春の歌


 春の雨が降っている。
 緑のひとひらに絡みつく雫、堅いつぼみの上で砕け散る光、そして柔らかく腐敗した土に帰る水の音。それは世界の再生を喜ぶ歌だ。
「風流でありますなァ」
「………」
「いやあ、まったく持って春の雨は美しいであります!まさに生きてるって感じであります!」
「……………」
「でもでも、この寒さだけはなんとかなんないかな!我輩うっかり冬眠しそうなんだけど!」
 いった途端に、丸い銃口がめりっとケロロの顔面にめり込んだ。先ほどから必死でたき火の小さな灯りを守ろうとしていたギロロの腕が、疲労とは別の意味で震えている。
「貴様という奴は〜!!」
 地の底から響き渡るような低い声である。いつもなら慌てて場を取り繕うケロロだったが、今回ばかりは別だった。
「何すんのよギロロ!我輩が何でここに来たかわかってんの!?我輩が何で寒い思いしてると思ってんの!!」
「わかるかあー!このぼんくらめ!」
「ひどっ!我輩助けに来たんでありますよ!?この敵まみれの戦場に!我輩一人でギロロを助けに来たんであります!ギロロはもっと我輩に感謝し敬うべきところでありますよ!」
 赤の赤い顔が、さらに赤くなり蒸気を噴き出すのをケロロは見た。
「助けに来ただと…?」
 怒り心頭したギロロの声は、ちょっとだけ兄・ガルルに似ていた。その低さとか、背筋をはい登ってくるような凄みとかが。
「わざわざ前線に戻ってきて…、ようやく安全ラインまで下がることができ…、これから隊の立て直しを図るべき時に…、隊長の貴様がわざわざ前線に戻ってきて……、ああ、確かにな、一人で戻ってきたな、6発で弾切れになる小銃を一つしかもたんで戻ってきて途端に飛行ユニットを流れ弾に当てて大破して戻ってきたな!」
「いいじゃん!大事なのは気持ちであります!我輩のハートでありますよ!」
「貴様のハートはガンプラだけだろうがあああ!!『ギロロ死ぬ前に我輩のガンプラ返してえ!あれレアものなんだからもう手に入んないのよ、ねえちょっと聞いてるギロロー!』などど大声で喚きながら戻ってきおってええ!!恥ずかしくて死ぬかと思ったわ!」
「やっだなあ、ギロロってば大げさなんだから〜。そもそも我輩の心の聖域を没収したギロロが悪いんでありますよ〜」
 アッハッハ〜と軽いノリで手を振れば、今度は顔面に押し当てられた銃のセーフティが外れる音がした。みれば赤い顔に赤黒い血管が浮かんでいる。
「せっかく俺が部隊を立て直す時間を稼いだというのに…、無駄に戻ってきおって…!貴様には責任感というものがないのか!部隊をどうするつもりだ!」
「だあいじょおぶ、だああいじょおぶ。タママとクルルがテキトーにやってくれてるでありますから、我輩達はとりあえず無事帰還することを考えましょ?ね?」
 我輩一人じゃ絶対ヤバイ予感するから、ギロロくん頑張って!とは、口に出さないで置いたのだが、付き合いの長い幼なじみには透けて見えていたらしい。
「まったく…!わざわざ足手まといになりにきおって、バカめ…!」
 半分は本心で、半分は素直じゃない感謝を聞きながら、ケロロは心の中で嘲笑した。
(ゲロゲロリ、わかってないでありますなあ)
 小さな洞窟の中で、小さなたき火ににじり寄りながら、全身に無数の傷をおっている友人を盗み見た。
(もちろん我輩は足手まといになりに来たんでありますよ。だって我輩ろくに重火器扱えないしね。次元転送の訓練もさぼりまくってたから、取り出せるのは小銃くらいだしィ)
 ギロロがいなければ、ケロロは確実に死んでいるだろう。
 そして、ケロロがいなければ、ギロロもそう長くは持たないのだ。





