砂糖水



 どこで道を間違えたのだろうか。

 彼にはわからなかった。
 この期に及んでも、彼には答えが見つからなかった。
 彼の目の前で、小さな背中を晒す少年は、血の繋がりでいうならば彼の孫だった。とはいえ、彼には家族愛などというものはなかった。それは彼だけではなく、彼の種族全体がそういう性質なのだった。
 サイヤ人にとって、肉親であろうと、戦友であろうと、等しく他人であり、等しく敵であった。
 血以外の繋がりというものを求めたのは、幼子だけだった。その子供は、彼の息子が、弟のもとから攫ってきた子供だった。
 うまく育てれば、使えるようになる。そういったのは息子だったが、彼には興味がなかった。彼の関心は常に、彼自身の強さにのみあった。息子であろうと、孫であろうと、幼くあろうと、親を求めて泣き出そうと、どうでもよかった。
 彼の姿を一目見た幼子が、「おとうさん」と悲鳴じみた声をあげて、駆け寄ってきたときも、彼はただその小さな体を、無造作に足蹴にしただけだった。
 顔が似ている。そんなことは遺伝子上の問題だ。下級戦士の形質は限られている、それだけの話だ。
 それでも面影を求めずにはいられなかったのは、幼さと、甘さゆえだったのだろうか。
  子供は懲りなかった。足蹴にされても、腹を殴られても、顔を踏みにじられても、それでもなお、彼の傍によって来た。彼の姿を認めれば、犬ころのように近づいてきた。瞳にははっきりと怯えの色があるのに、指先は震えているのに、彼に暴力で答えられるたびに絶望の色を濃くするのに、それでも。
 父親と似ている彼の容姿だけが、ただ一つの繋がりなのだとでもいうように。
 息子は、地球を滅ぼしたといった。地球という星はもうどこにもなく、全ては塵に変わり、まだ幼く見込みのある子供だけを、連れて帰ってきたのだと。子供も当然、それを知っていた。息子は何度も、子供に繰り返しそう言い聞かせたからだ。地球は滅んだ、カカロットは死んだ、お前の家族はどこにもいない、お前の故郷はどこにもないのだと。
 それでも、子供は、サイヤ人として生きようとはしなかった。息子の言葉を黙って聞きながら、目の端には未練が滲んでいた。万が一の可能性を捨てきれないのだと、縋っているのだと、一目でわかった。
 子供は彼を、初めて会ったとき以外、「おとうさん」とは呼ばなかった。かといってほかのどんな名前で呼ぶわけでもなく、ただ彼の顔を見れば近づいてきて、殴られてはうずくまり、会話もないままに日々は過ぎていった。
 いつか、子供は諦めるだろうと思っていた。
 それがどんな形であれ、いつかは絶望が子供を打ちのめす日が来る。その後で、子供が死を選ぶか、あるいはサイヤ人としての生を選ぶかはわからなかったが、いずれにせよいつかは諦めると思っていた。
 子供が大事そうに抱えている未練や、甘さや、希望が、手の施しようもないほどに歪み、壊れる日が来る。

 ……ずっと、そう思っていた。

 なのに、気がつけば、諦めたのは彼のほうだった。
 子供のひたむきさに負けたのは、彼のほうだった。サイヤ人としての形質を歪ませ、破壊し、小さな手に触れることの意味を理解してしまったのは、彼のほうだった。
 独りで生きて、独りで死ぬ。そのサイヤ人としてのプライドに、ひびを入れ、例外を作らせたのは、子供のほうだった。
 たぶん初めは、ただの好奇心だった。繰り返し彼に痛めつけられていた子供は、そのたびに力をつけた。それは紛れもなくサイヤ人の特性で、気がつけば子供は、誰に戦いを教えられたわけでもないのに、多少の暴力では意識を飛ばす事もなくなっていた。
 彼は、あるとき、ふと気が向いて、子供にいったのだ。「構えろ」と。子供はきょとんとしていた。何をいわれたのか理解していない顔だった。それもそのはずだ。彼はうっとうしい子供に暴力で答えることはあっても、言葉で答えたことはなかった。ただの一度も、どんな言葉も、罵声すらも、子供に与えたことはなかった。
 彼は淡々と繰り返した。「構えろ」と。幻聴を疑うような顔をしていた子供は、ロボットのようにぎくしゃくと手足を動かして、構えた、つもりのようだった。それは戦士である彼から見ればあまりに酷く、構えたとは到底いえないものであった。なんとなく手を前に出してみただけとしか思えなかったし、事実そうであったのだろう。彼の息子は、攫ってきた子供に一応の世話は与えていたようだったが、戦いを教えている様子はまるでなかった。子供のあまりに甘ったれた性格に、戦士には向かないと早々に見限っていたからだ。ならばなぜそんなガキを浚ってきたのかと、彼は呆れてもいたが、性格を抜きにすれば、それなりに見どころはあるかもしれない。戦いのイロハは何も知らずとも、彼から受けた暴力の分だけ、確実に強くなっていた子供を見て、そのとき彼はそう思った。

