「将臣くんは、どうして知盛に冷たいの?」
「はぁ?」
幼馴染のとっぴな質問に顔をしかめると、望美は、ふうふうと湯飲みに息を吹きかけながら、繰り返した。
「将臣くん、知盛と喋っているときは、声が違うもん。声が冷たいんだよ」
ねえ、どうして?
無邪気に尋ねられた将臣は、ただ、眉間に皺を作ることしかできなかった。
信頼の代償
平家と源氏の和議が、ようやく口約束だけではない、形あるものとして見えてきた今日このごろ。
生来行動的な幼馴染は、故郷にいたときと同じくらいの気安さで、将臣を訪ねてくるようになっていた。
もちろん、将臣は反対した。いかに自分たちが幼馴染であっても、この世界では平家と源氏。つい先日まで剣を交わしていた相手だ。源氏の神子である望美が、「将臣くんの部屋のゲームがやりたいー」というのと同じ口調で「将臣くんのとこのお茶が飲みたいー」といっても、「いいぜ、好きに上がってろよ」と言ってやる訳にはいかない。
しかし望美は、将臣の説得を「九郎さんが来るよりは問題ないじゃない」の一言でねじ伏せた。おそらく、先に説得してねじ伏せられたのだろう譲は、重たい空気を漂わせたまま首を振って見せ、景時にいたっては、泣きそうなのかキレそうなのかよくわからない表情で笑った。
笑って、将臣の肩をがしっと掴み、「くれぐれも頼んだからね?」と囁いた声には壮絶な気迫が漂っており、将臣はひそかに同情したが、そもそも望美と付き合っている時点で、振り回される運命は決まっているのだ。景時にはもっと頑張って、このじゃじゃ馬娘のお守りをしてもらいたい。
まぁ、そんなこんなで源氏の神子殿は、三日に一度は平家の還内府の元に遊びに来ているのだが、周囲の評判は、将臣が危惧したほど悪くはなかった。望美が若く美しい娘であることに加えて、龍の加護を持つ神子であるという点が、憎悪より畏敬を人々に持たせたようだ。なんといってもこの時代は、将臣たちが生まれ育った時代とは、神や自然に対する敬意が天と地ほども違う。例え敵方に属するものでも、いやだからこそか、下手な手出しはしてこないようだった。
「将臣くんは、譲くんや私には、もっと優しい声で話すじゃない?」
熱めのお茶を舐めるように飲みながら、望美は可愛らしく首を傾げた。
「なのにどうして、知盛にはあんなに冷たい声で話すのかなと思って」
「どうしてって……、そりゃお前や譲と、知盛じゃ、全然違うだろうが」
兄妹同然に育ち、今では妹とも友達ともいえない、しいて言うなら身内という表現が一番ぴったり来るような望美は可愛い。姿かたちも可愛いが、容姿を抜きにしても可愛くてたまらない。望美のためになら何でもしてやりたくなる。
実の弟である譲も、やはり可愛い。譲が最近いやに反抗期であることも、実をいえば将臣の心情にはあまり影響を及ぼさない。まいったなと思うことはあっても、真剣に困るほどの事ではないし、譲に憎まれ口を叩かれようが叱られようが、将臣にとっては大事な弟である。
そんな二人に比べて、アレはどうだ。譲の反抗期なんて可愛い可愛いと頭を撫でくり回してやりたくなるくらいに面倒な男ではないか。基本的に働かないわ、動かないわ、借りを作ると百倍になって要求されるわ、そのくせ頭は切れるし腕は立つわで、厄介なことこの上ない。必然的に声も冷たくなろうというものだ。
「お前らは可愛いけどよ、知盛はなぁ……」
「でも、知盛と付き合ってるんでしょ?」
「おいおいおい、誰がいったんだ、誰が!んな恐ろしいことがあってたまるか!」
「照れなくてもいいのに」
「照れてねえよ!!」
湯飲みを握りつぶしかねない勢いで突っ込むと、なぜか望美の表情が変わった。まるで、中学の頃、悪友が将臣の部屋にこっそりと仕込んでいったAVを発見したときのような、軽蔑の眼差しだ。
「将臣くん、私、そういうのはよくないと思う」
「どういうのだよ」
「人の心をもてあそぶなんて!いくら相手が知盛だからって、さんざん遊んでおいて捨てるなんて最低だよ!」
「なにを勘違いしてるんだお前は!してねえよ、そんなこと!つうか、だれになにを聞いた!?ナニを!?」
問い詰めると、望美はあっさりと口を開いた。
「知盛いいいい!!!」
最近では抜くことの少なくなっていた大太刀を神速の速さで引き抜いて、将臣はがんと床につきたてた。寝汚いという言葉すら虚しいほどに寝こけている知盛の、その首元、わずか数ミリ横の位置を、躊躇なく突き刺して、将臣はふーっと毛を逆立てた猫のような息を吐き出す。
「ずいぶんと……熱いお誘いだな……」
「てめえ、まだ和議が成ってないことに感謝しろよな……?平家の安泰さえ確保できてりゃ、この首を気持ちよく刎ねてやったのによ……!」
望美が見ていたら、「将臣くん、完全にヤのつく人になってるよ!」と止めただろう。しかし大事な幼馴染はすでに帰った後なので、将臣は心置きなく怒り狂った。
「誰と誰がイイ仲で?文を交わして?月の下で歌を贈りあって?ともに夜明けを迎えただ!?ああ!?」
「くっ……間違っては、いないだろう……?」
心底楽しそうに笑う知盛に、将臣は、手を滑らしてスパっと殺ってしまいたいと心底思った。
確かに文は交わした(単に、互いの状況と戦況の報告だったが)
確かに歌らしきものを贈った(知盛が意味のわからない事をいったので、将臣はそれに対して「腹減った、ああ腹減った、腹減った」と返してやっただけだが。実際あの頃はひもじかったのだ)
確かにともに夜明けも迎えた(戦場でのことだ。そういう意味でいいなら、将臣にはともに夜明けを迎えた男など何人いるか知れない)
それがどうして、そんな意味になるのか!