 今回の作戦を簡潔に述べるなら、二手に分かれた陽動作戦だった。
 2部隊のうちの1部隊が敵を誘い出しているうちに、背後にもう1部隊が回って敵の本陣を叩く。作戦自体はごくありふれたもので、特に難しいところはなく、敵の情報や惑星の環境からしても、失敗のないミッションだと思われた。
(ゲロォ…背後の事情さえなければ、らくーにいけたんでありますが…)
 ケロロが任されたのは陽動部隊、そして本隊の指揮官は名前の売れた「バカ」だった。血縁のコネだけで地位を手に入れた、何とも羨ましい、いやいや迷惑千万な男だ。そんなやつと組む仕事はいやだいやだとごねてみたものの、ならば指揮官だけ他のだれかに任せようかと話を持っていかれては、いかにケロロといえども諦めるしかなかった。ケロロにとって自分の部下は基本的に自分のものである。誰にもあげない所有物である。
(しっかしあのバカボンめ、なんにもしないで逃げ出しやがって、羨ましいなチクショウー!!)
 陽動部隊が行動を開始しても、本隊がいっこうに動かず、ようやく動いたかと思ったらすぐに通信が途絶えたのだ。慌ててクルルに連絡を取らせれば、バカ隊長が怪我をしたのでひとまず後退すると返ってきた。あぁ、あの時のクルルは本当に恐ろしかった!声しか聞こえないのに、心臓をぎゅっと握りしめられて『いつでも潰せるんだぜぇ』と囁かれているような恐怖を味あわされた。ケロロに向けた感情ではないのに、余波だけで息が止まりそうになるくらいのざらついた殺意だった。
(クルルは、ああみえて、本当に意外で意外でビックリ仰天するほど意外ではありますが、仲間思いでありますからな)
 身内に対する保護意識は、案外ギロロと張るんじゃないかと思っている。もっともクルルが身内と認識するのは、ごくごく一部の仲間だけなのだが。
 本隊が撤退するのはいい、それは隊長の権限内のことだ。だがろくに戦いもせず、なんの連絡もなく逃げられて、前線に残された陽動部隊はどうすればいいのだ?あくまで陽動のためだからと、人員も装備もギリギリまで削られているというのに、無傷の敵の本隊と戦えというのか?「もっと人手と金を増やしてほしいであります!」というケロロの訴えを、ごちゃごちゃと理由をつけて退けておいて。手柄を独り占めしたくて、こちらの邪魔ばかりしておいて!
(今さら我輩達だけで戦えっていうんでありますか。へえ、ふうん、あ、そう。ちょおっとそれ、ふざけるんじゃねえでありますよ?)
 クルルが激怒するのはよく分かる。許されるならケロロだって怒り狂って喚き叫んで不貞寝でも決め込みたい。
 けれど、そんなことをしている間にも、ギロロは戦っているのだ。怒って喚いて時間を無駄にしている間でも、ギロロは傷を増やしていくのだ。最前線で、後ろを守りながら、ケロロの命令を待っているのだ。
(ギロロだって、少しはわかってるはずでありますよ)
 何があって自分たちがこんな目に遭っているのか、いかに鈍いギロロでもうすうすは察しているはずだ。それでも赤色の幼なじみは何もいわない。自分と仲間と敵のことしか見ない。ケロロに背を預けて戦い続ける。
(……じゃあもう、我輩決めるしかないじゃん。不貞寝するひまないじゃん。赤いのが一刻一秒も疑わないで、我輩の判断を待ち続けちゃってたら、すっげー面倒だけど決めるしかないでありますよ) 撤退を。
 そして勝利を。
 生き残るだけではダメだ。敗戦の責任を押しつけられることなど目に見えている。だから、敗北より生存より難しい道を、あえて選ぶしかないでしょうがと、ケロロはうんざりしながら思う。問題児ばかりで、能力的には最高だけどまとめるのは一苦労なこの部隊を率いて、生き残りつつ勝つ。
 面倒だなあ嫌だなあとくだを巻きながらも、ケロロは命令を下し、そしてある意味では非常に予想通りの事態が起こったのだ。
 

 ──── しんがりを努めていたギロロが、敵を引きつけるために単身で飛び出していったまま、部隊が安全ラインを確保してもなお戻ってこない。





 幼なじみに足りないのは、楽をしようという心意気だ。
 真面目で頑固で融通が利かなくて。
 だからきっとギロロは戦場で死ぬだろう。殺したように殺されてしまうだろう。戦場から目を背けることの出来ない親友は、いつかそこに飲み込まれるだろう。
 でもそれは、今ではない。
 自分がいる、今ではないのだ。
 少なくとも、自分が指揮官としているかぎり、あの男をみすみす死神の手に渡したりなんかしないのだから。