  ─── その日から、彼と子供の間に長くあった暴力は、修行という名前のものへと変わった。

 彼の顔を見るなり子供が飛んでくるのは相変わらずだったが、彼はそれに、暴力のみで答えることはなくなった。もちろん容赦などしなかったし、以前よりひどい怪我を負わせる事もたびたびあったが、それでも子供は嬉しそうだった。彼が言葉で説明するたびに、子供はひどく幸せそうな顔をした。
 顔が同じで、血も繋がっているのだから、声もさぞ似ているのだろう。彼は、子供が自分に何を見ているかわかっていた。わかっていたが、どうでもよかった。そんなことよりも、確実に上がっていく子供の戦闘力だけが楽しかった。
 子供は彼を名前で呼ぶようになった。修行の間に、子供がもじもじしながら「おじいちゃん」と呼び、彼が容赦なく殴り飛ばしてから、子供は彼をほかの者たちと同じように名前で呼ぶようになった。「年上なんだから呼び捨てには出来ません」などと寝言をほざいていたが、さんざん地べたを味合わせてやると諦めたようだった。まったく、「バーダックさん」など、首筋がぞわっときてたまらない。仲間連中にからかわれるのも最悪だ。
 それから、どれほどの月日をともに過ごしただろうか。
 そう長くはなかったはずだ。ひどく小さかった幼子が、小さな少年に変わるまでの、わずかな時間だ。彼があちこちの星へ戦いへ出向いていた事も考えれば、それは本当に、取るに足らないほどの時間だった。
 けれど、気がつけば彼は、少年とともに食事を取るようになっていた。戦いから帰ってくれば、いつも少年が待っていた。彼の姿を見つけて、パッと顔を輝かせて、短い手足を動かして駆け寄ってくる。犬ころのように。そんな所だけは昔と変わらなかった。
 戦場を嫌がる少年を、彼は無理に連れ出しはしなかった。修行をつけている彼にはわかっていたことだが、少年は本当に向いていなかった。それは能力以前の問題だった。
 だから彼は、ただ修行を繰り返し、ときにともに寝転んで、夜空を見上げて星を見た。子供はいつも、あっという間に眠りに落ちて、彼の腕にぴとりと寄り添って、穏やかな寝息を立てた。

 彼は ─── ……、彼は……、だから彼は…、その日、全てを終わらせる覚悟をしたのだ。

 未来を見た日。フリーザが裏切り、星が砕け、サイヤ人が滅ぼされる未来を知った日。
 彼は、驚く子供の腕を引きずり、わめきたてる息子の背中を蹴り飛ばして、二人を宇宙船に乗せた。説明などしなかった。ただ、今すぐにここを離れろと告げた。船の操縦については無知な少年を端に転がし、きいきいと喚く息子をぶん殴り、操作を指示した。

「どこに行けってつうんだよ!?」
「こいつの故郷だ。決まってるだろうが」
「地球はオレが滅ぼしたんだぞ!?」
「そんなホラ話を聞いてやってる場合じゃねえんだよ。さっさと操縦しろ」

