魔法の鍵を探している。
 全ての呪縛を解く言葉を探している。幾重にも巻かれた鎖を、粉々に引きちぎる力を探している。
「悟飯!もういいんだ!人造人間はトランクスが倒したんだぞ!」
 声の限りに叫んでも、悟飯は変わらない。その眼差し一つ、繰り出す拳の重さ一つ、変わることはない。
 この馬鹿弟子、この未熟者め!そう胸の中で罵りながら、ピッコロは放たれた気功波をぎりぎりでかわし、悟飯の後ろを取った。
「いい加減に、目を覚ませ!」
 手加減せずに殴りつける。神との融合を果たしたこの身でさえ、加減など考えていては悟飯には勝てない。戦いそのものに怯えていた小さな子供は、一人残された世界で、勝利への飢えを持つ戦士へと成長した。相手を倒そうとする意志、ねじ伏せようとする気迫、それは時に簡単に力量の差などひっくり返す。
 破壊された世界で悟飯を支えていたのは、全身が総毛立つようなこの殺気なのかもしれない。生きる事への執着と、敵を倒すことへの渇望と、その向こうに見える守りたかったもの達。
 ピッコロは苦く笑った。人造人間が倒されたと聞いたときの高揚が、音もなく沈んでいく。
(結局お前は、変わっていないな)
 どうしようもない甘ったれで、他人と仲良くするのが大好きで、理不尽に怒るのではなく受け入れる優しい魂。
 あれほど悲惨な目に遭いながら、それでもこの弟子は変わらなかったらしい。悟飯の強さを形づくるのは、果てのない優しさだ。戦士へと成長した今でも、なお。
(お前が怒りや憎しみを糧に戦っていたなら、今度こそ、戻ってこられただろうに)



眠る



 悟飯の住処は、閻魔大王が用意してくれた。
 天国の端の端、魂の行き来がないどころか、見渡せる限りなにもない、雲しかない場所だ。まともな生活を考えるなら論外だが、ここはもっとも界王神界に近いのだと閻魔は教えてくれた。
 界王ですら会ったことのないという、全宇宙の神、界王神。伝説に近い神が住まう界王神界は、どこよりも清浄な気に満ちており、周囲に与える影響も計り知れない。その場所でなら、孫悟飯の魂の歪みや摩耗は、遅らせることができるだろうと、閻魔は言った。
 それでも、浄化は不可能だろうという、よけいな一言まで付け加えてくれたが。
「派手にやったみてえだな」
 のんびりとした声に、ピッコロは小さく鼻を鳴らすと、腕に抱えていた体を投げつけた。悟空はむろん、驚きも取り落としもせずに、たやすく悟飯の体を受け止めた。
「聞いたか」
「ああ、トランクスが人造人間を倒したんだって?それも一撃で!すげえよなあ!!…でも、どうやったんだ?たしか前の時は、全然敵わなかったよな?」
 前の時というのは、一年ほど前のことだ。何年も修行してきて、それでもあのときトランクスは死にかけた。今度はいったいどんな修行をしたんだと、悟空が首を傾げるのも無理はない。
「過去というよりは、平行世界といった方が正しいだろうな…。あちらの世界では、結局、お前は病に倒れなかったのだろうし…」
「平行世界?なんだ、それ?修行の道具か?」
「違う。簡単にいえば、まあ、別の世界だ。トランクスは別の世界へいって修行したんだ」
「へええー!!すげえなあ、そんなことできるのか!オラも行ってみてえな!」
「死人には無理だな。どうしても行きたいなら、転生してブルマに頼め」
「え〜〜、それはちょっとなあ〜。オラこっちでもっと修行してえしなあ」
 あぐらを組み、膝に悟飯の頭を乗せた格好で、悟空は真剣な顔をして悩んでいる。なんというか、実に気の抜ける光景だ。ピッコロは小さく溜息をついて、空から降りた。
「人造人間はトランクスが倒した」
「ああ」
「だが、それでも駄目だった」
 悟空は、それにはなにも答えず、静かな顔で悟飯の髪を梳いた。
 最後の希望であったトランクスは、とうとう、皆の願いを叶えてくれた。人造人間を倒し、平和な世界を取り戻した。どれほどこの日を切望していたか。言葉にならないほどの深い歓喜が心を満たす。これで転生の道へ進んだ仲間たちも、平和な世界で生きていくことができるだろう。
 だが、悟飯は変わらない。倒すべき敵は本当に、この世のどこにもいなくなったというのに、それでも解放されない。人造人間はもはや存在しないのだと、どれほど叫んでも、悟飯の心までは届かない。
 地獄行きになった人造人間の魂でも目の前に持ってきてやれば、悟飯は返ってくるだろうか?そう考えて、ピッコロは苦く笑った。そういう問題ではないのだとわかっていた。
「バカだよなあ、悟飯は」
 優しい手で悟飯の頭を撫でながら、悟空がいった。
「悟飯が許せねえのは、本当は、人造人間じゃねえんだ」
「ああ、そうだな」
「そういう気持ちは、オラにも、ちょっとわかる。でもやっぱ、バカだなあって思うんだ。だって、そんなの、誰も幸せじゃねえもん」
 悟空の紡ぐ言葉は、その内容とは裏腹に、どこまでも優しかった。彼は決して責めているわけではないのだ。嘆いているわけでもない。悲しんでいるというのとも、少し違う。
 悟空はただ、見守っているのだ。わが子の行く末を、どうなろうと、見届けるつもりで。たとえ悟飯が戻って来れなくとも、これ以上なにか酷いことが起こったとしても、悟空は決して悟飯を見捨てない。あるがままを受け入れるのだろう。
「なあ、戻って来いよ、悟飯」
 意識を失っている悟飯の頬を、小さく引っ張りながら、悟空はいった。
「ピッコロがおめえを待ってるぞ〜」
「よさんか」
「とうちゃんも待ってるし、チチだって、トランクスだって待ってるぞ〜」
 息子の頬をうりうりとつつく悟空に呆れながら、ピッコロはふと、界王の話を思い出していた。

