「あの……、窓の鍵を開けたのは、壊されたくなかったからだからね?わかってると思うけど。というか、わかってると思いたいんだけど」
「へえ、本当に入院してるんだな、お前」
明らかに面白がっている声が、かみ合わない答えを返してくる。悟飯はベッドに腰掛けたまま、頭を抱えた。
「……誰から聞いたの」
「お前の弟は、お前と違って可愛い性格をしてるよな」
「また人の弟を買収したのかっ!」
「おいおい、人聞きの悪い事をいうなよ。オレはお前の弟とはオトモダチなんだぜ?困ってるときに援助してやるのは当然だろ?」
「あなたがそういう事をするから、悟天の金遣いが荒くなるんだよ!人の弟を悪の道に引きずり込むのはやめてくれって、何度もいってるだろ!」
悟天自身が買い物好きなわけではないのだが、あの弟は学校に通い始めてからというもの、すっかり女の子と遊ぶ楽しさに目覚めてしまい、デートだプレゼントだと熱心にやっている。当然金欠になることも多く、アルバイトなどで稼ぐ分には悟飯も注意しないが、この男から土産を受け取るのだけはやめろと!いつもいっているのに!
「悪の道とは、まぁ、大げさなことで。たかが土産だろう。それなのに、お前がいつも受け取らないから、捨てるのも面倒で、おまえの弟行きになるんだぜ?」
「……ちなみに、今回はなにを?」
「聞かないほうが、お前の精神安定上いいと思うがな」
あああ……と、悟飯は天を仰ぎうめいた。どうせまた、換金したら、大層な金額になる代物なのだろう。とりあえず、退院したら、悟天は修行フルコースの刑だ。
(お父さんに頼んで、アイツを朝から晩までみっちりしごいてもらおう…!)
性根を叩きなおしてやると、悟飯が拳を握っていると、ふいに瞼の上から影が差した。
包帯で視界が閉ざされていても、光の多い少ないくらいは、かろうじて判別できる。蛍光灯の明かりを遮って、ターレスの手のひらが顔を覆っていた。包帯に触れるか触れないか、ギリギリの場所に、褐色の手が留まっている。
「……なに?」
「本当に、見えてないんだな」
そう呟きながら、ターレスが指先を降ろした。包帯の上を撫でる指先は、重さなど感じさせず、ただただ丁寧だった。やがてゆっくりと、その指先が頬へ降りる。頬から伝う体温を、悟飯は沈黙とともに受け入れた。
ターレスが、嘲るような笑いを零す。その吐息を肌で感じて、悟飯はかすかに身動ぎした。視覚が塞がれているためか、ほかの五感が過敏になっている。ターレスの息遣いや、指先の遊ぶような動きばかり感じ取ってしまって、どうにも落ち着かない。だが、離れようとしてもベッドに腰掛けている状態だ。正面にはターレスがいるし、後ろに下がるのにも限度がある。それでも、少しでも距離を取ろうと、両手を後ろ手につき、体を後方へ引っ張ろうとした。
そのときだった。
まるで見計らっていたかのように ─── 事実見計らっていたのだろうが ─── カチャリと音がしたのは。
(カチャリ?)
何の音だ?そしてこの、手首に感じる重みは、いったいなんだ。
「ターレス?」
「動くなよ、悟飯。まぁ、動きたけりゃ動いてもいいが、下手に壊すと、ドカンといくからな?」
「ちょっと……、ちょっと待て…!あなた一体、ボクになにを……ッ!」
「ああ、安心していい。ドカンといくのはお前じゃないさ。この病院のどこか……、さて、どこだったかなァ」
どうでもよさそうな口ぶりで明かされた事態に、全身から血の気が引いた。
ふざけるなと怒鳴りつけてやりたいのを、唇を噛み締めて耐える。恐る恐る手首を曲げて、精一杯伸ばした指先で“それ”に触れた。硬く、ひんやりとしていたが、力を込めても壊せないほど頑丈そうではなかった。むしろ、無造作に両手を動かせば、簡単に引き千切ることができてしまいそうな、そんな脆い枷が、両手首を捕らえていた。
せめて、『ドカンといく』のがこの枷そのものならマシだったのに。この場で爆発するというなら、多少の怪我は我慢してでも自由を取り戻し、ターレスの胸倉を掴んで怒鳴りつけることもできただろう。だが、この男は、そんなことは当の昔に見抜いている。この身を抑えつけるのに、何が一番効果的なのかわかっていて、こんな馬鹿げた真似をしてみせるのだ。
「たまには趣向を変えてみようかと思ってなァ。レズン特製の手錠だぜ?気に入ったか?」
「ターレスッ!!」
「喜んでくれて何よりだが、あまり気を高めると壊れるぞ」
耳元で囁かれた言葉が、叫び声すら喉に封じ込めた。
後ろ手に捕らえられても、足や、体全体を動かすことはできる。だが、この男を退けるほどに動けば、当然気も上がってしまう。せめて目が見えていればと思った。ターレスの表情や眼差しを見ることができれば、本気でいっているのか判断もつくというのに。
冗談だろうとは思う。だが、絶対にありえないとは言い切れない。常識で考えればありえない事を、あっさりとやってのけるのがターレスという人だ。悪ふざけではすまない事を、本当にやる男だ。
「なんの、つもりで……っ!」
「さて……。包帯なんぞしているお前が、珍しくて可愛かったから、とでもいっておこうか」
「怒ってるなら怒ってるっていえばいいだろう、こんな真似をしないで!」
「少し違うぜ?怒っているわけじゃあない。呆れているだけだ、お前のバカさ加減にな」
目が見えなくともわかる。きっと今、ターレスは、不機嫌そうに目を細めて自分を見下ろしている。居たたまれなくなって顔を背けようとしたが、顎をつかまれて叶わなかった。頬骨に食い込む指先に、わずかに顔をしかめると、くくっと低い笑い声が聞こえた。
「まァ、少しは気が晴れたがな。ここまでされても抵抗できないところは、オレの好みだよ」
「さいっていの好みだね!」
「嫌がるなら拒んでみたらどうだ。……できないんだろう、お前には?」
苛立ちのあまり高まりそうになる気を、必死で押さえつけた。わかっていて遊ぶターレスも、わかっていて遊ばれてしまう自分も、体の自由がきくなら蹴飛ばしてやりたい。
それができるなら、元からこんな目にはあってないのだろうけど。
そう、できやしないのだ。この男の悪趣味にどれほどうんざりしたって、振り払うことなどできはしない。心の奥の奥に、ターレスを住まわせてしまったあの時から、自分はこの人と決別する強さを持てないでいる。
あの、眼がくらむほどに空が赤く燃えていた夕暮れの時から。
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