背の高い建物が作り出す、濃い影の中でも、ボクがこの人を見間違うはずがなかった。だけど、
「どうしてここに!!」
 叫んでしまってから、ボクはハッとした。慌てて周囲の気を探る。よかった、聞こえなかったみたいだ。誰も近づいてくる気配はない。ボクは声を押し殺して叫んだ。
「どうしてここにいるんだよ!追われてる身だろう!?」
 ターレスは、いつもの長い外套すら身に纏っていない。ボクは彼の腕を掴み、背筋を凍らせた。手のひらに、ぬるりとした感触があった。
「怪我して…っ!?戦ったのか!じゃあ、みんなが探してるのは…ッ!」
 なんてことだ。探されているのは、この人だ。
 どうする、考えろ、どの道なら警備が薄い?どの抜け道が一番人目につかない?どうしたらこの人を安全に逃がせる?ああ、くそ、駄目だ、パニックになるな!こんなところで気を解放したら最悪の結果になるんだぞ!
 きつく奥歯を噛み締めると、ターレスがボクの頭をぽんぽんと叩いた。
「落ち着け」
「落ち着けるわけないだろ!!だいたいどうして、なんでこんな所にいるんだよ!」
「決まっている。返してもらいに来たのさ」
「え…、ボク、何か借りてたっけ…?」
 ターレスが、バカにしきった目でボクを見た。
「なにをボケてやがる。お前だ、お前」
「……ボクは、行かないっていっただろ」
「悟飯、言葉は正確に使えよ?行かない、じゃなくて、行けないだろう?」
 ボクは顔を上げて、ターレスを見た。そこには、一週間前のあの冷たさはなかった。いつも通りの、人を食った笑みを浮かべて、ボクを見ていた。
 行きたいけど、行けない。その通りだ。だからこそ、ボクは行けないのに。
「でなければ殺しているところだが、そういうことなら、手を貸してやってもいい」
「……殺していいよ。ターレスが、わざわざこんな所まで来てくれただけで、ボクは十分嬉しいから。でも、それでも、ボクはターレスとは行けない」
 あと三ヶ月待って、それから追いかけようかとも思ったけど、ターレスはそんなに気の長い人じゃないだろう。だから、欲しいというならボクの命をここであげる。どうしたって、ボクは今すぐ一緒に行くことはできないから。
「……本当に、手のかかるヤツだな。わざわざ自分で自分を雁字搦めにして、まったく、気が知れないぜ」
 ターレスはボクの頬に手を伸ばして、ぴたりと動きを止めた。
「ターレス?」
「ここにいろ!」
 命令するなり、ターレスは飛び出していってしまう。どこに行こうっていうんだ。下手に動いたら、すぐに見つかってしまうのに。ボクは慌てて後を追おうとして、足に急ブレーキをかけた。
 一瞬前までは何の気配もしなかった空間に、まるで魔法のように現れた人がいたからだ。
「あれ、悟飯?」
「──── おとうさん!!?」
 そっくりな顔をしているけど、ターレスじゃない。間違いなくお父さんだ。
 お父さんは、きょろきょろと辺りを見回して、首を傾げた。
「おっかしいな〜。ここだと思ったんだけどな。なぁ、悟飯、オラに似たヤツ見なかったか?」
「お、おとうさんに、似た、ひと、ですか…?」
「ああ。オラにそっくりなヤツが、暴れてるらしくってさ。ベジータに捕まえて来いっていわれたんだけどな〜、おかしいなぁ。ここにそれっぽい気を感じたんだけど、違ったのかな?」
「い、いえ、ボクは…」
 何も見ていないと答える前に、近くで気が爆発した。ターレスだ、誰かと戦っているのか!?
「あっちか!よし、オラ行ってくるから、おめえは早くここから離れるんだ。どっか安全なところに隠れてろ、いいな!」
 いうなりお父さんは飛んでいってしまった。どうしよう。どうしよう!
 ターレスはお父さんには勝てない。あの人は決して弱くないし、王宮の警備兵くらいなら楽に勝てるだろう。だけど、お父さんとターレスではレベルが違う。お父さんが本気を出せば、一瞬で勝敗は決まってしまうだろう。ターレスだって、それはわかっているはずなのに!
