死すら恐れぬ願いがありますか、還内府殿。



夜の帳



 厳重に人払いされたその部屋には、ひざまずく数人の男たちと、一人の青年がいた。青年は歳若く、覇気に溢れ、誰もが自然と眼を奪われるような輝きがあった。
 男たちは、青年の前にひざまずきながら、思い切れずにいた。決意を固めてしまうには、あまりに青年はまぶしかった。失いたくないという思いが、堪えてもとめどなくあふれ出る。男たちはみな、かつて、はぐれた者だった。道を学び、見えざるものを見、ただ人ならぬ力を手にしながら、帰る場所をなくした者たちだった。泥にまみれて野垂れ死ぬところを、青年に拾われた。青年はまるで、手のひらに乗せるようにひょいと男たちを拾い上げ、朗らかに笑った。その時から男たちは、血の一滴のつながりもなくとも、一門に連なるものとなったのだ。
 青年の望みが、他のものであればよかった。死ねと命じられるのならばよかった。男は初めて青年を恨んだ。
「 ── 還内府様、本当によろしいのですか」
「ああ、始めてくれ」
「ですが、御身を失えば平家は…っ!」
 いい縋った男に、蝶紋を背負う青年は、宥めるように微笑んだ。
「大丈夫だ、知盛がいる。俺だってタダでこいつをくれてやるつもりはねぇからな。できる限りのことはしてから、知盛に任せていくさ。心配すんな、大丈夫だ」
 男は、言葉を返さなかった。その場に集まったほかの男たちもまた、苦しみに耐えるように顔を伏せた。あなたの代わりなどいないのだと、あなたでなくては駄目なのだと、口にしてしまうことができたらどんなに楽だっただろう。
 だが、誰もが唇を噛みしめ、頭を垂れた。己の胸をとんとんと叩いて見せた青年に、彼らがこれ以上とやかくいうことはできなかった。己の命一つでどれだけの者を守れるかと、そう混ざりない眼で問うたからこそ青年は一族の総領であるのだ。その誇りを、決意を覆すことは、何者にも許されない。
 青年は、作られた祭壇と、描かれた陣の上に立った。



 源氏の守りを破れる神様がいると聞いた。
 神様なんか当てにしてどうする。これは人間の戦だぜ。そう笑い飛ばそうとして、将臣は失敗した。今まで何人もの刺客が頼朝の首を狙い、果たせず死んだことを将臣は知っていた。源氏には加護がある。人ならぬものの絶対の加護が。
 頼朝の首さえ落とせれば、いま一度福原にみなを帰す事もできるんじゃないか。このままでは南に落ち延びるしかない。全員がついてこれるか?無理だ。平家としてしか生きられない奴もいる。なにより、南にまで追っ手が来ないという保障はどこにもない。こちらには帝と、欠けてしまってはいるが、三種の神器があるのだ。
  ──── せめて、福原に戻ることができれば。
 そう考えた時にはすでに、自分は選んでいたのだろう。