「おい、ケロロ。これを持っていろ」
「げろぉ?我輩、箸より重いものは持てないでありますよ」
 渡されたサブマシンガン、通称G6を両手で抱え込んでケロロは情けない声を上げた。
「それにこれ、我輩が持ってたら、ギロロはどうするんであります」
「心配ない、俺は次元転送でいくらでも取り出せるからな。貴様もきちんと訓練を受けていればもう少しマシだったろうに…」
 瞬時に取り出したG6を両手に構えて、ギロロが嘆く。ケロロはふーっと肩をすくめて、首を振った。
「人それぞれの適性というものがあるのであります。だからこれはギロロが持ってるでありますよ」「こんな時まで怠けるな、この大馬鹿者が!そんな小銃一つでは自分の身も守れんだろうが!」
 仁王立ちになって怒鳴りつけてくるギロロを、ケロロはちらりと見上げた。心配されているのはよくわかる。わかるのだが、多少腹立たしくもあった。
「まだ、血の止まらない傷も目につくというのに、人の心配するなんてほんとバカ、救いようのない大馬鹿でありますなァ」
「……丸腰で前線に戻ってきた貴様にだけはいわれたくないぞ」
「だぁーって、ギロロ、さっきからその銃しか出してないじゃん?」
 そう指さしたケロロの目は、愛するガンプラを破壊されたとき並みに据わっていた。
「出せないんでしょ?次元転送ってあれ、いろいろ理屈こねちゃいるけど、結局は精神感応でありますからね。いまのギロロじゃ、その愛用の銃を呼び出すのが精一杯ってところでありましょう」
「いまは体を休ませているだけだ。下手な気を遣うな、必要ならいくらでも呼び出せる」
 ギロロの顔に動揺はなかった。単純で考えが顔に出やすい男なのに、こんな時だけ沈黙している。洞窟の外で降り注ぐ、春の雨と同じように、優しそうに見えて冷たい静寂だ。
(アァ、なんてひどいやつでありましょうな)
 だらしない親友には全幅の信頼を寄せるくせに、自分自身には小さな価値しか見つけないで、戦うことが自分の領域だと言い張ってくる。
「ギロロこそ下手な嘘をつくんじゃないでありますよ。普段なら出せない武器はないくせに、なんでありますかこのていたらくは。今は我輩見たくないから見せろとはいわないけど、その服の下、そうとうぐちゃぐちゃになってるでありますな?そのうえ薬飲みまくって一時的に体を回復させてるんでありましょう?」
 多少の怪我ではギロロの次元転送に対する感覚は狂わない。それほどの訓練と、実戦を積んでいるのだから。
「次元転送がうまくいかないのは、薬のせいでしょ。隠したってバレバレでありますよ。戻ったら覚悟しておくんでありますな!クルルのラボにつっこんで五体満足に回復するまで一歩も外に出してやんないからね」
 とうとう言葉をなくしたギロロは、きまりが悪そうにケロロを見つめてくる。その姿に、ケロロは大げさに溜息をついた。
「まー、でも、我輩の命はそんなギロロにかかってるんでありますから!我輩の帰りをガンプラが待ってるし!何がなんでも生きてかえるでありますよ!!」
 そう、ケロロの命はギロロにかかっているのだから。
 ギロロは絶対に死んではいけないのだ。死んではいけない、と思わなくてはいけないのだ。そのために、ケロロはここまで来たのだから。
(とりあえず時間を稼いで…あとはクルルのアタマを信じるしかないでありますなァ…。あーあ、やっぱりアイツも連れてくるんだったなー。トップになんかなるから悪いんでありますよ。アイツが平のままだったら使い放題だったのに!)
 心の中でぶつぶつと呟きながら、ケロロはギロロのサブマシンガンをぽいと投げ返した。ギロロが片手でなんなく受け止めたのを見て、ケロロはニヤリと笑った。
「ま、いざとなったらギロロにおんぶしてもらう予定でありますから、せいぜい体を休めておくでありますよ」
「なっ、なんで俺が貴様をおぶるんだ!」
「だって我輩か弱いし〜」
「キ〜サ〜マー!!!」







 あとはもう、時間との勝負。
 クルルの頭脳がチェックメイトをかけるのが先か、敵に囲まれるのが先か、それとも置いてきぼりをくらわせられた彼が追いつくのが先か。

 あるいは、戦場の悪魔が、緑色の相棒の指揮の下、死神の鎌をかいくぐって勝利をもぎ取るのが先か。


 勝負の行方は、死と再生の絡み合う春の歌が終わるまでの、永遠にも似たわずかな時間だけが知っていた。




 春コミで出した話を再録です。