「なんとも奇妙な心地がするものよ」



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 ふふと、彼は堪えきれず相好を崩した。
 殿、と密やかな声で時子にとがめられ、彼はコホンと咳払いをした。決して、笑ったわけではない。ただ少し、微笑ましかっただけである。
 経正の奏でる調べに寄り添って、満開の桜の下で、二人の青年が舞っている。ときに扇を合わせ、ときに扇を重ね、ときに背を合わせて、ときに手を重ねて。それは見るものの目を奪う美しい光景であったが、よくよく見れば、片方の青年がややぎこちないのが分かるだろう。
 ぎこちないというよりは、必死だ。もう片方の青年が優雅で、こぼれる息まで美しく彩るのに比べると、片方の青年の動きは、こういってはなんだが、まるで太刀を振り下ろしているようである。
 舞扇は風を奏でるものであって、風を斬るものではない。たぶん。
 しかし青年が、今日の祭事にあわせて一生懸命練習していたことは彼もよく知っていたから、決して稚拙さを笑ったわけではないのだ。繰り返すが、微笑ましかっただけである。もっといってしまえば、頑張っている我が子はほんに可愛いのう…という親馬鹿に尽きる。
 それに彼は、幸せであった。青年が舞を習ったのは必要だったからで、なぜ必要かといえば、それが貴族の教養というものであったからで、そして貴族の教養を必要とする程度には、福原は平和だった。
 かつて青年が真っ先に覚えたのは、剣の握り方であり、戦のしのぎ方だった。その青年が、今では舞と歌に四苦八苦している。その姿に彼は、深い安らぎを覚えていた。
 かつては死に瀕していた福原の都は、今では落ち着きと活気を取り戻している。
 帝は重んじられ、貴族と武士はそれぞれの知と武を磨いている。
 「こんな苦労をするくらいなら、南の島に行きたかったぜ…」とぼやく我が子は、もう一人の我が子に容赦なく貴族のたしなみを叩き込まれては、何度も逃亡を図っている。
 ときには彼も青年と一緒にこっそりと邸を抜け出すことがあった。下町に下りて出店をのぞき、あつあつの炙り肉を食らって、土産に装飾品でも買っていくか……と相談していたところを、捜索に駆けずり回っていた郎党と、額に青筋を浮かべた我が子に見つかってしまい、強制送還された事もある。「供の者もつけずに、たった御二人で、平家の大殿と若殿が何をなさっておいでですかな……?」と凄惨に微笑んだ知盛はなかなかの迫力があった。それでもなお逃げようとした青年も、我が子ながらあっぱれである。残念ながら、背後に回りこまれていた郎党たちに捕まって、涙ながらに「供の者も連れずに出歩くのはおやめください!!お忍びで行かれるのでしたら、せめて我らに御声をかけてくだされば…っ!我らはそれほどに、殿にとって信頼の置けぬものでございましょうか…!」と訴えられて、あえなく敗北していたが。
 楽の音が終わりに向かう。青年の顔にちらと安堵が浮かぶのを見つけて、彼はまた微笑んだ。
 きっと青年は、楽が終われば盛大に息を吐き、せっかくの正装を無造作に脱いで、楽な格好になって酒を飲もうとして、周りの者たちに止められるのだろう。今からその光景が眼に浮かぶようだ。
 堅苦しいのは苦手なんだよと、ぼやくだろう我が子に、さてなんといってやろうか。たしなめるべきか、擁護してやろうか。考えながら、彼は春の香りに眼を細めた。
 美しい春だ。彼は心から満たされた思いで、幸福を感じていた。



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清盛GOODEND(平家安泰END)