不安ばかりを、あおる人だった。
上弦
幼いころの記憶は、たった二つしかない。
だから、いつが初めてで、いつが二回目なのか、本当はわからないの。
ただ、思い出せる限りでは、初めてそれの気配を感じたのは、姉様がいなくなった夜のことだったわ。
…それに気づいてしまったのは、姉様がとてもとても大切な人だったからだと思う。あのころの私には、姉様と風早が温かいもののすべてだったから、いつも、二人のことを全身で知ろうとしていた。
姉様が、最後に私に会いにきたあの日。いつもの姉様とはどこか違う気配がした。温かくて、優しくて、お日様みたいだった姉様。風早が空なら、姉様は太陽だった。だけどあの日。
姉様からは、甘くて冷たい気配がした。
それは、知らずに背筋が震えてしまうような、いやな気配だった。ああ、私は姉様を引き止めるべきだったんだ。それとも引き止めたんだろうか?わからない、思い出せないの。
覚えているのは、あの残酷な風が、姉様の体を覆っていたことだけ。
二回目にそれを感じたのは、二つの記憶のうちの、もう一つの記憶のほうだった。
橿原宮が燃えて、焼け落ちて、空が赤く染まったあの日。悲鳴に怯え、煙に咳き込み、涙を流しながら見上げた空には、あの残酷な手があった。
優しい声で、私を誘う声が聞こえたの。──── こっちにおいでって。
あの甘くて冷たい誘いから、私を守ってくれたのは、風早だった。
姉様をなくし、母様をなくし、燃え盛る炎の中にすべてが崩れ落ちていく光景を見た後で、私はふらふらと誘われるままに眠ろうとした。
だけどそのたびに風早が、私を抱きしめて、あの悲しい誘惑から守ってくれた。
豊葦原に戻り、中つ国を取り戻すための戦いが始まってからは、それの気配はもう、日常のようになってしまった。
でも、なっちゃいけないの。なってはダメなの。
心を叱咤して、私はいつもきっとそれを睨みつけた。──── なに食わない顔して、日常の風のように寄り添おうと狙っているのでしょう。そうはいかないわ。私は必ず、あなたを遠ざける。私の家族から、仲間から、私の民から、あなたを遠ざけてみせる。今はそこに我が物顔で闊歩していようと、時が来たら、私は必ずあなたを狙い打つ。この弓で、あなたの影一つ残さず射抜いてみせる。──── いつもそう、心の中で誓っていた。それは私の密やかな誓い。
ものすごーく大雑把にいえば、私はそのために戦っていたのだもの。
だけど、だけど、柊。
あれの気配が一番強いのは、あなただった。
将軍の忍人さんでもなく、敵であるアシュヴィンでもなく、前線のどの兵でもなく、あなただった。
あなたからはいつも、死の気配がした。
-end-