子供のころ、ボクは、ターレスを殺しかけたことがある。

 そもそも、ボクがターレスと初めて会ったのは、ラディッツおじさんの家にお邪魔したときだった。お父さんと勘違いしてしまって、慌てて謝ったボクに、伯父さんは「気にせんでいい、知らないヤツは十人中十人が間違えるからな。コイツと親父だけは、間違えても仕方ないと思えよ」と慰めてくれた。ターレスと名乗ったその人は、おじさんの隣で、おじさんの言葉を否定することもなく、ただ珍しそうにボクを見ていた。悪意のある眼ではなかったと思う。少なくとも、そのときだけは。
 こんにちは、と頭を下げたボクに、ターレスはくすりと笑って、「お前の甥にしてはずいぶん躾が行き届いてるじゃないか」と軽い口調で伯父さんをからかった。お父さんとはまるで違う声だったけれど、明るく軽やかな響きで、ボクが好意を持つには十分だった。

 今でも思う。ターレスがあのまま、猫を被っていてくれたら。いや、猫かぶりとは少し違うんだろうけど、ほかの人に対するような、適度に無関心で適度に愛想の良い態度を貫いていてくれたら。
 ボクはこんなにも長い間、彼を厭い続けずにすんだだろう。



甘い生活 6



 それが初めに起こったのは、おとうさんが遠征に出ているときだった。
 その頃はまだ、フリーザの残党勢力との戦いが頻繁にあって、そのときのお父さんの遠征もやはりフリーザ絡みだったと思う。ボクはまだ8歳の子供だった。それでもよく覚えている。
 電話が鳴って、お母さんが出た。最初は怪訝そうだった声が、だんだんときつく張りつめ、最後は怒りのままにバンとスイッチをオフにした。驚いたボクが、どうしたの?と声をかけると、お母さんは一瞬だけ肩を震わせて、だけど笑顔で振り向いた。「なんでもねぇ、ただのいたずら電話だ」ボクにそういったお母さんは、そのときはまだ心に余裕があったのだろう。
 だけど電話は、次の日も、その次の日もかかってきて、お母さんがだんだん苛々していくのがわかった。苛立つのは、不安だからだ。だけどお母さんは、決してボクに電話を取らせようとはしなかった。ボクの前では、精一杯の平静を装っているのがわかって、ボクは逆にそれが辛かった。
 やがてお父さんが帰ってきて、その日は激しい夫婦喧嘩になった。お母さんが叫ぶ声が、ボクの部屋まで聞こえてきて、ボクはそこで初めて電話の内容を知ったのだ。初めは、きょとんとしてしまった。よほど、部屋を出て二人の傍に行って、そんなことあるわけないよと言おうかと思ったくらいだ。
 だって、お父さんが浮気だなんて。
 そんなのボクの想像を超えていた。いまだって、想像できないしありえないだろう。修行や戦いに熱中しすぎて、何かお母さんと約束していた事をすっかり忘れてしまった……というなら、十分ありえると思うけど、ほかの女の人と付き合うお父さんなんて、誰に聞いたってありえないというだろう。
 だけどお母さんは必死だった。毎日ほかの女の人から電話がかかってくる。あのスーパーサイヤ人のカカロットとベッドを共にしたと、自慢げに告げられて、彼の妻にならなってもいい、あなたみたいな弱い女にはもったいない、身の程知らず、早くわかれろ……そんな、ひどい言葉をぶつけられて、確かめようにもお父さんは遠征中で連絡が取れなくて、不安ばかりが募っていく。
 ただでさえ、その頃ボクたち親子への風当たりはきつかった。正確には、スーパーサイヤ人の家族へのだけど。スーパーサイヤ人の妻と息子が、あんなに弱くていいのかと、影に日向にいわれた。
 たいていはおじいちゃんやおじさんが庇ってくれたし(おじいちゃんは常に無言で気功波を投げつけるという荒業だったけど)、いつもならボクは気にしないしお母さんは強気に胸を張っていただろう。だけど、どんなに強くあろうとしたって、不安でたまらなくなるときはある。
 結局その日は、言い募るお母さんと困惑するお父さんの間で、なんの解決も見出せないまま時間だけが過ぎ、次の日にはお父さんはまた遠征へと出かけていってしまった。
 そしてその夜、再び電話が鳴った。立ち上がろうとしたボクを制して、お母さんは震える手で受話器を取り、すぐさま下に叩きつけた。おかあさん!と駆け寄ったボクに、弱々しい笑みを見せて、それでも「大丈夫だ」と小鳥の羽ばたきのような小さな声でいった。
