人質を返すという話が決まりかけたことは、一度だけある。
ボクが王宮へ上がって、三年が過ぎた頃のことだ。何があったのかは知らないけれど、ベジータ王子もスーパーサイヤ人になれたのだ。
王子は即座に、僕を解放することを要求した。プライドの高い人だ。ライバルに対して人質を取っているという状況は、耐えがたい屈辱だったのだろう。だが、結局それは叶わなかった。同等の力を手に入れただけでは、不安な人の方が多かったからだ。
あのときボクは、帰りたいとはいわなかった。本当は、すごく期待していた。これでもう、帰れるんじゃないかって、興奮で寝付けないくらいだった。だけど、子供のボクにもわかるくらい、王宮の中は張りつめていた。だからボクは、とうとう一言も話さないまま、帰れないという決定を迎え入れた。
もしあのとき、泣きわめいて、帰りたいと叫んでいたら、こんな事にはならなかったんだろうか?
ダイーズが、不安そうな顔でボクをのぞき込んでいた。
「……おはよう…」
「早くねえよ!夕方だよ!それもお前が倒れてから一晩経ったあとの夕方だ、このバカ!」
怒鳴りつけられて、ようやく頭が起きてくる。あぁ、そうか、ここはターレスの宇宙船だ。ボクはあのあとすぐに、気を失ったのか。
「あれ、でも、この部屋にベッドなんてあったっけ…?」
体中の軋むような痛みに耐えながら、上体を起こして尋ねた。いつの間にか柔らかい布団にくるまっていたけれど、見回せば、ボクは相変わらずトレーニングルームにいた。
ダイーズはそっと、ボクから視線を外した。
「ターレス様が、運んできてくださったんだよ。お前を、この部屋から出すわけにはいかねえからって。別に、閉じ込めようとした訳じゃないぜ!?そうじゃなくて、お前の気を隠しておけるのが、この部屋だけだから…。お前、自分の状態わかってるか?」
「…うん、だいたいは」
長い間閉じ込めていた力がいきなり溢れ出したから、体中が悲鳴を上げている。まるで風邪を引いたときみたいに、熱っぽくて、節々が痛かった。おまけに気の制御がほとんど出来なくなってる。まるで、温泉の元にでもなった気分だ。指先から、爪先から、喉元から、全てから力が流れ出ている。
「一週間もすれば体が慣れて、気のコントロールも出来るようになるだろうって。だから、それまでは大人しくしてろよ」
「……ターレスは、なんて…?」
ダイーズは、珍しく弱々しい目をしてボクをみた。なんだか申し訳ない気持ちになる。ターレスもターレスだ。最初から全部話しておけばいいじゃないか。ダイーズの信頼を誰よりもわかっているくせに、どうしてこんな簡単に踏みにじるんだ。
「ダイーズ、ボクは大丈夫だよ?ターレスがなにか企んでることくらい、最初からわかってたから。わかってて、ここに来てたんだから、これはボクが招いたことだよ」
「悟飯」
ボクの言葉を遮るようにして、ダイーズがいった。
「お前、オレたちと来いよ!楽しいぜ!一緒に、色んな星を旅するんだ。お前の好きそうな、変な草も動物も、宇宙にはごろごろいるんだぜ。図鑑を眺めるだけじゃなくて、本物を触りたいっていってたろ!?絶対気に入るって。ターレス様だって、お前に目をかけてるから力を引き出そうとしたんだよ!そりゃサイヤ人だから、たまにおっかねー時もあるけど、でも、仲間には優しい人なんだよ」
「……うん、そうだね…」
ターレスは、自分のものには優しいだろう。彼は、そういう人だ。気に入ったものは、自分のものにするか壊すかの二択しかない。自分のものにならないならば、存在することを許さないような人だ。
曖昧に言葉を濁したボクの肩を、ダイーズが掴んだ。迷いを振り切った目で、ボクを見る。
「オレたちと来いよ、悟飯。お前は面白いし、いいヤツだ。それにオレのスカウター、最新モデルだったのに、お前が気を解放したらぶっ壊れたんだぜ?すげえよ!な、オレたちの仲間になれよ。それが絶対にいいって!」
ボクは、何かいおうとして、それがなんだったかわからないまま、再び倒れた。
体力の限界だったらしい。強い眩暈に飲み込まれるようにして、ボクの意識は夢の中へと渡っていった。
ボクの弟は、悟天、というそうだ。
会ったことはない。王宮には連れて来れなかったからだ。でも写真はみせてもらった。
小さな悟天は父さんによく似ていて、それだけでボクは心が温かくなるようだった。
弟が生まれてからというもの、ボクは母さんの話を聞くのと同じくらい、弟の話を聞くのが楽しみになった。父さんたちと会える日は、一日中二人の話をせがんだ。
