「閻魔のオッチャンも手を焼いてるみてえだな」
「フン。どこの星のヤツだかしらんが、さっさと沈めてしまうぞ」
「そーだな。ちぃっと惜しい気もすっけど、これから悟飯が来るしな。平和なほうがいいもんな。あ、いたいた、おーい閻魔のオッチャンー!」
手を貸すぞーと、声をかけようとした悟空に、閻魔ははっきりと手を振った。
「いかん、来るな!お前たちは来るんじゃない!!うわっ」
閻魔の隙をついて、それは上空に飛び出してきた。
怒りの気。淀んだ気。どこにも行けず、どこにも戻れない。死後も体を持てるほどの功績を刻みながら、心の器は壊れてしまった。
「悟飯………?」
「逃げろ、孫悟空!お前の息子は、もう、お前のことがわからんのだ!」
「バカな…、そんな、バカな…。悟飯、オレだ、わかるだろう…」
ふらりと手を差し伸べたピッコロに、青年は真っ直ぐに飛び込み、スピードを乗せた拳を叩きつけた。うめき声とともに、ピッコロの体が下がる。だが、拳の重さなど、青年の目の暗さに比べれば、どれほどのものだろう。
名を呼ぶ悟空の声に見向きもせずに、青年は超化する。気を極限まで高め、隙なく身構え、獣のようなうなり声を上げる。戦うために。だが、いったい何とだ。何と戦おうというのだ。
構えることもできずにいる悟空の前で、青年はただ一言だけ、はっきりとした言葉を話した。
「オレはまだ戦える!」
たまらずに、悟空は叫んだ。
「もういいんだ!悟飯、もう戦わなくていい!!おめえはもう、戦わなくていいんだ!」
戦わなくていいと、戦える人間に向かっていったのは、初めてかもしれない。だけど、心を壊してまで戦って欲しいなど、いったい誰が望むだろう。
「悟飯、もういいんだ。もう休んでいいんだ。ここにはオラだって、ピッコロだっている。だから、悟飯」
必死で呼びかければ、悟飯はゆっくりと、体ごと悟空の方へ向き直った。
そして悟空は、生まれて初めて絶望した。
自分の言葉が、なにひとつ、この子の心に届いていないことに気づいて。
冷たい土の中
「ふざけるな!!」
審判の門をたわませるほどの怒気が、閻魔の前に叩きつけられる。神と融合してからのピッコロは、悟空よりもずっと閻魔大王に対して丁寧だったのに、今は礼儀などかなぐり捨てて怒りを剥き出しにしている。
「悟飯が、どれほど多くの命を守ってきたと思ってる!!子供の頃からずっと、コイツは戦ってきたんだ!地球を守るために!!それを、それを地獄行きだと!!?」
ふざけるなと、目もくらむほどの怒りに気を増幅させていくピッコロの隣で、悟空は静かに、肩に担いだ悟飯の背中を撫でた。悟飯は気を失っている。いや、失わせた。いかに強くとも、何も見えなくなっている相手の隙をつくのは、悟空にはたやすい。
死後も体を持てるというのは、良くもあるが悪くもある。魂だけの存在と違って、全ての感覚は体に支配されるからだ。生きていた頃の本物の肉体とは違うというのに、殴られれば確かに痛むし、急所をつかれれば意識が飛ぶ。
不思議だなあと、ぼんやりと悟空は思う。そしてその不思議さが、今は悟飯を守っている。
閻魔は、疲れたような息を吐き出して、悟空を見た。怒りを露わにするピッコロの隣で、悟空はわが子の体を抱いたまま、何もいわなかった。
「孫悟空、お前には、わかるのか」
「……わかんねえよ。オラだって、悟飯を地獄行きにされちゃ困る。けど、なあ、閻魔のオッチャン。悟飯はもう、絶対に、こっちに戻ってこれねえのか?」
「─── 悪人でなくとも、魂が憎しみや怒りに支配されてしまうことは、そう珍しくないのだ。特に、殺されたものの場合はな。だが、たいていは天国で浄化できる」