 ボクは建物の中に入り、階段を駆け上った。5階に行けば、南棟と西棟をつなぐ渡り廊下がある。ボクは息を整えることもせず、無我夢中で渡り廊下へ繋がる扉を押した。軋む音を立てて、重い扉が開いていく。
 徐々に差し込んできた光が、視界いっぱいに広がると、そこには青い空が見えた。歓喜の声を上げているような、力強い夏の空だ。
 ボクは眩暈に耐えて、目をこらした。青空の中に、見知った影が三つ見えた。
「ターレス!!」
 ボクは叫んでいた。ターレスとの繋がりは伏せておこうと決めていたのに、もう、そんなことは考えていられなかった。
 ターレスの前には、お父さんと、ベジータ王子がいた。どうしよう、どうしよう、どうすればいい?事態の恐ろしさに震えが走った。奥歯が噛み合わず、歯がガチャガチャと鳴る。お父さん一人だって勝てる見込みはないのに、ベジータ王子までいたら逃げることすら敵わない。
 ボクが、ボクが囮になれば、あの人が逃げる時間くらいは稼げるだろうか?
 バカな、ダメだ、なにを考えてるんだ!そんなことをすれば、お父さんの立場はどうなる。ボクに肩入れしてくれていた、ベジータ王子の立場だって!
 でも王子は、あと三ヶ月といっていた。準備はすでにできているとも。王は老年だし、いくら王子との間に諍いがあったとしても、他に王の血を引く息子はいないんだ。ベジータ王子が即位すれば、この程度のことで、足を掬われたりはしないだろう。それに王子はああ見えて、お父さんと仲がいい。お父さんの力を誰よりも認めている。息子のボクの罪を、お父さんにまで負わせるような真似はしないはずだ。
 よせ、バカなことを考えちゃダメだ!ボクには責任があるんだ。人質として、ボクは役目を果たさなくちゃいけない。自分で決めた事じゃないか!これまでずっと我慢できたんだ。残りはたった三ヶ月だ。ボクはボクの責任を ──── 。
「三ヶ月待ったら、ターレスはいないじゃないか!!」
 今ここで動かなければ、あの人は死んでしまう。神精樹の種を盗んだ罪は重い。王子が自ら動くほどだ。捕まれば間違いなく、あの人は殺される。
 ボクは腹の底まで息を吸い込み、深く吐き出した。全身の震えは収まっていた。
「うああああああああ!!」
 絶叫とともに、気を爆発させた。廊下のタイルがめくれ上がり、大気が重さを変える。重力が逆を向き、空気は互いを潰し合う。ボクの力は、いったいどれくらいあるんだろう。力そのものはターレスより強いけれど、お父さんとベジータ王子相手にどこまで凌げるかはわからない。
 それでも、ボクは、ターレスを守りたい。ボクの気持ちより、責任より、ボクにはあの人の命が大事なのだ。ああ、もう、最低だ。これが、恋は盲目ってことなのかな?
 ターレスは、ボクの全ての鎖を引きちぎってしまった。



 ターレスに向かって放たれた気功波をはじき返し、ボクは彼の前に立った。
 お父さんは驚いて攻撃の手をとめたし、ベジータ王子なんて信じられないものを見る眼でボクを見た。
「悟飯!?おめえ、なにやってんだ?」
 あえて答えないで、ボクは周囲を探る。お父さんたちの邪魔にならないようにと考えたのか、他の兵達の気は遠かった。
 お父さんとベジータ王子は、まだスーパーサイヤ人になっていない。ラッキーだ。ボクは、お父さん達から目を離さないまま、わずかに後ろを向いた。
「ボクが引きつけるから、その間に逃げてくれ」
 ターレスの答えを待たずに、ボクは飛び出した。まだ驚きから抜け出せていないベジータ王子の懐に飛び込み、手のひらに作った気功波を押し当てる。王子が吹っ飛んだ隙に、ボクはお父さんの後ろに回った。
 だけどやっぱり、お父さんは反応が早い。
「悟飯!どうしちまったんだ!?」
「……ごめん、なさい…、おとうさん…!」
 肘を止められて、ボクは体を捻る。攻撃しながら謝ったって仕方ないのに、謝らずにはいられなかった。ごめんなさい。それでもボクは、ターレスに生きていて欲しいんです。