 彼は、地球が滅んだことなど、初めから信じていなかった。たとえいかにカカロットが弱かったとしても、だ。
 星ひとつを砕くとなれば、相応のエネルギーを要する。彼は自分の息子にそれほどの力がない事を知っていた。おおかた、地球で返り討ちにされて、腹いせに子供を攫ってきて、そんなみっともないことは報告できなかったから、作り話をでっち上げただけだろう。地球が銀河の端に位置する事も幸いしたのか、息子の嘘は今まで発覚しなかった。
 子供は目を真ん丸く見開いて話を聞いていた。「帰れる、ん、ですか…?」と、震える声で呟いた子供を無視して、彼は踵を返した。ろくでもない息子だが、船の操縦くらいは任せられる。彼にはやるべきことがあった。
 だが、宇宙船を出る前に、子供が駆け寄ってきた。いつものように、嬉しそうな顔ではなかった。不安に瞳を揺らして、「どこに行くんですか?」と問いかけてきた。彼はそれを、無言で見下ろした。
 小さな子供だった。小さくて、弱くて、甘ったれで、どうしようもない。
 どうしようもなく、柔らかな子供だった。

「どうして、こんな急に…?……あの、一緒に、一緒に行きませんかっ!?ボクと一緒に、地球に来てくれませんか!?」

 お願いしますと、ほとんど泣きそうな顔で、子供が言い募る。
 彼は、静かに息を吐いて、子供の名前を呼んだ。

「悟飯」

 子供の肩が震える。ああ、そういえば、名前を呼んだのは初めてだったなと、彼はぼんやりと思った。いつもはオイだとかチビだとか、適当に読んでいた。変わらない毎日が続くなら、呼び方など、それで十分だった。
 だが、時は終わる。

「修行は続けろ。だが、地球に帰ったら、ここでの事は全て忘れろ。忘れて、好きに生きるがいいさ」
「……いや、です……!いやです…!!どうして、そんな事をいうんですか!?どうして、どうして、そんな最後みたいなこと…っ!」
「最後だからだ」

 ぽろりと、子供の瞳から涙が零れ落ちる。きつい修行の中でさえ、泣かなくなっていたのに。

「おい、親父…、どういうことだよ…?」
「……フリーザが裏切った。オレたちは皆殺しにされ、サイヤ人は滅びる」

 だが、と彼は続けた。

「オレは運命を変える」
「 ─── それなら、ボクも行きますっ!ボクも、一緒にいきます。ボクも戦います!」
「笑わせるな、お前なんざ足手まといにしかならねえよ。そこのバカと一緒に、地球でもどこでも行け。二度と戻ってくるな」

 縋りついてくる子供を振り払い、手加減なしで蹴り飛ばしてから、彼は宇宙船を出た。外からロックをかけ、さっさと飛び立つように、スカウターを通じて息子へ命じる。
 そして、振り返ることなく、彼は彼の戦場へと歩いていった。





 フリーザに勝てると確信していたわけではなかった。冷静に考えれば、勝機など塵ほども見つからない。だから彼は考えなかった。戦いの後のことなど、思考の中に入れなかった。
 ただ戦いを思い、フリーザを思い描いた。こんな時にもかかわらず、彼は高揚していた。それこそがサイヤ人であり、無謀を承知で戦いに挑むゆえだった。
 圧倒的な力の差があるとしても、それは戦いから逃げる理由にはならない。
 死ぬだけだとわかっていても、敵である以上は戦う。どうせ死ぬならば戦って死ぬ。
 逃げて生き延びることになど価値はない。戦いに背を向けるなど、サイヤ人のプライドが許さない。

