甘い生活 7
何が起きたかわからなかった。本当に、ボクは、おじいちゃんが駆けつけてきていたことなど、まるで気づいていなかったのだ。ボクの意識はただ、目の前の憎い相手にのみ集中していて、ほかの音も気配も何一つ拾っていなかった。だから、気づかなかったのだ。ボクが、ターレスを殺しかけているのをみて、おじいちゃんがとっさに割って入ったことなど。
ボクは、動けなかった。目の前の光景が信じられなかった。どうして?と思い、すぐにそれが自分が引き起こしたのだと悟る。口を開いても声が出なかった。息すらねじれた。ボクはただ、かすかに首を振って、いやだと思った。だけどどんなに眼をそむけようとしても、目の前は赤い。これはボクがやったのだ。
ボクは、ボクは、いま何をしようとしていた?痛めつけて、苦しめて、殺そうとして……ボクは、おじいちゃんも傷つけて、ボクは、ボクはなんてことを ──── !!
絶叫が喉を貫こうとした。あと一瞬でも遅ければ、ボクは狂おしいほどに叫んでいただろう。叫んで、耐え切れずに心を壊したかもしれない。けれど、ボクの絶叫が喉を食い破るより早く、おじいちゃんがぽんとボクの頭を撫でた。それから、ぽんぽんと。悲鳴の形に口を開いたまま凍りついているボクを、溶かすように、二度、三度、ボクの頭を撫でてくれた。
「落ち着け、悟飯」
「……ご…、ご…めんな……さい……!ごめんなさい…!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
涙があふれ出て、世界が色を取り戻す。泣きじゃくりながら謝るボクの頭を、おじいちゃんはぐっとわしづかみにして、鋭く睨みつけた。
「落ちつけっつってんだろうが。泣くんじゃねェ。こんなのかすり傷だ、舐めときゃ治る。ちっ、こんなガキの一撃を受け損ねるなんざ、オレもヤキが回ったもんだぜ」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、おじいちゃんごめんなさい!!」
「だーかーら、泣くなわめくな謝るな!二度も言わせんじゃねェ!」
「でっ、でも……っ!!ボクのせいで……っ!!」
「うるせえ。口答えすんじゃねェ。お前はいつもみたいに、ハイって返事すりゃいいんだ」
おじいちゃんはバンダナで裂傷の上を縛り上げながら、ちらと眼をやって、どうせと続けた。
「アレだって死にゃしねぇよ。お前とは踏んでる場数が違うからな」
「くくっ、ひどい言い草だな、バーダック。オレはそれなりに死にそうなんだがなァ?なんせ、スーパーサイヤ人さまが、ご丁寧に痛めつけてくださったものでね」
びくりと肩を震わせたボクの前で、ゆらっとおじいちゃんが立ち上がった。
「ターレス。オレはいつてめェを殺してもいいんだぞ」
地を這ったままのターレスに、おじいちゃんが静かにいう。ボクでもわかるほどの、明確な殺意を含んだ声だった。けれどターレスは、あお向けに寝転がったまま、くっくと笑った。
「本心をいえよ、バーダック。コイツの力に、お前だって気づいていたんだろう?隠している ── いや、抑えている力が、どれほどのものか、見たいと思ったことはなかったか?本当に?一度も?ないというなら、サイヤ人失格だぜ」
「オレはてめェほど悪趣味じゃねえんだよ。戦いを嫌ってるガキを無理やり引きずり出して、なにがサイヤ人だ。てめェのくだらねえ好奇心に、ウチのを巻き込むんじゃねぇ」
「ハッ、すっかり“おじいちゃん”だな。あのバーダックが、甘くなっちまったもんだ」
呆れた口調でそういうターレスに、おじいちゃんはそれ以上見向きもしなかった。
お医者さんを呼ばないと、と言いかけたボクを、猫の子を掴むかのようにひょいと摘み上げて、そのままターレスの宇宙船から出た。そしてボクを家まで送り届けてくれた(ボクは途中で何度も、一人で帰れますからお医者さんに行ってください!と懇願したのだけど、全てうるせえと睨みつけられて終わってしまった)
その後は、おじいちゃんがどうやってか連絡を付けたらしく、お父さんが遠征先から急遽戻ってきて、お母さんと仲直りしたり。