 脇腹を狙った右足は、逆に捕らえられてしまって、ボクは慌てて距離を取った。さすがはおとうさんだ。ボクじゃ相手にならない。だけど、お父さんから攻撃をしかけてくる様子もない。そりゃあそうだよね。いきなり自分の息子が攻撃してきたら、誰だって驚くよ。
「……悟飯、きさまァァ!!」
 うわぁ、王子が青筋立ててる。もう戻って来ちゃったのか。どうしよう、湯気がでそうなくらいに怒ってるよ。
「なんのつもりだ!今さら遅い反抗期だとでもいうのか!きさまな、今さら反抗するくらいならもっと早く逆らいやがれ!この腰抜けが!」
「い、いえ、ボクは…」
「なんだ、おめえ、反抗期だったのか。なんだそっかあ、よかったよかった。反抗期がこねえって兄ちゃんが心配してたからな、今日はお祝いだな」
「違います、おとうさん!ぜんぜん違いますから!でも叔父さんに心配かけてごめんなさい!あっ、でも、反抗期っていうのは祝うものじゃないですよ!」
「そーなんか?」
「そうです」
 頷くと同時に、後ろに気配を感じで僕は振り返った。
「ターレス!なんで逃げてないんだよ!?」
「…お前のボケた性格は、カカロットの遺伝か」
 ターレスはやれやれというように首を振ると、ボクを正面から抑え込むようにして抱きしめた。
「なっ、なんだよ!?ターレス!?」
「オレを選んだな?」
「そんなこといってる場合じゃないだろ!?」
 もがいたけれど、ターレスの腕は外れない。触れ合った肌から機嫌の良さが伝わってきて、ボクはそれだけで身動きが取れなくなる。
「いっただろう?手を貸してやると。少し黙っていろ。きれいな結末を、用意してやる」
 いったい、なにをいってるんだ?ターレスは右手でボクの頭を抱え込むようにしているから、ボクは顔を上げることさえできない。どうする気なんだ。
「──── どういうことだ」
 王子の、静かで、偽りを許さないような厳しい声が聞こえた。
「きさま、悟飯に何を吹き込んだ?」
「何も吹き込んじゃいないぜ、王子さま。ただ少し、ここをいじらせてもらっただけさ」
 そういってターレスは、ボクの頭をとんとんと叩いた。
 なんて嘘をつくんだ。そんなの、お父さんが信じるはずがないじゃないか。お父さんと話しているときのボクは、紛れもなく正気だった。お父さんにはそれがわかっているはずだ。
「悟飯の、頭を、いじった?」
 お父さんの静かな声がする。無理だ。信じるはずがない。
「ああ。そういえば、これを返せといっていたな?いいぜ、返してやるよ」
 ターレスの手の中で燃やされたものが何なのか、見えなくともわかった。神精樹の種だ。持ってきていたのか。
 ターレスは灰になった神精樹の種を空中にばらまくと、低く笑った。
「その代わり、コイツはもらっていくぜ。神精樹の実よりもずっと、オレの役に立ちそうだからな」
「きさま、状況がわかっていないらしいな。悟飯を連れていくだと?できると思うか!」
「待ってくれ、ベジータ」
 臨戦態勢に入った王子を止めたのは、意外なことにお父さんだった。
「ターレスっていったな、悟飯の力を引き出したのはおめえか?」
「へえ、力に気づいていたのか。だが、その割にはずいぶんと、放っておいたんだな。てっきり見捨てたのかと思ったぜ」
「……それは、おめえが思ったのか?それとも悟飯が思ったことか?」
 びくりと体が震えた。ターレスの右手が、ボクを宥めるように軽く動く。
「くくっ、さすが、スーパーサイヤ人になれるだけのことはある。頭も悪くないようだな。いいぜ、教えてやるよ、カカロット。そこまでわかってるなら、オレの言葉の意味も理解しているだろう?そうだ、すべてお前の想像しているとおりさ」
 まるで謎かけのような言葉に、お父さんは何もいわなかった。王子も気を下げてしまう。
 どうしよう、ボクだけか?ターレスのいってる意味がさっぱりわからないのはボクだけなのか!?
 さっきまでとは違う意味で焦ったとき、微かな機械音が耳に入ってきた。同時に、ターレスの拘束が緩まる。なんとか顔を上げると、青空が黒く潰されていくのが見えた。ターレスの宇宙船だ!