「望美をからかっているのか、俺をからかってんのか、どっちだ、知盛」
「それは、違いがあることなのか……?」
猫のように目を細めて、知盛は喉を鳴らした。
「どちらにしろ、兄上はお怒りになるのだろう……?」
「つまり俺をからかってんだな?」
それなら拳で許してやろうと、将臣がバキバキと指を鳴らすと、知盛は不意に笑みを収めた。
「神子殿に、請われたのさ……」
「なにを」
「お前の助けになってくれと、な。和議を成そうとする還内府に、反発するものもいるだろう。なれば、俺くらいは、お前の支えとなってくれないかと、熱く請われてな……」
「 ──── それで?」
「丁重にお断りした。それでも粘られたので、俺も面倒になってな……、閨の中でなら支えて差し上げているといっておいた」
「やっぱり殺していいか、知盛」
「断る……」
お前に殺されるのは、つまらん……。そう、うそぶく男に、将臣は深いため息をついた。
望美の人選は最低すぎる。どうしてそこで助力を頼むのが、経正ではなく知盛なのか。まだ惟盛にいったほうがマシな気がする。
けれど、おそらく、わかっていないわけではないのだ。
望美は、わかっている。将臣の事をよくわかっている。だから知盛に頼んだ。それは決定的に間違ってもいるけれど。
「…ったく……」
「それとも、神子殿にお教えしたほうがよかったか、還内府殿?」
声は笑っているが、目にはさざ波一つ立っていなかった。強く、逸らすことも叶わないほどの目で将臣を捕らえて、知盛はいった。
「お前が俺を頼るのは、お前自身が、どうにもならなくなった時こそなのだと」
──── そう、だから、望美は正しい。
将臣はとうに、知盛を頼りにしている。それはたぶん、自分自身で自覚しているよりもずっと深く。
けれど同時に望美は間違っている。
将臣は普段、この男を当てになどしない。和議の助けになってくれる事など、砂ひと粒ほども期待していない。せいぜい、何事も起こさず、寝こけていてくれればそれでいい。
だが、もしも、自分に万が一のことがあったら。
戦場で命を落とすことがあったら。命を取り留めても、立ち上がれなくなるようなときがきたら。戦場でなくとも、和議が成ろうとしている今このときでも、還内府を狙う刺客の手に落ちることがあったら。
四肢をもがれても、心臓を千の矢が射抜いても、血塗れになり息絶える時がきても、将臣は笑って見せるだろう。後悔などしない。後を、不安に思う事もない。なぜなら将臣には知盛がいる。
自分がどうにもならなくなる時がきたら。
そのときは ──── 知盛が、平家を率いてくれるだろう。
そう思えるから、信頼できるから、将臣は時に無謀を冒すこともできたし、戦場でもどこかで安心して剣を振るえた。
自分が崩れ落ちるときがきたら、そのときは、知盛が皆を守ってくれるだろう。
守るなんて、似合わない男ではあるけれど、それでもその時が来れば、知盛が信頼を裏切らない事を将臣は知っている。
自分が抱えている何もかもを託すことができる。この男がいるから、心置きなく、笑って命を賭けることができる。
将臣が知盛に抱いているのは、そういう信頼だ。
そして、それはやっぱり、望美にはいえない。悲しませてしまいそうで怖いから。
「あー、チクショウ、やっぱムカつく。殴らせろ」
「断る……」
馬乗りになっていた将臣を押しのけて体を起こすと、知盛はそのまま床を出た。
そして、肩越しにちらりと、しゃがみこんだままの将臣を見つめていった。
「ムカつく、は、俺の言葉だと思うがな……」
「あ?」
「勝手に墓守を押し付けられるのは、あまりいい気分ではない、な……」
言い捨てて部屋を出ていった知盛を、将臣はぽかんと見送って、その意味を理解するまで約十秒。
その日、平家では、不機嫌そうな新中納言殿と、珍しく、そんな新中納言殿のご機嫌を伺う還内府殿が見られたとか。
でも知盛は、将臣にそういう風に信頼されていること自体は嬉しいというか、ほかの人に譲る気はないんだと思います