 少し疲れちまっただ、先に休むな……そういって、おぼつかない足取りで寝室へと向かい、ドアを開けてお母さんは崩れ落ちた。ぽたりと、雫の落ちる音が聞こえて、気がつけばボクは家を飛び出していた。
 一晩中、言い争う声を聞きながら、考えていたことがあった。まさかとも思った。だけどもし、そうなら、おかあさんの言うこともおとうさんの言うことも両立する。だって電話は確かにかかってきたんだ。毎晩、毎晩。あれがおとうさんの言うように、ただのいたずらだったとはとても思えない。でも、電話の声の言うように、お父さんがほかの女の人と浮気するなんてありえない。そんなことあるわけがない。だとしたら、残る可能性は ──── 。
 ボクは無我夢中で彼の気をたどり、その宇宙船へとたどり着いた。黒い宇宙船の扉は、声をかけるまでもなくするすると開いた。まるでボクを待っていたかのように。
 膨れ上がる嫌な予感から、ボクは必死で目を逸らして、彼のもとへ急いだ。何かの間違いだと思いたかった。ここまできてボクは、彼が最初に見せた明るさを信じたがっていた。
 大きな扉の向こうに、その人は居た。
「よお、小僧」
 椅子に腰掛けて、ボクを迎え入れる。その仕草はまるで王様のようだった。その頭に王冠がないことが不思議なくらいだと、ボクは場違いな事を思った。
「ターレス」
 息を落ち着けながら、それでも震える声で、ボクは尋ねた。
「もし、間違っていたら、本当に申し訳ないんだけど ─── 」
「間違ってないぜ?」
 彼は、笑った。
「お前の想像通りだよ、悟飯。なかなか冷静な判断だな、きらいじゃない」
「どうしてっ!!?どうして、なんで、どうしてこんな事を ── っ!!おかあさんが、どれほど悲しんでると、思って ── っ!!」
「一応断っておくが、オレがカカロットだと名乗ったわけじゃないぜ。そんな詐欺まがいな真似はしてないさ」
「だけど否定しなかったんだろう!!勘違いされてるとわかってて、そのままにしたんだ!!なんでだよ、どうしてっ!!ボクに、ボクたちに、何か恨みでもあったのか!!?」
 息が詰まった。目の前が赤く染まるほどの怒りと、涙が出そうな悲しみが襲ってきて、ボクは息もろくにできなかった。それでも、きっとなにか理由があるのだろうと、縋るような思いで顔をあげれば、ターレスはひらひらと手を振っていった。
「恨みなんかないさ。ただの暇つぶしだ。宇宙船の修理が、思いのほか時間を食ったからな。直るまで、少し遊んでみただけだ。どうだ、楽しかっただろう?」
 くくっと、喉を震わせて男が笑った。
  ──── 暇つぶし?
 何か理由があるなら、事情があるなら。恨みがあるといわれたなら、それがどんなに逆恨みでも、ボクはきっと我慢できただろう。だけどダメだった。この男が、本気で言っていることがわかってしまった。本心から、ただの暇つぶしだったのだと、時間を潰すために仕掛けた遊びだったのだといっていることがわかってしまった。
 ぽたりと、耳元で、雫の落ちる音がする。お母さんの震える肩を思い出す。許せなかった。憎かった。目の前で、薄笑いを浮かべている男を、心底傷つけてやりたいと思った。ボクたちが受けた分だけ、いやそれ以上に、苦しめてやりたかった。それには力が必要だ。今のままでは侮られて終わりだ。力が欲しい。力が、力が、力が ─── ……!

 力を解放する方法を、たぶんボクは、ずっと前から知っていたのだ。

 気が金色に染まる。どこかで嘆くような声がした。ボクは力を求めていたわけじゃないのに。そう囁いたのは、かろうじて残っていた理性だったのかもしれない。だけどその声は本当に小さくて、すぐに力の奔流に飲まれていった。
 ああ、と感嘆にも似た息を零したのは、たぶんターレスの方だった。ボクは初めての力の解放に、頭の芯までくらくらしていた。けれど決していやな気分じゃなかった。今ならなんでもできる気がした。万能感が全身に満ちていて、ボクは笑いながら冷たい床を蹴った。
 ターレスも、反撃はしたと思う。だけどスーパーサイヤ人となったボクに叶うはずもなく、ボクは一方的に彼を踏みにじっていた。それを悪いとも、なんとも思わなかった。むしろ当然の報いだと思った。この男は、そうされるだけの事を、ボクたち親子にしたのだ。ここしばらくの事を思い出すだけで、ボクはいくらでも冷酷になれた。なれる、気がしていた。

 目の前で、ボクの一撃を受け損ねたおじいちゃんの腕が、真っ赤に染まるまでは。










 少し過去話。何かもう色々すみません。