 将臣が目を開けたとき、そこは漆黒の世界だった。
「おーい、どこにいるんだよ、神様ー?」
 気軽な声に、くつりと闇が震える。それはまるで内臓のように生々しく、温かさすら感じられる空間だった。
「おいおい、神様の腹の中とかいうオチじゃねえだろうな」
 食べられるのは困る、とぼやけば、闇がうぞうぞとうごめいて将臣の手を取った。
『小さきものよ』
「おっ、あんたが神様か?早速会えるとは、ツイてるな俺」
『小さきものよ。何ゆえ神を呼ぶ?』
 闇は将臣の手を握ったまま、たんたんと告げた。
『小さきものよ。神の力はその身に余る』
 将臣は何となく、自分の右手を握っている塊のような部分に、左手を重ね合わせた。懇願したいのか、それとも神と会えたこのチャンスを逃がしたくないのか、それは自分でもわからなかった。
 将臣は本来、こういう呪術めいた力は好きではない。肌に合わないといってもいい。明らかに自分のものではない力を使うことに、気持ち悪さのようなものがある。
 けれど、どこかのエライ人もいっていたではないか。目には目を、歯には歯を。それなら神様にはやはり、神様を、だろう。
「俺はあんたと契約がしたい。この身に余ってもいいからさ、力を貸してくんねえかな」
『小さきものよ。大いなる力は大いなる禍』
「ああ」
『小さきものは滅びる』
「わかってる。それでも俺には、あんたの力が必要なんだ」
 闇は、少しの間、静まり返った。それはまるで神が呼吸を止めたようだった。やはりここは神様の体内なのかと考えていると、闇がするりと首元に迫ったのがわかった。
 いや、首ではない。
『小さきものよ。その身に二つの契約は宿らない』
「二つって……ああ!?これか?」
 闇がそっと触れたのは、耳についた宝玉だった。
「まいったな……これは勝手についてきたもんで、俺がつけたわけじゃねーからな…。外し方がわかんねぇ」
 がしがしと頭をかけば、闇はあっさりといった。
『破棄することはできる』
「マジで!?じゃあ、頼むわ。これ破棄してくれ…あー、まてまて、破棄するっつっても壊すんじゃなくて、元の持ち主のところに戻して欲しいんだが、できるか?」
『できる。だが、小さきものは加護を失う』
「ああ、わかってる」
『小さきものは一切の加護を失う。小さきものが手にするは大いなる禍。加護はなく、祝福はなく、契約が果たされし時まで、終焉のみがその身を守る』
 詩を読み上げるように、神様が未来を告げる。将臣は柔らかく笑った。
「ああ ──── ……わかってるよ」
 源氏の守りに対抗できる神様がいると聞いた。古き星の血を継ぐ自分ならば、契約を交わす事もできるかもしれないと。契約は、神子とは違う。こちらから持ちかける約定なのだから、人は対価を支払わなくてはならない。
『小さきものよ。始まりの問いに答えよ』
「始まりの問い?なんだそりゃ」
『何ゆえ神を呼ぶ』
 将臣は瞬いて闇を見た。何ゆえ?そんなことは決まっている。理由はただ一つだ。
「それは、さっきもいったぜ。必要だからだ。あんたの力が、俺には必要だ。理由はそれだけだ」
 闇が伸び縮みするように波打つのがわかった。眼前に迫り来るようなその勢いに、思わず眼を閉じる。生暖かい闇の手がするりと伸びて、耳を撫でるのがわかった。
 そして、己が八葉でなくなる瞬間を、将臣は理解した。

『小さきものよ。契約は交わされた。大いなる禍とともに戻るがいい』




 目を開けたときに、目の前に知盛がいるというのは、なかなかスリリングだ。
 ましてその眼が、殺気に染まっているとなれば、なおのこと。
「……よう、知盛」
「お前を殺してやりたいよ、有川」
 物騒な言葉は聞かなかったことにして、ぐっと膝に力を入れて立ち上がる。一瞬立ちくらみのような感覚はあったが、それ以上の異変はなかった。まだ時が来ていないということだろう。
 無言のまま通り過ぎようとすれば、知盛に腕を掴まれた。力の入っていない、軽い捕らえ方だ。だが将臣は振りほどかなかった。
「 ─── なぜ、こんな愚かな真似をした」
 おまえまで神様と同じ事を聞くんだなと言いかけて、将臣は口をつぐんだ。軽く首を振って、いつも通りの声を出す。
「平家を頼む」
「俺が……お前の言葉など、聞くと思うか」
「お前以外の誰にも頼めねえ」
 わかってるだろ、と声に出さずに呟いた。
 わかっているのだ、知盛は。清盛も惟盛もいっときの生に過ぎず、忠度では年老いている。この先一門を率いていけるのは、平知盛か還内府しかいなかった。
 そして還内府は、その命運が尽きることが、いま決まったのだ。
「有川」
 呻くような声で、知盛が名前を呼ぶ。この声に呼ばれるのは結構好きだった。おそらくは、自分以上に自分を理解しているこの男が、かなり好きだった。
「平家を頼んだぜ」






 風を切り裂いて、大太刀とともに突っ込む。チャンスは今しかなかった。知盛を死なせるわけにはいかない、間に合わせなくては。
 振りかぶり、振り下ろす。同時になにか柔らかいものを切り裂いたのがわかった。
「まさかっ!!」
 景時の慌てた声が耳に入る。それでも頼朝は余裕の顔で自分を見ている。絶対の加護に自信があるのか、と思った瞬間、大太刀が何か硬いものにぶつかって跳ね返される。とっさに周囲に眼をやったが、かの神の姿はない。来るまでもない、ということだろうか。だが、その油断が命取りだ。
「神様、力を貸してもらうぜ!」
 契約を、と叫んだ瞬間、大太刀が揺らめいた。漆黒の霧が纏わりつき、白刃のきらめきが沈んでいく。将臣はそれを目の端で捕らえて、そのまま横薙ぎに振り払った。ガラスが割れるような音が響き、ついで男の顔に驚愕の色が浮かぶ。
「頼朝様!!」
 細身の剣であれば、まだ防ぎようがあっただろう。だが将臣の大太刀は、その切っ先がかすめただけでも致命傷を作れるほどの重さがある。まともに受ければ、そこが急所でなくとも助からない。
 将臣は、荒い息を吐いて、血に染まった男を見下ろした。
「……かえり、ない……ふ…、か……」
 男は確かに一瞬、笑ったようだった。将臣は無言で、その首を薙いだ。感慨は特になかった。今まで幾度もしてきたことだ。それにまだ、大物が残っている。
 ゆらりと空間が蠢き、ひずみから女が現れる。血の気の引いた顔で、震える唇で、吐息のような声で男の名を呼んだ。返る声は、むろんどこにもなかった。
 将臣は息を整えて剣を構えなおした。こちらを向いた女は、とても神には見えなかった。だが美しい化粧は一瞬で崩れ去り、精神ごと割るようなきいんとした音が響き渡った。
 息が詰まるほどの憎悪をぶつけられて、将臣は一歩下がった。だがそれ以上は下がらない。下がるつもりはない。
「これで終わりにしてやる…、何もかもな!」
 神様!と将臣は再び叫んだ。
「もう一回力を貸せ!あれを滅ぼす!源氏と平家の争いは、ここで終わらせる!それまで付き合ってもらうぜ…!」
 そして大太刀は、再び漆黒に揺らめいた。