「悟飯は、できねえのか」
「できん。魂の力が強すぎる」
苦渋に満ちた声だっだ。とはいえ、慰めにはならなかったが。
閻魔のいわんとする先を察して、ピッコロが言葉を失った。呆然とこちらを見る友人に、悟空は力なく笑う。どうにもならないことは、今までに何度もあった。
「孫悟飯の魂は、人造人間との戦いに囚われておるのだ。浄化がきかない以上、正気を取り戻すことはあるまい。魂が朽ち果てるまで、己が作り出した幻を相手に、戦い続けるだけだ」
「なにか、方法はねえのか」
「ない。おまえたちの声も届かなかったのだ。残念だが、孫悟空、お前の息子は、もうこちらに戻ってはこれんだろう」
それは、つまり、ずっと苦しみ続けるということだ。
憎しみの影を相手に戦い続けて、いつか魂が歪み、摩耗し、消滅し、完全な無に消えるその日まで、悟飯は苦しみ続ける。安らぎを感じることもなく、幸せに満たされることもなく。夢を見ることもなく、あんなに愛していた美しいものたちを目にすることもなく。
悟空にとっては、戦いこそが喜びだった。平和はその後から付いてきた。だけど悟飯は違う。この子が夢見ていたのはいつだって、恐怖に脅かされることのない平和な暮らしだ。戦いはそのための手段でしかない。悟空はそれをすでに悟っていた。
なのに、戦いから悟飯が解放されることはないと、閻魔がいう。
ひでえなと、悟空は思う。なにがそんなに許せなかったと、悟空は思う。
悟飯は、仲間を皆殺しにされても、優しさを捨てなかったのに。愛する者を失っても、愛することをやめなかったのに。いつだって、悟空には思いも寄らない方法で、内に秘めた強さをみせていたのに。
(あの荒れ果てた絶望的な世界でさえ受け入れていたおめえが、いったい、なにをそんなに許せなかった)
問いかけながら、悟空は、すでに、その答えを知っているような気がした。
「先ほどのように暴れ続ければ、魂の寿命はそう長くあるまい。せいぜい、持って百年くらいだろう。だが、百年も苦しませることはない」
どのみち、戻っては来られない魂ならばと、閻魔がいった。
「地獄の下の下、もっとも深い場所に、魂の墓場がある。全ての魂を砕く場所だ。そこへ連れて行くがいい」
「駄目だっ!─── 駄目です!どうか、そんなことは…!何か、手があるかもしれないでしょう…!!」
「手はないのだ。元地球の神よ、お前とて知っているはずだ。無為に、苦しませんでやれ」
楽にしてやれといわれて、悟空はゆっくりと、悟飯の背中を撫でた。
生きていたとき、最期に撫でた悟飯の頭は、とても小さく思えた。手も足も、とても小さく見えた。実際、小さかったのだろう。そして立派な青年へ成長した。今は手も足も大きい。目線の高さも同じくらいだ。とびきり強くて、賢い子に育った。
それでも、悟空の腕の中で、悟飯はとても小さかった。
きっと、誰でもそうなのだろうと思う。立派に成長したことを認めながら、親にとっては、いつまでも、小さな子供なのだ。
「ありがとな、閻魔のオッチャン」
悟空は、迷わなかった。
「でも、地獄に行くのは、もっとずっと後でいいや。オラ、待ってみる。魂の寿命が来るまでに、なんか、変わるかもしれねえからな」
「……なにも、変わらん可能性の方が、ずうっと高いのだぞ。奇跡でも起きなければ、お前の息子は……」
それでも、悟空は、朗らかに笑った。
「なら、奇跡を待ってみるさ」
もしも、なんの奇跡も起きずに、寿命を迎えたなら、自分は魂の墓場へ行こう。