「来たか…」
 宇宙船はボクたちの真上で停止すると、機体の真ん中がするすると開いていった。
 ターレスはボクを抱えたまま上がっていく。機体に触れられるほど近づいたとき、お父さんたちの気がようやく動くのがわかった。やっぱり、そう簡単に逃げられるはずがないよな。
「ターレス、離してくれ!ボクが囮になるから!」
「黙っていろといっただろ」
 ターレスは低く囁いて、お父さんたちへ向き直った。
「じゃあな、カカロット。せっかく舞台を作ってやったんだ。せいぜい有効活用してくれよ?」
 最後の最後までよくわからないことをいって、ターレスとボクは宇宙船に戻った。
 お父さんたちが追ってくる様子は、なかった。



 宇宙船に入った途端、ボクはターレスを押しのけて窓へと走った。
「悟飯、おまえ、いい度胸してるじゃねえか…」
「この船はシールド張れるんだっけ!?なに座ってるんだよ、ターレス!どこから追っ手が来るかわかんないのに!!」
「人質がいるんだ、追っ手が来るわけないだろう」
「人質?人質なんてどこにいるんだよ!」
 ターレスは、呆れ顔でボクを指さした。人を指さしちゃいけません、というか、ええ!?
「はあ!?なにいってるんだよ、ボクのどこが人質だよ」
「お前を洗脳して仲間にして攫ってきたんだ。十分人質だろ」
「でも、洗脳された覚えがないよ?」
 ボクが首を傾げると、迎えに来ていたダイーズが吹き出した。
「おまえ、なんのためにオレがあんな見え透いた嘘をついてやったと思ってる。お前が望んで仲間になったわけではないという見せかけを、作ってやったんだぞ」
 ターレスは、イヤそうにいった。
 そうか、そういうことか。ボクはようやくターレスの言葉の意味に気付いた。
 お父さんはわかっていたんだ。ボクが心からターレスを守ろうとしていることを。だからこそ、洗脳されたという嘘を受け入れてくれた。
 それなら、追っ手はこないだろう。ボクという人質がいる限り、追っ手を出さなくてもベジータ王子が責められることもないはずだ。なんといっても、ボクを長年人質にとっていたのは、ほかでもない王家なのだから。
「……神精樹の種を、あんなに簡単に、燃やして…」
 燃やすべきものだった。だけど、そういうことじゃないんだ。ああ、なんていえばいいんだろう。この人が支払った代償と、嘘と、ボクの内側から込み上げる愛しさを、なんといえばいいんだろう。
「…ボクが飛び出してくるって、わかってたのか」
「わからないと思うか?」
 ターレスは甘く笑って、ボクの腕を引いた。
「…思わないよ」
 結局ボクは、この人の手からは逃れられない。責任と、ターレスの命を秤にかけられてしまえば、ボクに選択の余地はない。わかっていて、この人は自分の命を危険に晒したのだ。
 ひどいと思う。だけど、幸福感が胸を満たしている。他のすべての鎖を引きちぎっても、この人と手をつなぐことを願ったのはボクだ。

 ターレスの腕も、唇も、温かかった。入り込んできた舌は、ぞくりとするほど甘くて、この人はこんな時まで甘いのだと思った。
 経験がない訳じゃない。城下町で、そういう店に入ったこともある。だけど、ターレスの触れ方は何もかもが違っていて、この人の指が肌をなぞるだけで火傷をしたみたいに熱かった。
 それなのに甘い。鎖骨に軽く歯を立てられただけで、体中がおかしくなる。ボクはターレスの頭を抱え込むようにして、服の下に入り込んできた指先に耐えた、そのとき。
 ドアが勢いよく閉まる音がした。
 ボクはぎしぎしと首をひねり、ドアの向こうへ消え去った姿を悟って悲鳴を上げた。
「うああああ、ダイーズ、待ってよ、ちがう、違うんだー!!」
「悟飯、おまえな…!ここまで来て逃げるか…!」
「いや逃げるんじゃなくてダイーズがああ!!」


 とりあえず、ボクは、全力でダイーズを追いかけた。
 その後のことは、ええっと、そうだね。


 それは、永遠に秘密だよ。








 終わったー!!長かった!ここまで読んでくださってありがとうございました!
 最後はちょっとだけエロに走ろうかと思ったんですが、最後の最後で読んでくださってる方をドン引きさせてはいけないので、やめておきました(笑)
 めざせ愛るけなノリでしたが、少しでも楽しんで頂ければ嬉しいですv
 できればあと一話、悟空&ベジータサイドの番外編を書きたいなーと思ってます。