冬の朝
御簾の隙間から差し込む白い光に、将臣はぼんやりと目をあけた。
ノロノロと瞬いて、耳を澄ませて、再び瞼を下ろす。この世界には残念ながら目覚まし時計というものは存在しないので、将臣は五感で時間を計っていた。この静かさからいって、まだ起きる時間ではないだろう。
(……そのわりに、明るいけどな……)
閉じた瞼の上から、白い朝日が突き刺さってくる。将臣はもぞもぞと体を動かし、布団に深くもぐりこんだ。
(雪でも降ってんのか……?)
頬に触れる空気は、痛いほどに冷たかった。この寒さなら、雪景色も十分ありえそうだ。将臣はますます目を開けたくなくなった。今日は寒い、絶対に寒い。確信すればするほど、布団から離れがたくなる。
脳裏に描いた雪模様はそれだけで冷たく、将臣はぶるりと肩を震わせて、すぐ傍にある湯たんぽに寄り添った。知盛は、あの寝起きの悪さからいって絶対に低血圧だと思うが、体温は意外と高かった。でかい男がでかい男にくっつくという図に、むさくるしさは非常に感じるものの、暖かさには代えられない。将臣は知盛でぬくぬくと暖を取った。
それに、こんな寒い日の朝に、自分が薄衣を引っ掛けただけで布団にもぐっているのは、半分、いや六割くらいはこの男のせいだろう。昨夜の知盛は、いやにしつこかった。
自分と同じように薄衣を引っ掛けただけな知盛の体は、それでも十分に暖かい。自分以上に着崩しているようで、もそもそと寄り添えば、手が肌に直接触れた。
(……腹出して寝ると、風邪引くぞ…)
気になってぺたぺたと触ってみる。すぐに、出ているのは腹だけではないことが判明した。というか、こいつは今、ほとんど上半身裸だ。
腹だけなら衣を調えてやろうかと思っていた将臣は、すぐに諦めて手を止めた。布団はかかっているのだし、知盛はこのくらいで風邪なんて引かないだろう。むしろ一度くらい引いてみて欲しい。そうしたら、大笑いで看病してやるのに。
そんな事を思いながら、将臣はうとうととまどろみに浸った。残念ながら、風邪で寝込む知盛を見て爆笑できる日は来ないだろう。なんというか、手触りが違う。この等身大湯たんぽは、その外見に反して、手触りが非常に固い。人間、余すところなく鍛え上げるとこういう触り心地になるらしい。かけらも柔らかくはないが、丈夫で長持ちしそうなところは美点だろう。抱き潰す心配もなくて、安心できる。
「……もう、終わりか…?」
お、等身大湯たんぽが何か喋ったなと、将臣は心地よいまどろみの中で思った。
「お前がその気なら、俺も好きにさせてもらおうか……」
お前はいつも好きにしてるだろ、と心の中で突っ込みつつ、それでも瞼を下ろしたままでいると、するりと指先が、薄衣の下に入り込んできた。将臣は一瞬で目が覚めてしまった。
「知盛……、俺はまだ眠い」
布団の中から、くぐもった声で主張する。目は覚めてしまったが、再び眠りに付く準備は万全だ。それに、今日もぎっちり詰まっているスケジュールを思えば、朝から運動する気はこれっぽっちもない。
「お前が先に誘ってきたんだろう……?」
「んなわけあるか。俺は眠いんだよ。誰かさんが昨日、散々好き勝手してくれたお陰でな」
くくっと、知盛が喉を鳴らして笑う。これは機嫌がいいときの笑い方だ。侵入していた指も、出て行ってはくれなかったものの、それ以上深くは進まなかった。
和議に真実味が出てからのこのひと月あまり、将臣はほとんど知盛と顔をあわせていなかった。
説得と交渉に方々を駆けずり回っていて、二人で月見酒を交わすどころではなかったからだ。還内府の補佐は、ある程度事情と方向性を飲み込んでいるものなら誰でもできる。だが、還内府の代理は知盛にしか務まらない。いつもなら自分がやっていた役目は全部知盛に任せたから、見事なすれ違い生活ぶりだった。
昨晩は、そんな中でようやく取れた、わずかな休みだった。知盛のしつこさは予想外で、体は予定以上にだるいが、精神的な疲れは取れた。自分が安定している事を、ぼんやりと自覚する。
始まりからして、知盛と寝ることはそうだった。知盛との初めてのセックスは、形こそ紛れもなく強姦だったが、あの夜がなければ今の自分はいないだろう。知盛の体温が ─── それが無理やり与えられたものであっても ─── 自分をこちら側につなぎとめた。
(……まぁ、今となったら、それだけじゃねえんだけどな……)
それだけではないということを、昨日の夜にはっきりと自覚した。この新発見を喜んでいいのか悲しむべきなのかは微妙なところだ。実際どうなんだ?と自分でも思う。