 人造人間を倒したトランクスは、真っ先に悟飯の墓へ行ったという。墓前に花を添えて、別の世界での悟飯や悟空について語った。自分も頑張りますと大人びた顔で告げた後で、少年は力強く笑ったのだという。
『だから、安心してくださいね、悟飯さん』
 トランクスは、悟飯が、天国で幸せに暮らしていると信じているのだ。信じ、願っている。生きているときはたくさん辛い思いもしたけれど、今は天国で、仲間たちと幸せに暮らしているはずだと、祈りにも似た思いで信じている。それは、トランクスだけではなく、残されたものたちの共通した願いだろう。

 悟空は、バカだなあという。だれもおめえが苦しむことなんか望んでねえのになという。囁きながら、話しかけながら、悟空はただ悟飯の帰りを待っている。
 だから、ピッコロは探し続ける。どれほど悟飯の魂が歪もうと、気が邪悪に染まろうと、諦めなど笑って切り捨てる。もしも、弟子の帰りを待つ者が自分以外に誰もいなかったなら、ピッコロは悟飯を眠らせていたかもしれない。苦しみ続ける姿に耐えられずに、楽にしてやりたいと願っただろう。
(だが、お前を待っているのはオレだけじゃない)
 弟子の幸福を願っているのは、自分だけではない。転生の道へ進んだ仲間達も皆、最後まで悟飯のことを気にかけていた。そしてなにより、自分の心に諦めがよぎる時でも、悟空は笑顔のままで奇跡に賭けている。
(なら、オレが弱音を吐くわけにはいかないだろう。なあ、悟飯)
 黒髪をそっと撫でて、ピッコロは微かに笑んだ。
(厳しい師匠と父親で、すまないな。でも、お前は、底力のある子だろう?)
 結局、最後の最後まで、優しい言葉などほとんどかけてやれなかったのに、悟飯は一度も自分を疑わなかった。目に見えるものが全てではないというように、音に聞こえるものが全てではないというように、悟飯はピッコロを信じ続けた。その優しさを、愛情を、知っているのだと、小さな声で伝え続けてくれた。
 悟飯は本当に、ピッコロにとっては時に信じがたいほどに、しなやかで強かった。全ての茨を、絶えることのない愛情で溶かした。

(今度、トランクスが墓前に添えた花を、占いババに頼んで持ってきてもらおうか)

 悟飯に伝えてやりたい。どんなに世界が変わっても、愛情を捨てることのなかった小さな弟子に、教えてやりたい。
 お前は、ちゃんと、守りたいものを守れたのだと。