夫婦日和



 淡い青色の空が、どこまでも広がっていく。気持ちの良い日だった。
 テント近くの窓の縁に腰掛けていたギロロは、武器を磨く手をふと休めて、空を見上げた。冬の終わりを告げる空は、むずがゆいほど優しい色をしている。
「イイ天気でありますなァ」
 隣でごろんと横になっているナマケモノが、間延びした声でいった。
「ああ、そうだな」
「まだ三日しかたってないのにねえ。冬樹殿も夏美殿もすっかり元気になっちゃって、ポコペン人の回復力には驚きでありますよ」
「ミサイルを顔面で受けても平気な貴様にだけはいわれたくないと思うがな」
 だが、ケロロのいうことはギロロにも良くわかっていた。ガルル小隊が撤退してから、まだ三日しかたっていない。それでも二人は、今日も元気に学校へ向かった。それは驚嘆すべきことだ。
(あのたくましさが、俺たちケロン人にもあれば……)
 自分たちは、侵略民族と呼ばれることはなかっただろうか。そんなことを考えて、ギロロは一人、首を振った。
(らちもない仮定だな)
 ケロンは昔から侵略民族だったわけではない。その逆だ。ケロンは常に侵略される側だった。補食され、虐げられ、支配され続けた。俗にいう『一億年の絶望』だ。
 『ケロン人は一億年の絶望を経て、自らの腰まで浸した同胞の血肉を、刃へと変えることに成功したのだ……』そう書いたのは、どこの軍事主義者だっただろうか。
「もしも我々が、夏美殿くらい頑丈だったら、侵略なんかしないでこーやってノンビリしてたかもねェ」
 心を読んだかのようなケロロの言葉に、ギロロはそっけなく答えた。
「今でも十分ノンビリしているだろうが」
「んまーね。ポコペンはガンプラ天国でありますからなぁ。我輩にとってはまさにパラダイス!過酷な侵略作戦の中できらりと光る一粒のガンプラでありますよ!」
「どこが過酷な侵略作戦だ!貴様の考えはいつもいかに怠けるか作戦だろうが」
 まったくと、忌々しげに武器を磨くギロロに、ケロロは小さく笑った。
「ねぇ、ギロロ」
「今度はなんだ」
「我輩もねえ、このガンプラ天国で、少しは丸くなったと思うんでありますよ」
「少しどころか総崩れだろうが。それも昔からだ。貴様はちっとも変わっとらん」
「アッハー、酷いこというな赤いの。我輩は丸くなったの!ガンプラの温泉につかって身も心もリフレッシュしたの!」
 ギロロは思い切りうさんくさそうな顔をして、ケロロを見た。
「それで?」
「だからぁ、我輩もー、ポコペンにきて丸くなったからぁ」
 言葉を切って、ケロロはギロロを見た。寝転がった横着な姿勢のままで、ギロロを見上げていった。
「昔いったことは、忘れてもいいでありますよ」
 ギロロは意味を問わなかった。問うまでもなかった。だから、代わりに、武器を拭く手をとめてケロロを見返した。その真意を探るために、ギロロはじっとケロロを見つめた。
 ケロロは、意外なほど穏やかだった。のんびりと寝ころんでいる姿は、いっそ頭痛を覚えるほど無害に見えた。
 だが昔、悪魔のような目をしてギロロに約束を望んだのも、この幼なじみだったのだ。



