I Love Youを訳しなさい。



「キミに幸せでいて欲しい、かな」

 I Love Youを訳しなさい。そんな言葉遊びが、いま流行っているのだと、テレビの中のリポーターがマイクを片手に熱弁をふるう。そこには仕事以上の情熱がこもっていて、女性は本当にこういう話が好きだなあと、オレはほとんど感心しながら眺めていた。
 まさか、その直後に、仕事の時以上に真剣な眼をした弟子に、「悟飯さんならどう訳しますか?」と詰め寄られるとは思わなかったが。

「幸せでいて欲しい、ですか?」
「うん。幸せでいて欲しい」
 他愛ない言葉遊びだけれど、トランクスが真剣なので、オレも真剣に考えた。愛している。それをほかの言葉でいいかえるなら、自分は何というだろう。答えは、案外あっさりと出た。
「それは ──── 」
 複雑な表情でオレを見ていたトランクスは、かたく唇を結んで、きつく眼を閉じた。
 ブルマさん似だと思っていたけど、こうして見るとベジータさんにも結構似てるなあ。オレがしげしげとトランクスの顔を観察していると、ふいにその眼が開いた。
 そこにはもう、先ほどまでの苦しそうな色はなかった。葛藤の雲を意志の力で吹き飛ばし、拭い去った青空のような、力強く澄んだ眼をしていた。
「オレの訳は、あなたを幸せにしたい、です」
 オレは思わず笑っていた。
「強いな、キミは」
「違います。……心が強いのではなくて、独占欲が強いだけです。オレが悟飯さんを幸せにしたい。ほかの誰かではなく、オレこそがあなたを幸せにしたい。そんな、心の狭いことを考えているだけですよ」
 そう自分を卑下する言葉とは裏腹に、トランクスの眼はまっすぐだ。
 これは開き直ってる、のか?ベジータさんは決してこういう態度を取らない人だったが(あの人は常に一振りの剣のようにまっすぐだった。どれほどブルマさんに『この意地っ張り!いいわ、あんたの墓には“サイヤ人の王子さま、意地の張りすぎで死亡”って書いてやるわよ!』と怒鳴られても、折れる事のない人だった) だけどブルマさんは、この手の開き直りが得意だったなあ。そういえば。折れる事を知らないベジータさんも、ブルマさんに開き直られると弱かった。
 あれ、もしかして今のオレの状況って、あの頃のベジータさんなのか?
「悟飯さん、逃避しないで下さい」
「……少し昔を懐かしんでただけだよ。キミはやっぱりブルマさん似なんだなあと思って」
「話を逸らすのもやめてください」
「そらしてないけどさ。キミだって、ご両親の昔話には興味があるだろ?」
 な?と笑顔で促してみたが、トランクスの頬の筋肉は一ミリも動かなかった。
 ひるんだオレに、トランクスは据わった眼をしていった。
「オレの今の関心は、悟飯さんにしかありません」
 ……どうして、この子は、こんな風に育っちゃったんでしょうか、ピッコロさん。
 オレは心の中で、おぼろな姿の師匠に助けを求めた。オレの教育が悪かったんでしょうか。この子の青春を修行と戦闘で埋め尽くしたのが悪かったんでしょうか。でも、生き延びさせたかっただけなんです。
 オレの思考が再び逃避の旅に出るよりも、トランクスが折れる方が早かった。
「……いいんです。無理に、答えを聞こうとは思いませんから」
 そういって微笑むトランクスは、オレの知らない大人の顔をしていた。
 ああ、本当に、立派になったな。
「なあ、トランクス。オレは本当に、心から、キミに幸せであって欲しいと願ってるよ」
「ええ、知ってます。だけど、いくら悟飯さんが相手でも、これだけはオレも譲る気はないんですよ」
 そういって、トランクスの手がオレの頬を撫でる。こうやって触れられるたびに、オレはいつも考える。オレはキミを拒むべきなんだろうかと。
「オレは悟飯さんを幸せにしたい。あなたに幸せであって欲しいと願うことは、オレにはできない。あなたの人生から、オレ自身を遠ざけることは、どんなに望まれてもできません。……それだけは、覚えておいてくれたら、嬉しいです」


 問題は、オレの中にあるのだ。
 飲み物を取ってきますとトランクスが出て行った部屋の中で、ソファの背もたれに頭を預けて、オレは深いため息をつく。問題は、トランクスではなく、オレなんだ。
 トランクスの事を、トランクスが思うような意味で ─── それこそ恋人のように ─── 思えるかどうか。

 というのは、実のところ、オレにとっては問題じゃない。

 おかしいよな。普通はそこが問題なんだろう。好きだと告白されたら、自分も同じように好きになれるかを悩むものなんだと思う。だけど、とても残念なことに、オレの問題は、その百歩手前にそびえたっている。