 けれど、彼は、間違えたのだ。

 彼は呆然と、自分を庇って立つ小さな背中を見つめた。彼はすでに満身創痍だった。フリーザの手下どもに押し潰された右腕はだらりと垂れ、当分は使い物にならないだろう。目の端からも血が滲み、視界を塞いでいる。それでも、彼の目には、小さな少年がよく見えた。
 誰もがあっけに取られていた。サイヤ人は今まさに、滅ばされる寸前だった。フリーザの放つ巨大なエネルギー波が、星ごと砕く直前だった。そこに、ひとすじの流れ星のように飛び込んできた子供がいなければ、とうに大地は裂けて、人々はマグマの中に飲み込まれていたはずだ。
 フリーザが笑う。甲高く、哄笑する。そして、彼の目では追えないほどの速さで、少年に襲い掛かった。
 少年はその場を動かなかった。彼の前に立ったまま、わずかに手を動かして、フリーザを砕いた。あっけないほど容易く、砂糖菓子を握りつぶすように簡単に、少年はフリーザに勝利した。
 圧倒的な強さで宇宙を支配していた存在が、少年の手の中で、塵に変わった。
 誰もが身動ぎ一つできずにいる静寂の中で、少年は振り返り、彼を見上げた。「ごめんなさい」と、小さな声で少年が呟く。その声は静かで、寂しげだった。少年はそんな声を出したことはなかった。そんな、何もかもを諦めてしまったような声を。
 ああと、彼は胸の内で呻いた。彼は道を誤った。どこで間違えたのかはわからない。だが間違えたのだ。
 決して諦めなかった少年を、諦めさせたのは彼だった。どんな状況でも明かりを灯らせていた少年に、希望を捨てさせたのは彼だった。少年が大事に抱え込んでいた故郷への未練を、断ち切らせてしまったのは彼自身だった!
 彼は、少年を見つめた。金色の光を纏う少年は、ただじっと彼を見上げていた。諦めに満ちた目で。
 スーパーサイヤ人。千年に一度現れるという伝説の存在。フリーザさえもが恐れていた強者。
 いつからだとは、彼は問わなかった。以前からだとしても、今ようやくなれたのだとしても、たいした違いはない。少年はもう、地球には帰れない。全てのサイヤ人が少年を見てしまったのだ。宇宙の支配者であったフリーザすら、少年の前では砂糖菓子のように脆いのだという事を、大勢の者が知ってしまった。
 少年はもはや、どこにも帰れない。
 一番似合わなかった、サイヤ人として生きていく道しか、少年には残されていない。
 わかっていたはずだ。少年自身にも、それはよくわかっていたはずだ。それでも少年はここに来た。フリーザと戦うためではない。誰がなんといおうと、彼は真実を知っていた。少年は戦いに来たのでも、フリーザの地位や富を奪いに来たのでもない。そんなことはどうでもよかったはずだ。

 少年は、ただ、彼を助けに来たのだ。

 彼に生きていてほしいと願って、その願いと引き換えに、少年は全てを捨てたのだ。
 彼は唇を震わせた。声が出なかった。なんといえばいい。なんといえば。こんな未来などオレは望んでいなかった。そういってしまっていいのか。少年にはもはや、彼しか残されていないのに。
 何もいわない彼に、少年の眼差しが曇っていく。怯えたように金の光を消し、そっと、瞼を下ろそうとした。何もかもを、諦めとともに受け入れようとした。甘ったれで、懐こくて、寂しがりな子供が、黙って孤独を受け入れようとする。彼はとっさに手を伸ばした。
 子供の腕を掴み、その小さな体を抱き上げてやる。驚いた顔でぱちりと瞬く子供に、彼はいった。

「よくやった」

 子供に、何もかもを捨てさせたのは彼だった。家族も、故郷も、少年の慕わしいもの全てを捨てさせたのは彼だった。

「よくやった、悟飯」

 子供の顔が、くしゃりと歪む。涙を耐えているその顔を、彼は黙って見つめた。過ちを繰り返しているような気もした。もっとほかに、いうべきことがあるようにも思った。だが結局、彼は少年の手を掴んだ。
 繋がりをずっと求めていた少年の望むように、彼は少年の小さな手を握り締めた。
 出会わないほうがよかったのだと、彼はふと思った。出会ってしまったから、彼も少年も壊れてしまった。お互いに変質して、元の自分には戻れず、元の居場所にも戻れなくなってしまった。
 もう、お互いしかいない。
 ならば、彼の選ぶ道は一つだった。たとえ間違っていたとしても、構うものかと思った。正しさなどくそくらえだ。彼は、挑むように、遠巻きに様子を伺っている者たちを睨みつけた。


 全てを敵にまわしても構わない。
 子供に全てを捨てさせた彼は、子供のために独りを捨てる。
 彼は、二人で生きていくことを選んだ。









一応設定としては、地球は無事だし地球人も悟空も全員無事です。ただ宇宙船がなくて、神様の宇宙船も壊れちゃってて、悟飯の帽子にドラゴンボールがついたまま攫ってきたから神龍も呼べなくて、探しに行きたくてもいけない状態。あとラディッツはバダよりも悟飯に甘いのが希望。