それはまるで、闇夜を切り裂く、光の星のようでありました。
光の星
そう、まずは、その方の生まれについて語らなくてはなりません。
その方は、とある名家の三番目の男子としてこの世に生を受けられました。
母君こそご正室ではなかったものの、有力な外戚を持ち、父君の信頼も厚く、幼くして華々しい未来を約束された身でございました。
この世の全てを手にできる者がいるとすれば、その方でありましょうと、誰もが噂するほどでありました。
ええ、その時は、誰もが信じていたのでしょう。ただ一人、その方自身を除いてでございますが。
幼くして、聡明な方でありました。文武ともに、優れた才をお持ちの方でございました。
それゆえかも知れません。あるいは、その方の生まれ持った気質ゆえであったのかも知れません。
その方の瞳には、一門の滅亡が映っていたのでございます。
誰もが永久なる栄華を信じて疑わない中で、その方は、ただひとり、幼き身でありながら、一門の終わりを見続けておりました。
──── ……やがてその方は、己の心が、全てに飽いている事に気づかれました。
花も、歌も、舞も、女も。差し出される何もかもが、己の心を、朝露の一滴ほどにも満たさない事を悟りました。
終わりを見つめ続けたその方は、全てに飽いていきました。
なぜなら、終わりより強烈な印象をもたらすものは、この世のどこにもなかったからです。少なくとも、その方にとって、一門の滅びよりも強きものはございませんでした。
それゆえその方は、眠るようにして、時を過ごされました。
己の生がどこにあるのかを、その方はご存知でした。己が生きるときまで、しばし、退屈な時間を眠って過ごそうかと、その方はぼんやりとそう思われました。
もう一人の彼の話をいたしましょう。
彼は、とても不思議な方でした。異なる世界よりおいでになったという彼は、やがて黄泉より返りし者という名で呼ばれるようになりましたが、その名の違和感を、彼を知るものならば誰もが感じていたことでしょう。
たとえ、名を先に知ったとしても、のちに彼に一目会えば、首を傾げたに違いありません。
彼は、清々しい青葉のような方でした。黄泉ではなく、天より遣わされた方のようでありました。死者の持つ暗さなどどこにもなく、風と水と光に溢れ ──── まるで、瑞々しい若葉を繁らせる大樹のごとき方でした。
わたくしたちは皆、彼という大樹の元に身を寄せて、嵐に怯え震えながらも、彼を信じておりました。
そのような彼と、あの方が、なぜあれ程に心を通わせられたのか、それはお二方にしかわからないことでございましょう。
ですが、その方は、彼が一門に降り立って初めて、生きる事を面白いと感じるようになったのでございます。
滅びよりも強烈なものが、この世にあるとすれば、それはまさしく彼でした。
その方と同じように滅びを見通しながら、その方とはまったく別の道を行く彼でした。
彼は、時の移り変わりというものに、ただ一人で立ち向かっていらっしゃいました。
他者の血と、己の血にまみれ、全身を血を被ったかのように赤く染めながらも、膝をつくことはなく、剣を手放す事も決してありませんでした。
ある晩、その方は彼と、月を肴に酒盛りをしておりました。
満月に晒された夜は、昼とはまた違う明るさを持ち、盃に映る己の表情まで見えるようでありました。
「時間が足りねぇな」
ぽつりと、彼はそういいました。
「もっと早く、この世界に来れてりゃ良かったのにな。あ、ダメか。重盛が生きてるときに来てたら、ただの不振人物だもんな」
そういって笑う彼を、その方は無言で見つめておりました。
(……俺が、この終わりを知っていたと告げたら、お前はどうするだろうな……?)
怒るだろうか、嘆くだろうか。そう考えて、その方は小さく微笑まれました。彼がそのどちらも選ばないだろう事を、その方はご存知でした。
(お前はただ、「そうか」と……。その一言で、終わらせるのだろう、有川?)
