今日帰る、とおじいちゃんから連絡があったのは、お父さんと話した翌日のことだった。
『予定より早く片付いたからな。今夜には戻るが、お前は先に休んでろ』
「わかりました。夕食作って待ってますね」
『……寝てろ』
 呆れたような、それでいて笑っているような声で、おじいちゃんがいった。
 ヴィジホンではないので姿は見えず、声だけだったけれど、ボクはなんだか幸せな気分になっていた。



甘い生活 5



 あまり、悪い方向にばかり考えるものじゃないなと、晩ご飯の仕込みをしながらボクは思っていた。
 おじいちゃん本人に聞くまで、正確な事情はわからなそうだし、不安ばかり膨らませても仕方ないだろう。それより、この生活が、当初のボクの予想に反して長くなったときの事を考えたほうが、建設的かもしれない。
 この生活が、長くなるなら……ボクは調味料を揃えたい。
 砂糖に塩に植物油にウスターソースにオイスターソースにミントにバジルに、しこたま仕入れてきたい。鍋も増やしたい。中華鍋に圧力鍋に三層鍋に、ああ、土鍋も欲しいなあ。まだまだ寒いし。
 その内終わる生活だと思っていたから、ボクはできる限り物を増やさないようにしてきた。帰れといわれたときに、いつでも荷物をまとめられるように、自分の物は最小限に抑えてきたし、この家に残す物も少なくしようと心がけてきた。
 でも、まだ、ここにいていいなら。
 荷物を増やしても、いいのかもしれない。
 それなら、冷蔵庫の中をもっと使わせてもらいたい。お酒ばかり冷やしているんじゃ、もったいないもんな。食料だって、買い置きしたほうが安上がりだしね。うん、おじいちゃんが帰ってきたら相談してみよう。


  ─── あとから考えれば、ボクは浮かれていたのだ。救いようもないほど。



 ボクの思考を中断したのは、この家に住むようになってから初めて聞いた、呼び鈴の音だった。
 珍しい、お客さまか?それとも、お母さんが何か送ってきてくれたんだろうか。お父さんが捕まらなくて、宅配便を頼んだとか?
「はい、どちらさまで ─── 」
「よお、小僧」
 ドアを開けると、世界で一番嫌いな男がそこにいた。
「帰れ」
「そう邪険にするなよ、オレとお前の仲じゃないか。それに、客の話も聞かずに追い返していいのか?」
「……おじいちゃんなら留守です。すみませんが、日を改めて出直してください」
「用があるのはバーダックじゃない。お前だ、悟飯」
「そうか。わかった。帰れ」
 そのままドアを閉めようとするのを、ターレスが素早くとめた。くそ、あっちの家と違って自動扉なんだから途中でとめるなよ!電気系統がおかしくなったら弁償させてやる!
 ボクが無言で睨みつけても、ターレスはニヤニヤ笑ってドアを押さえている。ボクのほうが強いし、引き剥がせないことはないんだけど、それをすればドアが壊れるだろう。
「大事な用があるんだがなァ」
「なら今ここでいえばいいだろ」
「やれやれ、バーダックのヤツはガキの躾もできてないのか。客人をもてなさないなんざ、礼儀がなってないぜ?」
 お前が礼儀をいうな!と怒鳴りかけて、ぐっと飲み込んだのは、おじいちゃんが悪く言われるのが我慢ならなかったからだ。その一瞬のひるみを、ターレスが見逃すはずもなく、ヤツはドアを完全に開けて悠々と室内へ入っていった。
 どっかりと、ヤツがソファに腰を下ろす。ボクの機嫌はそれだけで急下降する。勝手に座るな、くつろぐな。それにそのソファは居間で唯一の家具なんだぞ!おじいちゃんがいつもそこでお酒を飲んだりしてるのに、お前が座るな。
「………それで、用ってなに」
「用?なんの話だ?」
 いっそ無邪気と呼べる笑みを浮かべ、小首を傾げてターレスがボクを見る。瞬間、ボクの気がぶわっと膨れ上がり、床板をきしませて、はっと我に返った。ダメだダメだ、家を傷つけちゃダメだ。
「……用がないなら帰ってくれ。それとも、叩き出されたいか?」
「お好きなように?お前のしたいようにしろよ、悟飯」
 絡みつく嫌悪感に、ぞわっと肌が粟立った。
 足を組み、肘をつき、手のひらに顎を乗せて、ターレスはくくっ笑う。この男はいつもそうだ。どこにいても、自分が支配者のような顔をしている。
「もっとも、オレにとっては、話し合いで解決だとか?穏便に済ませるだとか?帰れといわれて大人しく帰るだとかは?ありえない話だがな。排除したければ、力ずくでやれよ。お前にはそれができるだろう?」
「そうだね、できるよ。あなたよりボクのほうが強いから」
「ああ、そうだ。お前なら赤子の手をひねるよりたやすく、オレを殺せるんだぜ?」
「だけどボクは、できてもやらない。感情任せに力をふるうことはしない。もう二度と、しないと決めたんだ」
 ターレスの深く暗い瞳が、ボクを見る。それを真正面から受け止めて、静かに息を吐いた。