 オレは、トランクスの事を、対等な相手として見れない。
 トランクスだけじゃない。この世界の誰一人として、対等な人には見えない。

 なんて傲慢だと、自分でも呆れている。
 何様のつもりだ。何を思い上がっている、孫悟飯。お前は結局、誰も守れなかったのに。
 そう、自分で自分をなじってみても、この考えは骨の髄まで染み込んでいて、どうやっても拭い去れそうにない。

 オレは、ずっと、オレの体がもっと大きければいいのにと願っていた。
 オレの体が作り出す影で、世界のすべてを覆えたらどんなにいいだろう。オレは光に向かって立ち、人造人間たちは、太陽を背にしてせせら笑う。オレはやつらと対峙し、せめてオレの影だけでも守ろうと死に物狂いで戦う。そう、オレが守れるのは、いつだってたったそれっぽっちのものだった。
 オレの後ろにいる人。オレの影の中にいる人々。
 逃げまどう人たちや、親とはぐれた子供の泣き声。助けを呼ぶ声や、やむことなく響き続ける悲鳴。オレの背後には、いつも悲しみと恐怖があった。けれど、オレが守れたのは、せいぜいがオレの影に収まる人々くらいで、オレから遠ざかった人たちまでは腕が届かず、やつらに踏みにじられた。
 オレはいつも、もっと大きく、もっと強くありたいと、泣きながら思っていた。
 オレは、オレの影で世界をすっぽりと包めたらいいのにと、ずっとそう願っていたのだ。

  ─── そうしたら、ある日、思いも寄らないことが起きてしまった。生き返って平和な日々を満喫していたら、突然、弟子に愛の告白をされた。
 本来ならオレはそこで、『すまないが、キミの事をそういう対象には見れないんだ』と断るべきだったんだろう。
 だが実際には、『こら、何をしてるんだ、トランクス。正面に立ったら駄目だろう。オレの影から出てきたらいけないぞ』としか思えなくなっていたのだ……。
「はぁー……」
 深いため息が零れる。
 それはない、それは酷い、愛とか恋とかいう以前の問題だ!と、自分でも思う。
 いくらなんでも、「好きです」といわれて、「危ないから後ろにいなさい」はないだろう。だいたい、あの子はもう十四歳の子供ではなくて、立派な青年で、カプセルコーポレーションの若社長で、戦闘力だってもしかしたらオレより上かもしれない。そんな一人前の男だ。俺の目の前に立っても、危ないことなどない。
「頭ではわかってるんだけどなぁ……」
「いいんですよ、悟飯さん。無理はしないで下さい。長期戦は覚悟してますから」
 背後からの穏やかな声に、オレは振り向かずにいってみた。
「キミが似合いの女性と結婚して、温かい家庭を築いて、子供がたくさんできて、その子達の子守りをさせてもらえたら、オレは最高に幸せになれると断言できるんだが」
「オレは最悪に不幸ですね。オレが不幸のどん底で仮面家族で冷え切った夫婦仲でも、一般的な家庭を持った方が悟飯さんが幸せだというなら、検討してみますが」
「……なら、聞くけど。キミはどうやって、オレを“幸せ”にするつもりなんだ?」
 少しばかりやさぐれた口調で問いただせば、ソファの背もたれがきしりと鳴った。
 長髪姿を見てみたかったな、というオレの他愛ない一言で、ハサミを入れることなく伸び続けている藤色の髪の毛が、オレの頬にかかる。トランクスの唇が、オレのひたいに触れた。
「……くすぐったいぞ、トランクス」
「好きですよ。愛してます。ねえ、悟飯さん、オレはずっと幸せなんですよ。あなたが生き返ってくれたときから、オレはいつだって幸せです。たとえ、この先、寿命が終わるまであなたがオレに応えることがなくても、オレは幸せで、あなたが好きなんだ。……あなたをどうすれば幸せにできるのか、オレにはまだわからないけれど、あなたは、オレに幸せであってほしいというから。オレの幸せが、少しでもあなたの幸せに繋がるなら、何度でもいいます。オレは、悟飯さんが好きで、愛していて、幸せです」


 愛しているを、ほかの言葉にいい換えたら?
 死ぬ前のオレなら、きっと「キミに生きていて欲しい」といっただろう。
 生き返った後のオレは「幸せでいて欲しい」と答えた。
 これから先、未来のオレは、なんというだろうか。幸せでいて欲しいと?それとも ───…… それとも……。

 オレはもう、この世界をオレの影で包み込む必要はないのだと、心の奥底まで納得したときには。
 立派な大人になったキミが、オレの隣に立っていることを受け入れられたなら。


 「キミと幸せになりたい」と答える日も、いつか来るのだろうか。



 -end-