幼い赤ん坊を腕に抱き、ブルマはしっかりとした足取りで歩いてきた。
目をあわせられないでいる悟飯の隣に腰を下ろし、悟飯と同じようにパオズ山からの景色を眺めた。
ブルマは、落ち着いていた。少なくとも、自分のように、父の石を見ただけで崩れ落ちてしまうことはなかった。彼女はずっとそうだった。動けない自分を瓦礫の下から救い出してくれたときも、目が覚めて、いわなくてはならない事をいえずに、喉を震わせたときも。
しっかりとした声で、大丈夫よと、わかってるからといってくれた。そう、強い声で。
それでも、彼女はとうに知っているのだ。ベジータが、どこにもいないということを。
「怪我は大丈夫?薬は効いてる?」
「はい。大丈夫です…。薬も、よく、効いてます」
よかったと微笑むブルマに、悟飯もぎこちなく笑みを返した。
ブルマの腕の中の赤ん坊は、すやすやと眠っているようだ。どちらかといえば母親に似ていて、優しそうな顔立ちをしている。
悟飯は横目でそっと赤ん坊を見つめて、また、視線を足元へ戻した。
「悟飯くんにね、お願いがあってきたのよ」
「なんですか?」
瞬いて、悟飯はブルマを見上げた。彼女の頼みなら何でも引き受けるつもりだったが、次の瞬間、告げられた言葉に悟飯は絶句した。
「悟飯くんに、トランクスを鍛えてほしいの」
声もなく、悟飯はただ、ブルマを見つめた。鍛える?自分が?
だれも守れず、大切な人を、愛しい人たちを、みんな失ってしまった自分が?
もはや立てなくなってしまったこの心で、このボロクズのような手で、いったい何ができるというのか。
「ブルマさん、ボクは……」
「お願い。この子を強くして。いつか、あいつらにも勝てるくらい、この子を強くしてやって」
一呼吸置いて、彼女はいった。
「この子が、生きていけるように」
ぽろりと、涙がこぼれた。
生きていけるように。この世界で、トランクスが、生きていけるように。
悟飯はこわごわと、赤ん坊に手を伸ばした。小さな指と、小さな爪に、そっと触れる。壊れずにあることが奇跡のような、その小さな手に。
この子が、君が、生きていけるように。
命があった。悟飯の目の前には、まだ幼い、けれど温かな命があった。生きている温もりに、悟飯は堪えきれず嗚咽した。生きている。君は、まだ、生きている。
大切な人は、みんな遠くへ行ってしまった。もう戻ってきてはくれない。おかえりなさいも、ただいまも、どこにもない。
それでも、この子は、生きている。
自分が、守るべきものが、まだちゃんと生きて、ここにいてくれる。
悟飯は顔を覆った。泣いてはいけない。瞼をきつく閉じて、嗚咽を堪えようとする。泣いていてはいけない。自分は、強くならなくては。もう二度と、だれも失わないように。
それでも、涙はとどまる事を知らずに、次から次へと溢れて、歯を食いしばっても、すきま風のような息が通り抜ける。忘れられることはないだろう。この悲しみも、痛みも、きっと何回夜が明けても、この身に留まり続けるのだろう。それでもいい。
辛いのも、苦しいのも、自分は覚えたままでいい。このままで、それでもきっと、歩いていける。
君がいる限り。
悲しみの上に、花を咲かせよう。二度と会えなくともいい。みんなみんな、大好きだ。辛いことばかりではなかった。自分がどれほど大切にされていたか、どれほどたくさんの幸せに満ちていたか、たとえこの顔が涙で汚れていても、胸を張って、みんなを誇ろう。
自分は本当に幸せだった。今だって、けっして、不幸ではない。二度と会えなくたって、この気持ちも、思い出も、きらきらと光を放っているのだから。
(だから、大丈夫だよ)
涙をぐいと拭って、悟飯はもう一度、赤ん坊の指に触れた。
「大丈夫だよ、トランクス」
そして、ブルマを見上げて、泣きながら笑った。
「大丈夫です、ブルマさん。ボクが、強くなって、必ず人造人間たちを倒しますから」
「悟飯くん……」
トランクス、君の生きる世界が、どうかたくさんの幸福に満ちたものでありますように。
君が苦しまなくてすむように、悲しまなくてすむように、自分のようにたくさんの素敵な人と出会えるように。
(ボクが、必ず強くなるから)
小さな手をそっと握って、悟飯は囁いた。
「ありがとう、トランクス」
大切なものをボクにくれて、ありがとう。
悟飯は、暗闇の中で目を覚ました。
何か、夢を見ていた気がする。悲しいけれど、優しい夢を。
(なんだった……?)
しばし考え込んで、悟飯は頭を振った。ダメだ、思い出せない。
そんなことよりも、戦いに集中しなくては。
見渡す限りが、瓦礫の山だった。自分はまた、気を失っていたのだろうか。まったく、なんというザマだ。早く体勢を整えなければ、すぐに奴らがやってくる。
(奴らって?)
不意に脳裏にはじけた疑問に、悟飯は目を瞬かせた。自分は何を考えているのだろう。人造人間たちのことに決まっているではないか。あいつらを倒して、 ── を守らなくては。
(守る?何を?)
頭の中に黒い霧が漂っているような不快感に、悟飯は頭を振った。まったく、何を考えている!守るのは、決まっているだろう、守るのは ──……。
(オレは、何を守ろうとしていたんだ……?)
何を?守る?何から?悟飯は頭を強く振った。そんなこと、後で考えればいい!今は戦いが先だ。奴らを倒してから、ゆっくりと思い出せばいい。きっと、思い出せるだろう。
悟飯は迷いを断ち切るように、力を解放して、叫びを上げた。自分はまだ戦える。だから、ここに来い。あの子には、指一本触れるな ─── !
そして、巨大な力を感じて駆けつけた先で、悟飯は息を呑んだ。
そこには、自分がいた。
孫悟飯が、こちらを見ていた。
続きます。あと3話くらいで終わりかな。
あと、言い訳をしてしまうと、悟飯はチチの事は守ろうとしていないとかでは全くなく、ただ、チチは『受け入れてくれる人』であって、『奮い立たせる人』ではないんじゃないかなと。例え悟飯が諦める事を選んでも、責めずに肯定してくれるのがチチで、叱り飛ばすのが悟空なんじゃないのかなと。
後書きで付け足ししちゃいけないのはわかってるんですが、悟飯がチチを大切に思ってないとかじゃ全然ないんだよ!とだけは言っておきたくて…!本文の中に入れる力量がなくてごめんなさい(ガクリ)