だから、ボクは結構よく、悟天のことを知っているのだ。いつからハイハイを始めたかとか、初めて喋った言葉は「らで」で、叔父さんを覗く家族中を号泣させたとか(叔父さんだけは嬉しそう胸を張っていたが、すぐにお祖父ちゃんに殴られていた)
小さな悟天、ボクは、キミに会える日を心待ちにしていたんだ。
なのにどうして、ボクはこんなに臆病になってしまったんだろう。
悟天と、ベジータ王子の息子であるトランクスが、スーパーサイヤ人になれるのだという事実が発覚したのは、ボクが十六歳の誕生日を迎えて一ヶ月が過ぎた頃だった。
初めて二人がスーパーサイヤ人になれたのは、もっと前のことらしい。ただ二人とも、父親が出来ることだから、誰にでも出来ることだと考えていて、特に騒がなかったそうだ。すごいというかなんというか、話を聞いたときは思わず脱力した。
王宮の関心は二人に向かって、ボクはすっかり空気のような存在になった。初めはよかった。監視されることもなくなって、自由に王宮を抜け出せたし、スーパーサイヤ人になれる弟が誇らしく思えた。だけど、すぐに影が差し込んできた。
弟とは反対に、ボクはとても弱かった。体術のトレーニングは毎日欠かさずに続けていたけれど、押し殺し続けた力はすでに、自分自身でもどこにあるのかわからなくなっていた。いや、そもそも、そんなものが本当にあったのかさえも。
戦闘力がたったの5しかないボクを、お父さんは見放さないだろうか?
そんな怖ろしい考えが浮かんできて、否定しても否定しても、それは隙間から入り込んできた。
お父さんがボクを見捨てるはずがない。そんなことを考える時点でどうかしている。お父さんを信じてないのか。だとしたら裏切っているのはボクの方じゃないか。お父さんがボクを見放すはずがない!──── だけど、本当にそうか?
毎日傍にいる子供と、一年に一度しか会わない子供。自分の力を受け継いでスーパーサイヤ人になれる子供と、サイヤ人の恥と呼ばれるような無力な子供。どちらが可愛いかなんて、考えなくてもわかることだ。お父さんが、ボクより悟天の方が大事だって、それは仕方のない事じゃないか。力のないボクが悪いんだから。
ボクは頭を振った。違う。力があるとかないとか、どちらがいいとか、そういうことじゃないんだ。大切なことは違うんだ──── わかっているのに。どうして本当に大切なこれは、ボクの指の隙間から、力なくこぼれ落ちていってしまうんだろう。
だからボクは、強くなりたかった。強くなれば、信じ続けることができるはずだった。ボクは、ボクの心の弱さを振り払うために、力が欲しかった。だけど、力を取り戻してしまった今になって、ボクはわかってしまう。
あぁ、やっぱり、大切なものは力ではなかったのだ。
今すぐお父さんに会いたい。会って、あの笑顔を見たい。そうすればボクの不安なんて、たちまち溶けて消えるだろう。お父さんに会いたい。でも、会えないんだ。
──── 結局、ボクは寂しいのだ。もう長い間ずっと、寂しくて寂しくてたまらなかったのだ。だから不安になるんだ。信じたいのに、信じ切れない。だって確かめる方法なんてどこにもない。一年に一度会えるだけじゃ、ボクはもう、不信を抑えきれない。
信じていたいのに。なにが真実かなんて、本当はわかっているのに。
だけど寂しさは心を蝕む毒だった。今のボクは、誰よりも弱いだろう。だからターレスの手を取ってしまったのだ。あの人が温かかったから。
ターレスは容赦のない人だ。他人を利用することを何とも思わない人だ。だけど、ターレスはボクを必要としてくれる。彼に利用されるだけ利用されて、最後には殺されても、たぶんボクは悲しいとは思わないだろう。ボクはきっと満足している。だってあの人の手は、とても温かいから。
ああ、なんてイヤな事実だろう。
決していい人とは言えないのに、ボクはターレスが好きなんだ。
どうしようもなく飢えていた温もりを、あの人はくれた。だから好意を持ったんだ。なのに、今はもう、それだけじゃなくなってしまっている。
ターレスのいったとおり、一週間後には体はだいぶ回復していた。
体中の痛みは消えて、眩暈もなくなっていた。なにより、自分で気を抑えられるようになっていたので、ボクはベッドを片づけて、ターレスの部屋へ向かった。
トランクスはブルマさんの子供です〜。CCは宇宙規模の大企業ということでお願いします(笑)