知盛とのセックスがこんなにも心地良いのは、いわゆるつり橋効果なんだろうと、ずっと思っていた。もともと自分の性癖はノーマルだ。知盛は確かに別格だが、それがセックスの理由にはならないだろう。明日が知れない身で、いつ戦場で倒れてもおかしくない状況にいるから、こんなにもこの男が愛しく、失いがたく感じるのだろうと、ずっとそう思っていた。
(違ったんだなあ……どーなんだよ、それって)
和議が成ろうという今、自分を縛るのは、今までとは違う緊張状態だ。交渉と駆け引きの連続は、それはそれでキツイが、今までよりはずっといい。戦で死ぬ人間の数を考えなければならないことに比べれば、この程度の緊張状態はなんということもない。知盛が、いついなくなるかを考えずにもすむ。
そう、考えなくていいのだ。こいつはどこで死ぬつもりなんだろうかなんて、もう考えなくていい。こいつが死んだあとの兵力や、兵の士気や、自分の弱り具合まで計算に入れて進路を選ぶなんてことは、もうしなくてすむ。自分とこの男を縛っていたつり橋効果は消えた。それは、こらえても涙が滲みそうなほどの安堵だった。
だから、もしかしたら、ただ酒を飲んで終わるかもしれないと、昨日の晩の始めの内は思っていた。だが、飲み始めてみれば、まだ二杯目も飲み干さないうちに早々と寝所に引きずり込まれ ─── そして、口付けを交わしたときには手遅れだった。
心臓に、火が灯ったようだった。喉が、甘すぎて焼けるようだった。喪失の恐怖が遠ざかり、安らぎの中で交わしたキスはたまらなく甘かった。知盛に触れられるだけでおかしな声が出て、なのにそれを抑える余裕もなく溺れた。つり橋効果はむしろ、この男に溺れる自分を押さえるためにあったんじゃないかと思った。そのくらい愛しかった。
触られて、舐められて、啄ばまれて、噛み付かれて、今までは保っていられた最後の理性の一筋まで、残らずはじけ飛んだ。ドロドロに溶けそうな快感の中で、知盛の眼だけが鮮やかだった。意識を失うほどに責め立てられ、強すぎる快楽のあとでも、手の中に残っているのは安らぎだった。
つまり自分は、どうしようもなく好きなのだろう、この男のことが。戦場の緊張感など関係なかった。一晩触れ合っていただけで、ひと月あまりの精神的疲労があっさり取れるくらいだ。溺れてしまっている。
(どーしたもんかな……)
閨では何も隠せない。まあ、閨に限らず、知盛には大概のことは隠せないし、隠す気にもならない。昨夜の自分がどうだったかなど、知盛にはバレバレだろう。そう考えると、ちょっと頭を抱えたくなる。
(……あー、やめやめ。考えても仕方ねえよ。まぁ、なるようになるだろ……)
腰の上に置かれた知盛の手の暖かさが心地良い。
将臣はあっさりと思考を諦めて、再びの眠りへと落ちていった。
すうすうと規則正しい寝息を立てる男を腕の中に囲って、知盛は微かに笑った。
散々好き勝手されたなどと、寝言のように苦情をいっていたが、その原因が自分にあることなど、将臣は知らないのだろう。
今までどれほど快楽へ引き摺り落としても消えることのなかった、将臣の目の奥の悲痛が、昨夜はきれいに消えていた。痛みの溶けた目で、安堵した顔で、こちらを誘って甘い声を上げた。あっけなく快楽に落ちて、「とももり…っ」と、こちらの名を呼ぶことしかできぬほどに溺れた姿を見せられれば、手加減などできると思うほうがおかしい。
将臣を絹で包むように慈しみたいと思うときもあるが、力ずくで引きずり倒して泣き喚かせたいと思うときもある。どちらも矛盾せず己の中にあって、どちらの感情のほうが強いということもない。それでも今まで手加減してきたのは、将臣の精神状態を慮ってのことだ。
還内府は揺らげない。将臣が迷えば平家が迷う。その重圧の中では、さすがに、思いのままに貪る気にはなれなかった。ある程度の距離を取ってやらなければ、将臣は自ら離れただろう。崩れ落ちてしまう事を恐れ、立ち上がれなくなる事を怖れて。
(……だが、手加減してやる必要は、もはやなくなったのだろう……?)
くすりと知盛は笑う。
今まで手加減してやった分も合わせて、将臣には存分に代価を支払ってもらおう。いっそ立ち上がれなくなるまで、溺れさせてやりたい。
「今まで散々お前に付き合ったんだ…。今度は俺に付き合ってもらうぜ……?」
囁きは、朝の静けさの中で甘く香って、溶けていった。
薄暗いのばかり書いていたので、甘いのを書きたい!と思って頑張った話です。甘くなった気はするけど、将臣の苦労度が上がった気もします。