるんだぞ。いいのか?このまま一生弱いままで、クズみたいな戦闘力で、誰もお前に見向きしないままで、それでいいのか?」
「黙れよ!ボクはそんなこと、どうだっていいんだ!」
「ああ、わかってる。お前はいい子だ。王家に飼い殺しにされたって、大人しく従ってきたんだものな。自分の力を抑えてまで!すごいぜ、そうできることじゃない。でも残念だなぁ、お前は自分の力を殺しすぎて、いつの間にか、力の出し方を忘れちまったんだ」
 いうなりターレスは、ボクの心臓の上に手を置いた。
「うあァ!!はっ、あっ、あーっ!!」
 手のひらから放たれた強い気に、心臓が焼けただれるような痛みが走る。体を弓なりに反らせて呻くボクの耳元で、ターレスが甘く囁いた。
「本当に残念だぜ。このままじゃお前は、永遠に自分の力を取り戻せない」
 そこでターレスは言葉を切った。低い笑い声が、ボクの背筋を凍らせる。
 ああ、いうな、いわないでくれ、お願いだから!ボクは父さんを信じてる、信じて、いたいんだ。
「お前の弟は、たった七歳でスーパーサイヤ人になったっていうのになあ」

 ぎしりと、何かが軋む音がした。
 いつの間にかたまっていた涙がこぼれ落ちて、視界が霞んでいく。
 ダイーズ、よかった、お前は知らなかったんだ。だからそんなに驚いた顔をしてるんだ。

「悟飯、サイヤ人なんて冷たいもんだぜ。力がないやつには見向きもしない」
「おとう、さんは…、違う…!!」
「違わないさ!強い相手を求めるのが、サイヤ人の習性だ。カカロットはお前の弟に夢中だ。たった七歳でスーパーサイヤ人になれる自分の息子が、どこまで強くなるのかワクワクしてる。もう一人、自分に息子がいたことなんて、すっかり忘れちまってるかもなあ」
「そんなことない!お父さんは、お父さんは…っ!」
「かわいそうだが、仕方ないのさ。戦闘力がたったの5じゃあな。王宮の人間だって、もう誰も、お前を気にとめないだろう?なぁ、悟飯。このままでいいのか?力を押し殺したまま、父親にも忘れられ、弟だけが愛されて、お前は一人惨めに生きて死ぬんだ。それでいいのか?」
 誰か、誰か今すぐボクの耳を焼いてくれ。この男の言葉を聞かずにすむなら、ボクはこの先の一生を無音の世界で過ごしたって構わないから。
「力を解放してやれ!お前は強くなれる。オレが、強くしてやる。王家のヤツらなんか気にするな。誰がなにをいってこようと、オレがお前を守ってやる。オレはおまえの味方だ、悟飯」
 毒が、血管を通って全身に流れていく。
 これはターレスの毒なのか、それともボク自身が抱いていた毒なんだろうか。
 ああ、きっと、ボクの毒だろう。ターレスは、ボクが隠していた望みを、さらけ出しただけだ。
「さぁ、気を高めろ」
「やめて…くれ…、ターレス…」
 制止の言葉は、果たしてボクの口からちゃんと出たのだろうか。
 ぎりぎりと、軋む音が聞こえる。ボクの体中に巻き付けた鎖が、浮かび上がってくるような気がした。
「その調子だ。上手いぞ、悟飯」
 どうして、どうしてこんな男が、お父さんに似ているんだろう。耳元で、毒を流し続けるこんな男が。
「怖がらなくていい。オレが傍にいるだろう?大丈夫だ、力を解放してやれ」 
「たー、れす…!」
 涙で霞む視界の中で、必死になって振り返り彼を呼んだ。もう限界だった。あと一歩進めば、全てが壊れてしまうとわかっていた。鎖の軋む音が、悲鳴のように響いていた。
 ターレスは、今までで一番優しく、ボクに笑いかけていった。
「いい子だ、悟飯。”おとうさんも、きっと褒めてくれる。”そうだろう?」

 喉を走った絶叫は、ボクのものだったんだろうか。
 鎖が、砕けていく。
 全ての戒めが壊れてしまう。ああ、でも、もういいのか?ターレスのいうとおり、ボクはもう、弱くある必要はないのか?本当に?
 血が沸騰する。心臓が早鐘を打って、手も足も微かに震えている。だけど、全然いやな気分じゃない。気持ちいい。お酒でも飲んだみたいだ。
 今ならなんでも出来そうな気がする。体中に力が溢れて止まらない。湧き水のようにこんこんと、力が流れ出てくる。

「………ターレス」
 ボクを押さえつけていた手はなくなっていた。気のコントロールに苦心しながら、ゆっくりと振り向く。彼は立ち上がり、そしてその大きな手で、ボクの頬を撫でた。
「……泣くな。もう終わりだ。これ以上はなにもしないさ。だから、泣くんじゃない」
 嘘つきだ。あなたは本当に嘘つきだ。ボクが、今ここであなたに刃向かったら、あなたは躊躇なくボクを殺すくせに。
 涙を止められなかった。だってひどい。嘘つきで、冷酷なくせに。ボクを利用することに、なんの罪悪感も抱かないくせに。
 ──── なのにどうして、この人の手はこんなにも優しいのだろう。








 たぶんあと三話くらいで終わると思います。