彼は、振り返らない方でした。まるで、振り返るのは、最後の最後でよいと心に決めていらっしゃるかのように、先だけを見つめている方でした。
例え、終わりを知りながら何もしなかったのだと聞かされても、彼が心を揺らすことはなかったでしょう。
むしろ、その方ならば、そのくらいはありえると、彼は苦笑されたかもしれません。彼は、その方をよく理解していらっしゃいました。
(…お前が俺の立場であったなら、平家には別の結末があっただろうな……。ありえぬ、話だが……)
その方は、一門の象徴のごとき方でありました。
滅びを知りながら、滅びが訪れる時を待つ。栄華の中で歪んでしまった一門の血が、その方を生み出したようにも思えました。
その方と彼が、立場を逆さにすることなど、できぬ話でありました。ありえぬ話でありました。
一門より生まれいずるのはその方でしかありえず、天より降り立たれるのは彼でしかありえなかったのです。
彼は、外より来た風でありました。けれど乾いた強風ではなく、水と光をたっぷりと含んだ、恵みの風でありました。一門の澱みをひと凪に払いのけて見せる、一陣の星でありました。
その方は、そんな彼を眺める事を好んでおりました。
彼は、眺めているだけで、飽きさせない人でした。
戦場での厳しい横顔も、ほろ酔いの無防備な姿も、耐えるためにきつく結ばれた唇も、周囲を安心させるための笑みも、満月の下の透き通る眼差しも ──── その方の傍でさえ、決して涙を見せない、その哀れなほどの強ささえ、愛しく思っておりました。
(お前が、敵であったら、よかったのになぁ……)
その方は、時おり、彼と真剣を交える事を夢に見ました。
手加減など一切ない命の取り合いを、彼とできたら、それだけで己の人生には華があったものをと。そう、時おり惜しみました。
彼がいま、頼朝に対して望んでいるように、心の底から殺したいと願ってくれたら。殺意に浸した眼で己を見つめ、この命を奪いたいと欲してくれたら。
(くくっ……、駄目、だな…。その眼だけで、俺はお前に、命をくれてやりそうだ……)
その方は時おり、密やかに笑い、密やかに夢をしまいました。
夢は夢のままでよいと、その方はわかっていらっしゃいました。
そう、夢は夢のままでよいと、わかっていたのに。
最後のときに、それでもその方は、ちらと夢を思いました。
(お前が、敵であったら、な……)
敵であったら、彼を嘆かせることもなかっただろうにと、そう思いました。最後の最後にそう思い、笑って、夢をしまいこみました。
味方であって、よかったのです。その方は、もちろん、初めからその事をご存知でした。
味方であって、ともにあって……最後には彼を嘆かせると知っていても。
それでもその方は、彼にならば、力を貸してもよいと思えたのですから。
終わりを待つまでのほんのひと時の間でも、彼が望むのならば、己は彼の剣となって戦場を駆けてもよいと思いました。他の誰でもない、ただ一人の彼にならば。
(だが、それもここまでだ……)
その方は、剣にしかなれない方でございました。彼の盾となって生きることはできない方でありました。戦いが終わるのならば、剣は、海の底で眠りにつくべきでございました。
別れの夜に、彼はいいました。生き残る側に入る気はないのかと、その方に尋ねました。
(そんな事はできないと、お前も知っていただろう、有川……?)
誰かがここに、残らなくてはならないのです。そしてそれは、その方を置いて他におりませんでした。それは彼も、よくわかっていたはずでした。
(…わかっていてなお、尋ねるか、お前は……)
彼は、尋ねずにはいられなかったのでしょう。それは彼が、最後の最後で見せた、彼自身のための願いでした。
(……俺が、頷くはずがないと、わかっていただろう……?)
それでも、頷いてやれなかったことだけが、最後の心残りでした。その方は一度だけ、眼を閉じました。
一門を守ることだけに命を賭けて、全身を赤く染めながらも歯を食いしばり、前を見据え続けた彼の、最初で最後の、小さなわがままを、できることなら叶えてやりたかった ──── そう、瞼の裏で思いました。
けれど、目を開けたときにはすでに、その方は笑っていらっしゃいました。
あまりにも見慣れた景色が、その方の前にありました。幼い頃から見続けてきた滅びの時が、ようやくその方の手に触れたのでした。
(……平家は、滅ぶ……)
この時のために、その方は生きてきたのでした。
(……だが……、平家が塵と消えても、お前は生きろ、有川)
一門の名などなくとも、彼ならば、みなを守り抜いて、新しく生きていくことができるでしょう。
(平家の滅びは、俺が持っていくさ……)
一門は、滅びなくてはならないのだと、その方にはわかっておりました。
一門が滅んでこそ、彼は、彼を慕う者達とともに、新たな大地を目指すことができるのだと、その方は知っておりました。
「これ以上、見るべきものは……何もないな」
一門の終わりを、滅びを見届けて、その方は微笑まれました。
終わりは、幼い頃に考えていたよりも、はるかに幸福な結末でした。
無為に終わるのではなく、この終わりこそが彼の始まりとなるのですから、それはなんと幸せで、優しい終わりでしょうか。
空は青く晴れ渡り、暖かな日差しが戦場にも平等に降り注いでおりました。
その方は眼を細めて、ふっと微笑まれました。
「ああ…いい天気だ…」
こんなにも美しい空の下でなら、その方の訃報も、優しく響き渡ってくれるように思えました。
「こんな日に死ぬのも…悪くない……」
それでも彼は、嘆くのでしょう。
そして彼は、その嘆きを、誰にも見せられないのでしょう。
涙のひとしずくも、彼は流すことができないのです。
その強さを哀れに思い、けれどそれ以上に愛しく思いました。
彼の哀しいほどの強さを、その方は誰よりも理解し、愛していらっしゃいました。
(平家の滅びは俺が持っていく。だから行け、有川)
海に身を落としながら、その方はずっと、空を見つめておりました。
彼がやってきた空を。
そう、彼はまるで、その方の闇夜を切り裂く、光の星のようであったのです。
一度は書いてみたい知盛の死にネタです。書いてみたいけど、普通の文体で書いていたら自分が辛すぎたので、お話風にしてみました。文法がおかしいのはどうかスルーしてくださいお願いします。