「気に入ったぞ!持ち主に告げて、これを譲ってもらおう」



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 何度目を閉じても、瞼の裏が赤い。
 言仁の目の前には、粗末な墓があった。清められ、花を添えられてはいるが、石を置いただけのその場所は寒々しい。とても、平家の総領を弔うにふさわしい場所とは思えない。
 だが、仕方がないのだろうか。ここにかの人はいないのだから。
「帝、こちらにおいででしたか」
「六代か」
 父君に良く似た、繊細な面立ちの少年が駆け寄ってくる。言仁はまた、視線を墓標に戻した。
「帝はよせといったであろう」
「はっ、申し訳ありません」
 六代がかしこまる。言仁を帝と呼ぶのは、六代だけではなかった。他の大人たちもみな、言仁を帝と呼びたがった。このような最果ての地では、そんな呼称は物の役にも立つまいと思う。それでも彼らが自分を帝と呼びたがる気持ちは分かったし、分かるからこそ言仁は諌め続けた。
「いつか必ず、その名を取り戻す」
「はい」
「だからその日までは、言仁と呼べ」
「はい、言仁様」
 申し訳ございませんでしたと、六代が再度頭を下げる。言仁はただ、海風に晒される石を見つめ続けた。
 ここに還内府殿はいない。
 南を目指すといったのは還内府殿なのに、そこで皆で幸せに暮らそうと笑ったのは還内府殿なのに、その亡骸さえ連れてくることができなかった。源氏の矢は雨のように降り注ぎ、源氏の太刀は飢えた野犬のように食い下がった。還内府殿はしんがりを守って戦い、自分はそれを女房たちの衣の隙間から見ているしかできなかった。
 還内府殿に突き刺さった矢の数を覚えている。
 還内府殿の体を抉った太刀の色を覚えている。
 怒号と、悲鳴と、その中でも懸命に指示を振るう還内府殿の横顔を覚えている。還内府殿が一瞬だけ確かに自分のほうを見て、安心させるように笑んでくれたのを覚えている。
 雨のような矢と、獣の牙が、還内府殿を切り裂き、無数の傷の重さに耐えかねたように、膝をついた姿を覚えている。
 そしてその瞬間に、還内府殿の胸を貫いて、陽の元にきらめいた切っ先を、生涯忘れることはないだろう。
 あの時自分は、悲鳴を上げたのだったか、それとも声もでなかったのだったろうか。還内府殿の体がゆっくりと傾ぎ、静かに命が失われる瞬間を。
 駆け寄ろうとした自分を、女房たちが懸命に押し留めた。味方からは悲鳴と怒声が上がり、首級を挙げようとする源氏たちと亡骸を奪い合った。すべては瞬き一つの出来事のようであった。駆けつけた知盛殿が、亡骸に群がる源氏どもを切り捨て、そして還内府殿の体を抱き上げて、海へと落とした。
 ……そうするしかなかったのだと、理解している。あのままでは還内府殿の身は奪われ、辱めを受けていただろう。あの状況下では、遺体を守りぬくことは不可能だった。
 だから、還内府殿は海に眠っているのだ。この石の下には、土くれがあるばかりだ。かの人を慕う者たちの元には、何ひとつ残らなかった。
 あの日からずっと、瞼の裏が赤い。還内府殿と、言仁は胸の内で呼びかけた。
(幸せになろうと努力はしたのだ。だが駄目だった。還内府殿を奪われたままで、忘れることなどどう足掻いてもできぬのだ)
 きっと、還内府殿がこの決意を知ったら、怒ってしまわれるだろう。かの人が命と引き換えに導いてくれた安住の地を、自ら捨てようとしているのだから。
 だが、どれほど考えても、ほかにこの痛みを埋めてくれるものが見つからなかったのだ。
 源氏と、京の貴族たち。平家一門を追いやり、還内府殿を死なせた全てに ──── 復讐を。
 頼朝が父の敵を討ったと誇るなら、我らもまた、一門の恨みと絶望を果たしに行こうではないか。



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帝BAEND(仇討ちEND)