 将臣は月を見ていた。満月というには少しだけかけている、けれどそこが逆に温かみのある月を眺めて、盃の中の酒を飲み干す。

 還内府が源頼朝の首を上げたことにより、戦況は一転した。平家には還内府が倒れても平知盛がいるが、源氏に頼朝の代わりはいない。血ではなく規律を基盤に新しい国を作ろうとしていた頼朝は、それゆえ明確な後継者を持たなかった。血を分けた親族や、妻である北条の家にしても、頼朝が倒れた後に誰もが認める存在はいなかったのだ。平家との戦で功績を挙げた九郎義経とて、兵に認められるだけでは頼朝の後は担えない。
 源氏が後継者争いでもめている間に、平家は福原を奪い返した。兵力差は変わらぬままだったが、手柄争いに乱れた源氏を破ることは、還内府を元にまとまった平家には容易かった。また、頼朝の首を上げたということで、平家の兵たちの士気は常ならぬほどに高く、特に還内府直属の者たちはみな、鬼神のごとき働きをした。
 ……還内府が、何を頼朝の首と引き換えにしたか、彼らは知っていたのだ。

 福原の屋敷から月を見上げて、将臣はふと眉をしかめた。
「屋島のときも思ったが、あっちはまだ、急ごしらえの陣だったから仕方ないとして、ここは福原だぜ?そんなにうちの警備は甘いのか?それとも実は忍者だったりするのかよ?」
「実は警護の皆さんにお薬を少々……」
「盛るなよ」
「冗談ですよ」
 冗談に聞こえねえんだよ、と思いながら、将臣は頬杖をつく。目の端で揺らめいた影は、徐々に人の形を取る。だが、その顔がはっきりと見えないのは、相変わらずだ。こんなにも月が明るいというのに。
「そっちは片付いたのか」
「ええ。……最初は嫌がっていましたけどね…。意志を継ぐと、いってくれました」
「意志?」
「よい国にしたいそうです。争いのない国に」
 それが頼朝の意志だったとはとても思えないぜ。そう心の中で呟いて、将臣は盃をあおった。
「申し入れの件はどうなってる?」
「もう少し待って下さい。必ず、いい返事を返しますから」
「急いでくれよ」
「ええ、わかっています」
 残された時間は少ない。せめて和議を結ぶまではもってくれるといいが。そう思いながら、将臣は月を仰いだ。あの夜よりも、今夜のほうが月が優しく見えるのは、自分の心がそれだけ落ち着いているということだろうか。
 あの屋島の夜。先ほどと同じように、影を縫って男は現れた。そして将臣にいったのだ。源氏の加護を破ることができる方法を、自分は知っていると ─── 。



『神の名を、僕は知っています。あなたが望むなら、契約を交わすことが可能かもしれない』
『……なぜそれを俺に話す?』
『鎌倉殿の船に、奇襲を仕掛けるつもりなのでしょう?今の状況で、勝機を見出すとしたらそれしかない。鎌倉殿が戦場に出てきてくれたこの戦が、最初で最後の機会だ。僕なら迷わず総大将の首を狙います。けれど……奇襲は失敗しますよ。鎌倉殿には神の加護がある。今のあなたでは、無駄死にするだけです、還内府殿』
『質問に答えてないぜ?なぜ、それを俺に話す』
『……僕は戦を終わらせたいんです。ですが、鎌倉殿は戦場を広げようとしている。それも、九郎を餌にしてね』
『 ─── まさか、平泉か!?』
『鎌倉殿が出てきたのはそのためですよ。狙いはもはや平家ではない。だから……、あなたは僕の申し出を断ることができるんです。逃げてしまえば、おそらく源氏の追っ手はかからない。ですが……、あなたがより多くの者を救いたいと願っているなら、僕と手を組んでください』