『ねえ、ギロロ。あいつを殺してよ』



あれは、ケロロが隊長になった日のことだ。
 『一億年の絶望』の間に、幾度となく独立を試みては、そのたびに指導者を殺されてきたケロンでは、リーダー的存在にクローンが用意されるのはごく一般的なことだった。当然のことといってもいい。兵隊ならば代わりがきくが、旗を失えば全てが終わってしまうのだから。もともとケロン人の身体は敵対種族に比べて頑強ではなかった。身体能力を補うために多くの兵器が開発されたのと同じに、体の脆さを補うためにクローン体が用意された。クローンが用意されるというのは、それだけその人物に価値があり、失えない存在であるという証でもあったから、それは胸を飾る勲章と同じように、名誉であると認識されていた。忌避する者は少なく、そもそも、忌避する者に隊長の資格はなかった。自分が死んだ後のことを考えない者に、部下を持つ資格などない。それがケロン軍人の常識だった。
 だが、ケロロは違った。
 あの日、ケロロが隊長となり、クローンが用意されると決まった日、ケロロはギロロの部屋を訪ねてきた。
『ねえ、ギロロ。我輩はギロロの大事な幼なじみでありますよね?』
『なんだ、昇進祝いならもう買ってやっただろうが』
 コレクションの中でも特にレアもののサーベルを、ギロロはすでに前日に渡していた。オマケとして、三ヶ月も前からケロロが『武器なんかいらねェヨ!そんなのよりこれ!これ見てギロロ!我輩これが欲しいの!!』と雑誌をぐいぐい押しつけて迫っていたガンプラもつけてやって。もちろんケロロは真っ先にオマケの方の包みを開けて大喜びしたので、ギロロは無言で本命の方のプレゼントを首に突きつけてやった。
 それをもう忘れたのかと睨み付ければ、ケロロはへらりと笑った。
『もちろん覚えているでありますよ〜。だから、ねえ、ギロロは我輩のことが大事でありますよね?』
 ケロロの様子が、いつもと違うと気づいたのはその時だ。
 てっきりまた何かねだりにきたのだろうと思っていたのに、ケロロの顔にそんな余裕はなかった。余裕がないということに、ギロロは事態の異常さを悟った。
『ねえ、ギロロ。ギロロは我輩のこと好きでありますよね?』
 ─── あの時自分は、マグマのようだと思ったのだ。かつて倒した敵性宇宙人の中に、火を吐く獣がいた。その獣は殺されかけながらも炎を垂れ流し続け、しまいには自らの腹を割いて業火を産んだ。それは怒りであり憎しみの炎で、水も風も呑み込み、ギロロ達を嘲笑うかのように地表を舐めていった。その時のケロロの声は、その業火のようだった。
 追い詰められた者の、怒りと憎しみに満ちていた。
『ケロロ、何があった?』
『ねえ、ギロロ。我輩のことが好きなら、我輩と約束をして欲しいであります』
『約束?』
『もし我輩が死んだら、我輩のクローンを殺して欲しいであります』
 あの時、ケロロがどんな顔でそういったのか、ギロロは覚えていない。ただ、唐突な言葉に、ひどく動揺した。
『お前っ、なにを…!』
『だって、ねえ、許せないじゃん?我輩が死んだ後で、我輩の顔をした奴が、我輩の顔をして、我輩のものを全部持っていくなんて。絶対いやでありますよ。我輩のものは我輩のものであります。それともギロロは、クローンをケロロって呼ぶわけ?我輩じゃないのに、幼なじみだっていうわけ?』
『いや、それは……』
『それはなによ?どーゆうつもりよ?』
『それは…考えたことがなかった…』
『はああ?』
 疑いのこもったじっとりとした眼差しに、ギロロは慌てて言い募った。
『貴様こそよく考えてものをいえ!俺は機動兵で貴様は隊長だぞ!貴様に万が一があるとすれば、その時には俺は先に死んでるに決まってるだろう!俺が貴様のクローンと会うことなど、まず考えられんわ!』
 ケロロはなぜか、がっくりと肩を落とした。
『あー、やんなっちゃうよねー、この赤ダルマ。赤ダルマっていうよりアホダルマ。気が抜けるっていうか、なんていうかさあ…』
『なんだと!!』
『じゃあ、ギロロが生きてたらでいいよ。生きてなかったら、我輩も我慢するでありますよ。だから、ねえ、約束してよ、ギロロ』
 子供のような言葉で、ケロロは約束をねだった。それでもギロロには、親友の内側にある業火が見えていた。
『我輩は、本当に嫌なんでありますよ。ギロロもタママも、ゼロロもクルルも、もちろんマイコレクションのガンプラも、みーんな我輩のものであります。ぜんぶぜんぶ我輩のものであります。それを、我輩が死んだら、我輩のクローンが全部かっさらっていくなんて、絶対許せないんでありますよ』
 ケロロの声は微かに震えていた。それは紛れもなく怒りのせいだと、ギロロにはわかっていた。
『ねえ、ギロロは我輩のことが好きでありましょう?』
『──── ああ』
『じゃあクローンのものにはならないで』
 じっと、ケロロはギロロを見つめた。射抜くような鋭さで、焼きつくすような力で。

