何故、お前だったのか。
復讐を誓い、憎悪の炎獄に住まいながらも、なお、思わずにはいられなかった。
何故、お前が俺を陥れた。
例え、お前とメルセデスが結ばれていても、そこになんの謀略もなかったなら、俺はきっと祝福できただろう。待っていてくれと望むにはあまりに長い時が過ぎ、この心もかつてとは遠く離れてしまった。救いより絶望を選んだこの身に、愛情の灯はもはや宿らない。
親友のお前が、メルセデスと結婚して、彼女を守り、慈しみ、幸福な家庭を築いた──── ただそれだけが真実の全てであったなら!
俺を裏切ったのはお前だ。ダングラールでもヴィルフォールでもない、お前だけが俺を裏切った。
フェルナンとエドモン 2
まず目に入ったのは、浅黒い肌だった。鍛えられた筋肉を覆う、よく日に焼けた肌。それから、厚い胸板を包む白いシャツが目に入った。それはどこか、既視感を感じさせる姿だった。そして伯爵は視線を上げ、凍りついた。
「──── っ!」
ただただ怯えていた心が、一瞬で変貌した。憎悪は凄まじい勢いで一気に膨れあがり、伯爵は声も出なかった。憎悪と、侮蔑と、嫌悪と、絶望と、ありとあらゆる感情が体中を駆けめぐり、最後には怒りとなった。生命力そのもののような、激しい怒りの火を心臓に抱いて、伯爵はその男を見た。
髭を剃り髪を切った男は、ずいぶんと若返って見えた。灰色だったはずの髪は黒く染まっており、白いシャツにズボンというありふれた格好をしているせいもあって、一目見ただけでは、クーデターの主犯とは気づけないだろう。だが自分にはわかる。この男が重苦しい礼服を着ていなくとも、わからないはずがない。むしろ懐かしささえ感じた。凍てついた憎しみの息吹と共に、「懐かしい」と、滴り落ちる悪意のような声で、伯爵は胸の内に呟いた。
(だが、この男がここにいるということは)
今度は私が復讐される側になったということか。伯爵は冷めた目で考えた。アルベールや、他の巻き込んだ人間にならともかく、この男に復讐されるというのは全く持って納得がいかないが、納得のいく復讐など存在せぬのだから仕方あるまい。伯爵は始めから正義など信じていなかったし、自分には復讐する権利があるのだとも、別段考えていなかった。
したいから、せずには一秒たりとも生きていられぬと思ったから、したのだ。人に切っ先を向けた以上、それが返ってくるのも自明の理であった。
だがもちろん、やすやすと復讐を遂げさせてやるつもりはない。この男にこの上、己の人生を破壊されてなるものかと伯爵は思った。もしもこの男ではなく、アルベールか、あるいはフランツが現れて、お前を苦しめたいのだといったなら、恐らく伯爵はなんの抵抗もしなかっただろう。だが現れたのは、かつての親友、かつての大統領候補、そして今では惨めな反逆者に転落したはずの男だった。
伯爵は、優雅に彼に笑いかけた。
「これはこれは、モルセール閣下。ああ、いまでは、元閣下でしたな…」
「………っ!!!」
男の体がぶるぶると震えているのを、伯爵は侮蔑を込めた目で眺めた。
が、しかし、伯爵が理性を保っていられたのは、そのときまでだった。なぜなら、元閣下は。
「エードーモーンーーー!!!」
伯爵の鼓膜を突き破らんばかりの大音量で叫ぶなり、伯爵に向かって突進し。
「うわっ!!?」
「よかったー!!よかったー!!目が覚めたんだなー!エドモンー!!」
伯爵をその厚い胸板で窒息死させんばかりの勢いで、がばりと、抱きついたからだ。
「なっ、なんのつもりだ!?」
「エドモン、ほんとによかった!!まったくお前ってやつは、いつも俺に心配ばかりかけて!!」
「ちょ…、離せ…!」
「離すものか!お前は二年も眠ってたんだぞ!それも、死んでるみたいな状態で!もう二度とお前が目を覚まさないんじゃないかと、俺は、俺は…!」
「……く、苦しいから…ほんと…、に…、はな……」
伯爵が、これが復讐なのかこれが!?と、いささか間の抜けたことを考えながら気絶しそうになった瞬間、身の内のもう一人の意志がもぞりと動いた。
(──── 厳窟王)
呼びかけに答えるように、もう一人の意志は額に輝き、伯爵は体がふっと軽くなるのがわかった。目を開けてみれば、フェルナンは壁に叩きつけられている。
「…いい気味だ」
つい、本音が漏れてしまった。しかし未だに頭は混乱している。
状況を整理しようと伯爵が額に手をやった時、視界の隅でフェルナンが動くのがわかった。回復の早いやつめ!と、伯爵は引け腰になったが、今度は男は向かってこなかった。冷たい床の上にズルズルと座り込み、張りつめた目で伯爵を見上げた。
「──── やっぱり、恨んでるよな」
「まさか」
伯爵は、ふっと微笑んだ。
「恨むなどという、優しい感情ではありませんよ。モルセール、元、閣下」
元を強調していってやる。5歳児でもわかるレベルの嫌みだ。今度こそ撃ち殺されでもするかと、眉一つ動かさないまま思案した伯爵に向かって、男はゆっくりと居ずまいを正した。
そして、いきなり床に手をついて、頭を下げた。
将軍がこんな人になってしまったのは、将軍にキスミントを投げつけたいとかいってるうちの相方のせいです(笑)