夢だとすぐにわかったのは、そこに懐かしいがありえない二人の姿を見つけたからだ。
どうやら、書類整理の最中にうたた寝をしてしまったらしい。早く起きないと、こんなところを狭井君にでも見つかったら、確実に嫌味をいわれる。陛下が休むまもなく国のために尽くしていらっしゃるというのに、宰相がお昼寝とはいいご身分ですこととかなんたらかんたら。狭井君が自分を気に食わないのは、過去の確執よりもむしろ、大事な大事な先代の血を引く大事な大事な唯一の姫を奪われたからではないかと、最近思うようになってきた。
どうすれば起きられるのか思案に暮れている間にも、二人の姿はぐんぐん近づいてくる。ついには昔と変わらない近さになった。懐かしさに目を細めると、いきなりけたたましい音がして、くす玉が割れた。───うん?くす玉?
「悲願達成、おめでとーーーー!!!」
きれいに声をハモらせて、二人が叫ぶ。あっけに取られた柊の目に、二人の後ろで割れたくす玉と、するすると垂れ下がってきた紙が、いや文字が飛び込んできた。
『祝・悲願達成!』─── 流麗かつ力強い字だ。これを書いたのはきっと一ノ姫のほうだろうと、柊は呆然としつつ思った。
お空の上からこんにちは
「──── で、なんですかこれは。夢ですか」
「まあまあ、いいから飲めよ!こっちの酒も結構いけるぜ」
「確か、こういう伝説ありましたよね。うっかりあの世のものを飲み食いして、この世に戻れなくなってしまうという」
「大丈夫大丈夫、細かいことは気にすんなって」
昔と変わらない若々しい瞳にウインクされて、柊はげっそりとした。そうだった。そういえばそうだった。羽張彦はこういう男だった。いつの間にか思い出は美化されていたらしい。
「久しぶりね、柊」
「一ノ姫…。一応お伺いしたいのですが、私は死んでませんよね?」
かつてとは違い、今はおちおちと死んでなどいられない身なのだ。真顔で尋ねると、一ノ姫は花のように軽やかに笑った。
「ええ、大丈夫よ。これは、そうね…、夢じゃないかしら。昼下がりに見る、騒々しい夢よ」
「なるほど。……羽張彦、注ぎすぎです。溢れるからやめてください」
「ちっちっち、なにいってんだ、柊。あふれる前に、飲めばいいだろ」
「あなたがウィンクしても可愛くありません。私の気力が減るだけなのでやめてください」
そういいながらも、柊は器に口をつけた。意外なことに、ちゃんと酒の味がする。
「やー、ほんと良かったぜ。お前と二ノ姫だけで黒龍と戦ってたときは、どうしようかと思ったけどな」
「羽張彦…」
「だって、お前、マジで弱えんだもん!つーか、あんな化け物と戦うのに、暗器しか持って行かないってどういうことよ!?ふつう剣とか槍とか持っていくだろ!?俺がどれほど必死にお前に憑依してやろうとしたことか…!」
「……羽張彦」
「お前が戦ってる後ろで、俺、何度も叫んだんだぜ!柊、俺にのりうつらせろ!槍がなくてもお前よりマシだから!ってなあ」
自分に霊感がなくてよかったと、柊は心の底から思った。ただでさえ厳しい戦いだったのに、そんなものを見せられたあかつきには間違いなく負けていた。体中のあらゆる力が抜けていたことは確実だ。
「いやー、二ノ姫が強くて助かったよなあ。お前より断然強かったぜ」
ぐっと親指を向けられて、柊はいい加減目を覚ましたいと心の底から思った。
「さすが一ノ姫の妹だよな。中つ国で一番強いんじゃねぐふう!」
柊が暗器を出すより早く、一ノ姫の裏拳が羽張彦の口をふさいだ。さすがは一ノ姫、昔と変わらず容赦がない。
「柊、本当に感謝してるのよ」
「一ノ姫…」
「でもね、これだけは守ってほしいの」
ずいっと身を近づけて、一ノ姫は、それはそれは美しい笑みを浮かべた。
「二ノ姫はまだ子供です。不必要な接触は、大人になるまで許しません」
「一ノ姫…、狭井君のようなことをおっしゃらないで下さい」
「だめったらだめです。ううっ、私は確かに、あなたに妹を任せるといいましたが、あれはこういう意味じゃなかったのに…!二ノ姫の夫には、私が豊葦原の中から選りすぐって選りすぐって振るい落として選び抜いて、最高の相手を見つけてあげる予定だったのに…!」
「あっ、柊てめー、一ノ姫を泣かせるなよ」
「泣かせてませんよ!それに一ノ姫、私と二ノ姫はすでに将来を誓った仲です。いつまでも控えているほうが、姫を傷つけることになりましょう」
そういってから、柊は自分の失言を悟った。
ゆらりと顔を上げた一ノ姫の目は、完全に怒れる龍のそれになっていた。強大な国家であった中つ国の、王位継承者だった一ノ姫だ。二ノ姫の王としての素質は、母神のような寛容さにあるが、一ノ姫はまさに破軍の王だ。怒らせると非常に恐ろしい。
「柊」
「はい……」
「末代まで祟りますよ」
「これは悲願達成の祝賀会だったのではないのでしょうか、一ノ姫。祝いの席でなぜ祟られなければならないのかわかりません。頑張ったんですからご褒美くらいください」
「宰相位で我慢なさい」
「無理です。だいたい宰相位と二ノ姫では地と天ほどの開きがあるではありませんか。釣り合いが取れていません。そうでなくとも最近は、むらむらするのを必死で我慢しているというのに」
瞬間、羽張彦の手から槍を奪った一ノ姫が鋭い突きを放ったのを、柊はごろごろと転がってよけた。
「ふ、ふふふ、素早くなりましたね、柊」
「一ノ姫こそ、腕を磨かれましたね。羽張彦を越える日も近いかと存じます」
ふふふふふと不気味な笑い声を立てて睨み合っていると、羽張彦が大きく手を振った。
「あー、もー、やめやめ!いいから飲め、柊!一ノ姫も、ほら、飲もうな!」
とくとくと勢いよく注がれた酒が、器の中で波を立てる。しぶしぶ飲み干せば、羽張彦は太陽のように笑った。
「んでは、改めて、悲願達成おめでとー!」
「おめでとう!」
「ええ、ありがとうございます」
三つの器がぶつかって、軽やかな音を立てる。
乾杯の音は、風に乗り、どこまでも響いていくようだった。
「…らぎ、ひいらぎ、おきて、こんなところで寝たら風邪を引くわ…」
「……わが、君…?」
ぼんやりと目を開ければ、労わるような眼差しがあった。
「起こしてごめんね。でも、こんなところで寝ていたら風邪を引いちゃうから」
「ああ……、我が君」
金の髪が、さらさらと落ちる。まるで、太陽のようだ。
「夢を、見ておりました…」
「どんな夢?あ、その顔からすると、いい夢だったのね?」
「ええ…とても……」
金の髪を一房手にとって、柊はそっと口付けた。
「…あなたがくださった、幸福な夢です」
どこか遠くで、乾杯の音が聞こえる。
祝福の言霊のように、喜びの歌のように、風に乗って軽やかに響いている。
-end-