家に帰ったボクが急いでお医者さんに連絡している間に、おじいちゃんがふらっと姿をくらましてしまったり。
なぜかラディッツ伯父さんがやってきて、ターレスの代わりに平謝りしていったり。
執務で忙しいはずのベジータさんが家までやってきて、スーパーサイヤ人になってみろと言われたものの上手くなれなかったり。そしてベジータさんを怒らせ、もっと真面目に訓練しろ!と説教されたり。
まあ、色々なことがあったのだけど、ボクの生活は、少しずつ、何事もなかったかのような、元の落ち着きを取り戻していっていた。
けれど、穏やかさを取り戻した日々の中で、一つだけ変わってしまったことがあった。
おじいちゃんが、ボクの日常から遠ざかってしまったこと。
時間がかかる仕事に就いたからだと、ラディッツ伯父さんは説明してくれたし、それは本当のことだったんだろう。だけどおじいちゃんは、今まで、長期の仕事はほとんど引き受けなかった。長く拘束されるのはうんざりだからなと本人はいっていたけれど、それだけじゃない。
お父さんがいない間、おじいちゃんが影でボクたち親子に気を配っていてくれた事を、ボクもお母さんも知っていたのだ。
おじいちゃんが姿を消してしまった理由を、ボクのためだと考えるのは、思い上がりなのだろうか。
だけどボクは、何度考えても、そうとしか思えなかった。朝起きたときに、修行の合間に、ふとした瞬間に、幾度となく繰り返し考えても、答えはいつも一つだった。
おそらく、おじいちゃんは、ボクのために長期の仕事をうけたのだ。ボクに、後悔させないために。
あのとき、ターレスの宇宙船から家に帰るまでの間、ボクは謝り通しだった。ほかの言葉が何一つ浮かばなかった。落ち着いて考えれば、おじいちゃんはそういうのを嫌う人だ。同じことを二回いうのも嫌いだが、いわせるのも嫌い。それが謝罪であっても同じだ。
だというのにボクは、ごめんなさい以外の言葉が出なかったし、今おじいちゃんが傍にいてくれたとしても、やはり、申し訳なさで胸がいっぱいになって、うまく取り繕うこともできないだろう。
だからおじいちゃんは、ここに、この日常にいないのだと思った。ボクに傷跡をみせないために、ボクに謝らせないために、何もいわずに姿を消す。あの人はそういう人だ。そういう、誇り高い人だ。
ボクができることはなんだろうと、おじいちゃんがいなくなって何度も考えた。
何かを返したい。ボクもおじいちゃんのために何かをしたい。
けれど、その時のボクには、その方法すらわからなくて(お父さんや伯父さんに相談することも考えたのだけど、もし二人経由でおじいちゃんにまで話が伝わってしまったら、それこそ二度と帰ってきてくれなくなる気がしてできなかった。ターレスなんかは論外だ)、結局ボクがしたのは自分を鍛えることだけだった。
もう二度と力に呑まれて暴走することのないように、いつか何かを返せるように。お父さんのような、本当の意味での強さを身に付けたかった。
それから何年かして、おじいちゃんがようやく帰ってきてくれたとき、ボクはおじいちゃんを笑顔で出迎えることができた。笑顔でと、前から決めていたからだけど、それでも数年前ならぎこちない笑顔になってしまっただろう。
そんなボクに、おじいちゃんが少し笑ってくれて、それが何よりも嬉しかった。今まで頑張ってきたことに、ちゃんと結果がついてきてくれたような喜びを勝手に抱いていた。
けれど、それが錯覚にすぎなかったことを、いま思い知る。
こんなにあの人に迷惑をかけて。誰よりもあの人には迷惑をかけたくなかったのに、ボクは何をやってるんだろう。何も返せていないじゃないか。それどころか、ボクは ──── ……
「何やってんだ、お前。電気もつけずに」
パッと部屋の中が明るくなった。ボクはのろのろと顔をあげて、帰って来てくれた人の目を見上げた。強く、鋭いその眼をまっすぐに見つめ、ためらいなくボクはいった。
「ボクと、離婚してください」
声はきっと震えていなかっただろう。ボクはもう決めていたから。
新婚さんのお約束(?)その5:さらにすれ違い。