「しかしこれは、なんとも雅な……」
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「やめてくれ……」
父上が青ざめた顔でおっしゃる。私は何を咎められているか分からなくて、そっと首を傾げた。
「いかがなさいましたか、父上?」
「ちがうだろ、惟盛!」
父上がいきり立って床を蹴る。挑みかからんばかりの姿勢で私を見下ろされるが、その気色はひどく悪い。
「父上?御加減が悪いのですか?」
「俺は重盛じゃねえ!お前の父親じゃない…っ!わかってんだろ、惟盛!?」
ああ、そんなことであったのか。私は父上を宥めるように頷いた。
「わかっております。わかっております。父上が記憶を失われていらっしゃることは、私も存じております。どうかご心配なさいますな」
「やめろっ!!」
叫ばれて、私は瞬く。私はなにか、父上の不興を買うような真似をしてしまっただろうか?
「やめてくれ…、冗談だろ、惟盛…?俺をからかってんのか?ははっ、趣味、悪いぜ……」
父上が、かすれた声でおっしゃる。お体の具合が悪いのではないだろうか。私は心配になった。無理をなさっているのではなかろうか。疲れが溜まっているのやもしれぬ。あとで皆と話して、父上の負担を軽くするよう計らなくては。父上のお守りするのは、子の務めであるのだから。
私は父上をお守りする。このお優しく、美しい方をお守りする。今度こそ、この方がこの方自身の慈悲で身を損なわれることのないよう、私が傍らで務めなくてはならない。
「……俺は、重盛じゃない。有川将臣だ。お前だってずっとそういってきたじゃねえか!本当は、わかってんだろ?」
「ええ、父上。申し訳ございません。わかっていたのです。私ははじめから真実を知っていたのです」
私は深く頭を下げて、父上にわびた。
「長らく真実を受け容れられなかった愚かな私を、どうかお許しください。父上が真に父上であること、私はとうに気づいておりました。いいえ、父上が私の前に現れたあの時から、私は知っていたのです」
迷い込まれたといって、夜の庭に姿を現されたあの時から。
「御姿を一目見て、父上だと分かりました。お祖父様よりも誰よりも、私こそが、もっとも早く、真実父上であることに気づいていたのです」
「なにを、いって……」
「ですが愚かな私は、受け入れられませんでした。父上が私に御声をかけてくださらなかったこと、私に親しくなさらなかったことばかりに拘り、父上は本当の父上ではないのだと思い込もうとまでいたしました。すべては、私の愚かな妬心ゆえでございます」
月明かりのもとに現れた父上は、不安を押し殺した眼で、周囲を見回していらっしゃった。記憶を失くされて、どれほど恐ろしい心地であられただろう。けれど父上は、怯えた様子を表には見せず、ただ強く、鋭く、真っ直ぐであられた。それを見て私は、密やかに、ああと感嘆の吐息を零したのだ。
父上であった。私が父上を見間違うはずがない。父上が帰ってきたのだ。
だが、私は愚かにも、己の確信を否定し続けた。私はかたくなな子供のようであった。愚かにも、私一人を見て下さらぬ父上を恨みに思っていた。
それを、いつから受け入れられるようになったのだったか。私はふと、きっかけを思い出そうと試みたが、叶わなかった。
日々の流れとともに、私の心はゆるやかに傾斜していった。それは不安定に揺れていた己が、落ち着きを取り戻そうとするように。私の視界は徐々に開かれ、私の心は静やかに満たされていった。
父上が御声をかけてくださるたびに、私の不安は失われた。
父上を父上と認めてゆくたびに、私は安定を取り戻した。
なのに、なぜであろうか。父上は私を、深い嘆きの目でご覧になる。
「本気、なんだな…」
「父上?」
深く悔いているような御声であった。それでいて、ひどく口惜しがっているご様子でもあられた。父上は己が左手でその両の目を覆い、微かな声でつげられた。
「それがお前の真実か」
私には分からない。父上は何を嘆いておられるのだろう。これほど美しい春のもとで。
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惟盛BADEND(重盛END)