  ─── 目を閉じればいつだって、まぶたの裏に描ける光景がある。
 ボクの視界を赤く染めた、血に塗れたあの人の右腕を思い出す。鼻につく嫌な匂いと、光に舞う砂埃と、声にならない叫びをあげかけたあの一瞬を。そして、何もかもが崩壊する寸前で、ボクを救ってくれたあの手のひらを。
 あのときの温かさと、泣きたくなるほどの安心感を、ボクはきっと永遠に覚えているだろう。

 だから、この男が世界で一番嫌いで、視界に入っただけでさっきまでの高揚感が消えて、気分が地の底を這っていたとしても、力ずくでお帰り願うことはしないのだ。叩きだすといったのは脅しに近いけれど、よく考えたら、そんな脅しはターレスには無意味だったな。
 だってこの男は、ボクが知る限り、この世で一番、究極に悪趣味だ。
「……二度としない、ねェ。なるほど、バーダックとの約束を律儀に守っているわけだ?」
「そうだよ。だからおとなしく帰ってくれ。どうせ最初から用事なんてなくて、暇つぶしによってみただけだろ?悪いけどボクは忙しいから、あなたの娯楽に付き合う余裕はないよ」
「ところで小僧、新婚生活はどうだ?楽しくやってるか?」
「ねぇ、ボクの話聞いてた!?」
 ターレスにいうだけ無駄だとわかっているのに、つい噛み付いてしまう。いけない、いけない。まともに相手にするなって、いつもおじいちゃんにいわれてるじゃないか。のせられちゃダメだ。
「聞いていたとも。いっただろう、大事な用があると」
「他人の私生活を聞き出すことが、大事な用なのか。それはまた、あなたにしてはずいぶん珍しいことだね!」
「オレにだって、友人の結婚生活への興味くらいはあるさ」
「友人?あなたとおじいちゃんが?」
 わざとらしく、嫌味たっぷりに聞き返してやった。ついでに眼も眇めて、へえーと白々しい声を出す。ラディッツ伯父さんならともかく、おじいちゃんがターレスの事を友達扱いしたことなんてあるもんか。
 だけどターレスは、ひどく悲しげな顔をして(振りに決まってるけど)、首を振った。
「何をいってる、お前とオレに決まってるだろう。十年来の付き合いだってのに、そんなそっけないこというなよ」
「……ボクも、こんなに長い間だれかを嫌ったのは初めてだよ、ターレス。放っておいてくれればいいのに、よくも、まあ、十年近くもいらないちょっかいばっかりかけてくれたよね」
「そんなに感謝してくれなくてもいいぜ。それより、バーダックのヤツはどうなんだ?」
 獲物の首を喰いちぎる瞬間の肉食獣のような、愉悦に満ちた目をしてターレスがいった。
「早々に浮気でもされてるんじゃないのか?アイツも、縛られるのを嫌う性質だからなァ」
 今度こそ、止めようもなく気が膨れ上がった。全身の血が沸騰して、一瞬で世界が金色に変わる。きっと、ボクの眼はいま、薄く冷ややかな緑色をしている。ダメだと思った。奥歯を噛み締めて、全身のコントロールを取り戻そうとあがく。だってこんなのは、挑発されているだけだ。思い出したくもない事を引きずり出されたからって、ボクが戦う理由にはならない。どうせあとで後悔するんだ。
 深く息を吐き出し、ターレスを視界から締め出そうと下を向いて、ボクはハッとした。
 床が!床板が!気に押し潰されて、メチャクチャにはがれてるー!!!
 高揚していた気は一瞬で下がった。ついでに血の気も下がった。ボクは慌てて膝をつき、這いつくばって床板を調べた。
 うわぁ、下の鉄筋が見えてるよ…!
「あああああ……、どうしてくれるんだよ、ターレス!!おじいちゃん今日帰ってくるのに!あああ、こんなにボロボロに裂けちゃって……ッ!修理を!修理の人を呼ばなきゃ!」
「お前のそういうところが、オレは吐き気がするほど嫌いなんだよな」
「そんなコトはどーでもいいっ!それより修理だよ、えーっと、えーっと、何番押せばいいんだっけ!?知ってる、ターレス!?」
「知るか」
「知らないの!?ああもうっ、いらない情報はたくさん握ってるくせに、必要なことは知らないのか!役に立たない情報屋だな!!」
「オレは情報屋じゃなくて、趣味で集めてるだけなんだがな……」
 憮然とした声でそういうと、ターレスはソファから立ち上がり近づいてきた。ああっ!そこを踏むな!ただでさえひび割れてる床板が、いっそうダメになるじゃないか!
 文句をいおうと顔をあげる。するとターレスの顔が思っていたよりずっと近くにあって、ボクは慌てて体を引こうとした。だがそれは、ターレスの手に阻まれる。するりと、撫でるようにボクの後ろ首を押さえて、ターレスは唇を開いた。
「だが、役に立たないといわれるのは心外だからな……?お前がいま、一番知りたい真実を教えてやるよ」
 ターレスは、笑っているようにも、嘲笑っているようにも見える顔でそういった。










 新婚さんのお約束(?)その5:さらにすれ違い(予定)
 ターレスと悟飯は、お互いすごく嫌いあっていてもそれはそれで萌えるよね!という萌えを詰め込んでみました。本気にならないターレスが本気で悟飯を嫌うのもいいし、全生物に対してデレデレな悟飯が唯一ターレスを嫌うのも萌えるのです。