 男は一度も、有川将臣を見なかった。最初から最後まで、還内府を相手に話をしていた。それは男の唯一の贖罪だったのかもしれない。

『 ──── 死すら恐れぬ願いがありますか、還内府殿』



 将臣は盃を置いて、ごろりと寝転んだ。見上げる月はオレンジ色で、夜を優しく照らしている。
「……二人とも、心配していましたよ」
「帰れそうか?」
「こちらに呼んだ者の、力が戻り次第というところですね……」
「話すなよ」
「……何をですか?」
 空の盃を手の中でもてあそんで、将臣はたんたんと告げた。
「もし、あいつらが帰るときまで俺がもたなくても、何も話すな」
「……僕が君を利用した事を、二人は知る権利があると思いますが」
 将臣は影に向かって、思い切り盃を投げつけた。
「ふざけんな。利用された覚えなんざねぇし、そんなくだらねぇ事をいうような馬鹿と組んだ覚えもねぇよ。罪悪感があるっつーなら一生黙ってろ。そんでその分行動で返せ」
「…君は、優しいですね」
「頭に花でも咲いたか?つーか、用がそれだけならもう帰れよ。いつまでもいると斬られるぜ」
「ええ、そのようですね……。帰ります。まだ、やるべき事が残っているので」
 将臣は手をひらひらと振った。影が闇へ溶けていくのが、気配でわかる。ほんとにあいつは忍者か?鞍馬の天狗はリズ先生じゃなくて弁慶だったのか?などと考えていると、傍に置いてあった酒瓶がすっと空に浮かぶのがわかった。
「……盃をもってこいよ」
「お前が投げたのを拾いに行けと?」
 面倒だ……と呟いて、知盛はそのまま口をつけた。惟盛に見つかったら卒倒されそうな光景だ。いや、有川将臣の悪影響が!とヒステリーを起こされるかもしれない。
「有川」
「んー?」
「殺してやろうか」
「やなこった。つうか、お前は、そんな優しげーな声で物騒な事をいうんじゃねえよ」
「病で朽ち果てるよりは、ひとおもいに散ったほうが、武士としては本望……ではないか……?」
 真顔で首を傾げる知盛に、将臣は頭を抱えた。
「おまえ、どこから突っ込めばいいんだよ、それは。疑問系でいうな、疑問系で。首傾げるくらいなら俺にいうな。てめぇで納得してからいえよ」
「クッ…、俺が武士に……見えるか…?」
「うん、そうだな、お前が武士だったら全国の武士の皆さんが可哀想過ぎるよな。って、そうじゃねえだろ!」
「うるさい……」
 お前が言い出したんだろうが!と殴りたくなるところを、ぐっと我慢した。以前ならともかく、今は知盛と殴り合いをできるような体力はない。正確にいえばあるけど勿体ない。
「有川……」
 知盛は、隣に座り込んで、空を見上げたままいった。
「耐え切れなくなったらいえ。殺してやる」
「だからお前は……」
 そんな優しい声で、そんなことをいわなくていい。将臣は無言で瞼を閉じた。
 茶吉尼天を封じたあの時から、将臣の時間は終わりに向かっている。砂の城が崩れていくようにゆっくりと、全身から力が失われていくのがわかる。そう遠くないうちに、終わりのない闇が自分を迎えに来るのだろう。
 殺してやる、と囁く知盛の声は優しい。誰よりも怒っていたくせに、最後には認めてくれる。将臣の覚悟も、決意も、受け入れるだけの度量がこの男にはあるのだろう。殺してやろうかと呟くのは、厳重に隠してある怯えまで理解しているからだ。死にたくないと、覚悟を決めてもなお、そう思ってしまう自分を知盛は知っている。
 だが、どれほど見透かされているのだとしても、頷くつもりはなかった。
 最後の最後まで、自分は笑ってみせる。己の決断に一片の悔いもないのだと、晴れやかに笑いながら逝く。何があっても後悔など見せない。する気もない。


  ──── 死すら恐れぬ願いがありますか、還内府殿。


 あの夜、自分はあると答えた。
 叶うのならば、自分の命を捨てても構わない、そんな願いが確かにあったのだ。


「いい…月夜だな……」
「ああ……。いい夜だ」


 嘆きも泣き声も聞こえてこない。誰もが穏やかに眠りに落ちる、そんな夜だった。










す み ま せ ん ! ! ! 最初の一文をふと思いついて、つい書いてしまいました。前々から十六夜ルートの将臣に頼朝を倒させたあげたかったんですが、気づけばこんなことに…。