『ねえ、ギロロ。あいつを殺してよ』
 悪魔のような目をして、ケロロはいったのだ。





「でもまあ、我輩もポコペンにきて丸くなったし〜、クローンも会ってみたらそんなやな奴じゃなかったし〜」
 やな奴じゃなかったというよりは、クローンも自分のものとして認識したんじゃないのかコイツは、とギロロは内心で毒づいた。
 この幼なじみは自分のものを奪われることに対しては激しい敵意を燃やすが、自分のもの同士が仲良くなることに対しては寛容なのである。昔からそうだ。物心ついた頃には勝手に自分のもの認定されていたギロロには、それがよくわかっていた。
「だから、ギロロも、あの話は忘れてもいいでありますよ」
 忘れてくれとはいわない辺りがケロロだと、ギロロは深い溜息をついた。
(どうせ、本当に忘れたら、後でぎゃあぎゃあ喚くんだろうが)
 ひどいひどいと騒ぎ立てることなんて、目に見えている。なんでこんな奴と幼なじみなんだろうかと、ギロロはかなりうんざりした。ケロロの欠点を言い表す言葉なら星の数ほどあるが、一言でいうなら、この幼なじみは「厄介」なのだ。
「忘れるなどという前に、貴様こそ正確に記憶しておけ。俺は、約束するなんて、一言もいわなかっただろうが」
「あり?そうでありましたっけ?」
 全く覚えていませんという顔をするケロロに、ギロロは手入れの行き届いた銃口を突きつけた。
「そうだ」
「ちょ、ギロロ、危ないからこっち向けないで!はさみの先を人に向けちゃいけませんっていわれたでしょ!はさみじゃないけどはさみより危険だから」
「俺は殺さないといったはずだぞ、ケロロ」
 怒りはなく、ただ静かにそういえば、ケロロは困った顔をした。
「ウーム、赤ダルマはクソ真面目で困っちゃうでありますなァ」
 ぎろりと睨み付ければ、ケロロはハイハイと肩をすくめた。
「忘れちゃいないでありますよ。でも、あーんな昔のことだから、ギロロの答えも変わってるかナ〜って思ったんだけど、やっぱり変わってないのね」
「当たり前だ。昔も今も、この先も、変わることはないと思え」
「この先もねえ……。ほんと、しょーがないなあ、ギロロは。ギロロみたいな厄介者とつきあえるのは、我輩くらいなものでありますよ」
「それはこっちの台詞だ!!」
 頭に血を上らせて怒鳴りつければ、ケロロはなぜか、嬉しそうにゲロゲロと笑った。



 ─── けれど、悪魔のような目をして約束を求めるケロロに、ギロロはきっぱりと答えた。
『それはできん』
 親友の内側で、憎しみの火がいっそう広がっていくのがわかった。だがそれでも、ギロロは頷くことはできなかった。
『俺は殺さない』
『……どうしてでありますか』
『生きているからだ。お前の、クローンも』
 その頃すでに、戦場の悪魔と呼ばれる身だったけれども。でも、だからこそ、ギロロは殺さない。生きているものを、私情で殺めることは決してない。
『敵でなければ、俺は、生きているものは殺さない』
 その決意を翻させることは誰にも不可能だ。ケロロでさえ。
 それはケロロにもわかったのだろう。幼なじみは一瞬苦痛に満ちた目をして、それからそっと視線を外した。
『ケロロ、でも、俺は、お前のクローンを隊長とは呼ばないぞ』
 顔を背けてしまった幼なじみに、ギロロは宥めるようにいった。
『俺は、お前のものでいてやるから。もしもお前のクローンが隊長になることがあったら、俺は軍を辞めてもいい。俺だけは、ずっと、お前のものでいてやるから、それで我慢しろ』
 ケロロは、しばらく黙った後で、ぼそりといった。
『………バッカじゃないの。赤ダルマに軍人以外できるわけないじゃん。我輩が死んだら、ギロロはカンペキ路頭に迷うね』
『フン。お前こそ、クローンの方が有能だといわれないように、せいぜい今から頑張っておくことだな。死んだ後で悔しがっても無駄だぞ』
『でも、ギロロは、クローンがすっごーくデキる男だったとしても、我輩のほうがいいんでありましょう?』
『そんなことはいっとらんわ!捏造するな!俺は、仕方ないから、お前のものでいてやるといっただけだ!!』
『アーアー、しょうがねえなァ、赤ダルマで我慢するかァ』
『キ〜サ〜マ〜!!』





 スパコミで出した話を再録です。