炉と鉤と囲炉裏 2




 望む全てを手に入れられる人間など、どこにもいない。



 神谷が草薙の家に住み始めてから二週間後、馬鹿でかい屋敷を含む広大な敷地の一角に、小さな小さな家ができた。
 それは草薙からすると「押入れより小さい」とのことだったが、日本で言うなら標準サイズの一戸建てである。なんだってそんなものができたかといえば、あまりにだだっ広い家の中では落ち着かないと神谷がいったからだ。
 うっかりしていたと、その日のうちに出来上がってしまった家を見ながら、神谷は額をおさえた。
 頭が痛い。
「そりゃ確かに、いいましたけどね・・・・」
 だからってなにも本当に作ることはないじゃないかと、疲れきった顔で呟く。
 いまさら言っても無駄なことは十分わかっているし、そもそもこの家の人間の金銭感覚はおかしいので、抵抗するだけ無駄なのだ。
 とりあえず、夢だと思うことにした。夢だと思えば怖くないし。



 新しく出来た、その草薙いわく『小さな箱みたいな』家に神谷が移り住む、となるとどうしても問題があった。
 この家を造ったとうの草薙が、どうするかである。
 わざわざ造ってもらって住まないなんてもったいないことが神谷に出来るわけがなかったが、そうなると草薙とは一種の『別居』になってしまう。契約違反になるんじゃないだろうかと神谷は悩んだのだが、問題はあっさり解決した。
 草薙があっさりと新しい家に移り住んだのだ。
「やっぱ普通じゃねえ・・・・・」
「んー?どうした神谷?」
「驚きを通り越して呆れてるんです」
「・・・・なにが?」
 さっぱりわからないという顔の草薙に、神谷はもう何十回目かの溜め息をつく。
 それは確かに勝手にイメージを作っていた部分はあるかもしれないが、がしかし。
 大金持ちというのはもっと違う世界に住んでいるものじゃあないだろうか。
 いや確かにこの男も違う世界といえばあまりに違う世界に住んでいるのだけれど、それは神谷の描いていた大金持ちイメージとは全く別のもので。
(この人どこでも生きていけそうだよな・・・・・)
 生命力が強いということではない。その逆だ。まるで固執がなくて、自分の命すら大事に出来てなくて、荒野でも平気そうだ。
 いつ死んでも構わなそうだから。
 たとえ今この瞬間に荒野にその身一つで放り出されても、顔色一つ変えずにいるんじゃないだろうか。水も食料もなにもなくて死ぬしかない状況でも、普段となに一つ変わらずにいるんじゃないのかと考えると、殴りたくなってくる。
「大金持ちっていうのはもっと、適応性のない人種だと思ってましたよ・・・・」
「適応性?ああ、家がでかくないと駄目だったりか?ブランド物の服以外は着ないとか?」
「悪かったですね、どうせ想像力がありませんよ」
「いや、そういうやつもいるんじゃねえ?俺は別に、どうでもいいけど」
「またそれですか・・・・」
「だってほんとのことだもーん」
 なにがだもーんだ、と口には出さずに毒づく。
 草薙のどうでもいいは、本当にどうでもいいのだから手におえない。
 今だって暇そうに、皿を拭く神谷をぼんやりと見ている。触れても来ない。
 こんなのが社長で会社は本当に大丈夫なのかと、他人事ながら心配になってしまう。
「早死にしますよ、そんなんじゃ」
 神谷が小さく呟くと、緑がかった目が気だるく宙をさまよう。
「・・・・・よく、いわれるよ」
 うんざりした声音に、神谷は内心苛立ちを感じずにいられなかった。
(卑怯じゃねえか)
 なんなのだろう、その空っぽさは。生まれる場所は選べない、そんなことはわかっている。だけどそれでも。
 悔しくてならない。
 なんなのだろう、その傲慢さは。自分で理解していない分、腹立たしい。
 ずるいと思うのは、ただの弱さだろうか。羨んでるだけの、敗者の言い分だろうか。
(卑怯だ・・・・・)
 なにもかもどうでもいいと草薙はいう。それでは、必死で生きてきた自分はなんなのか。
 泣きかたさえ捨てた、なにもかも捨てた、誇りも喜びも捨てて命にしがみついた、必死で生きてきた。死に物狂いだった。
 後ろを振り向けばもう進めなくなると知っていたから、そうなにもかも振り捨てて生きてきた。生きてきた。それだけが唯一の誇り。
 それをこの人は駄目にする。
 何にも価値を見出せないこの男は、神谷の唯一の誇りを傷つける。気づかずに。
 必死で生きてきたことだけが唯一のより所なのに、草薙はそうと気づかないうちにそれを否定する。そんな権利がこの男のどこにあるのだ。
 帰りたいと、思いかけて慌てて首を振る。そんな負け犬のようなことは出来ない。





 その日は久しぶりに昔の夢を見た。










 その次の日も夢を見た。














 その次の次の日も見た。飛び起きて、気づくと、暴れながら悲鳴をあげる体を誰かが必死で抱きとめていた。

 誰かなんて、一人しかいない。
























「おまえ、いったい何を考えているんだ?」
 怒りを通り越して呆れの滲んだ顔で、岩上は背もたれにだらんと寄りかかっている幼馴染を見た。
 昼間からやる気がないのも、仕事が溜まるまで何もしないのもいつものことだ。それくらいならわざわざオフィスまでこない。
「うちの研究室にまで散々無茶を言ってくれて、危うく有能な社員に一人やめられそうになった。オイ、聞いているのか京!」
 ぼんやりと外を見ている草薙に、岩上は書類をデスクの上に叩きつけた。
「タイムマシンを創れだ!!?お前の気まぐれにうちを巻き込むな!他人も巻き込むな!田辺に毎度毎度泣きつかれる俺の身にもなれ!!なんだって俺がお前のとこの社員に縋りつかれなきゃならないんだ!!」
 朝出社するなり研究室の主任が青い顔で辞表を提出し、理由を尋ねれば『お得意様の機嫌を損ねてしまった』ときたものだ。確かに岩上グループと草薙一族は古くからの知己で、権勢を誇る草薙一族の総帥の要望にこたえられなかったとなれば、誰かが首を出さなければならない程度には重大だ。
 しかし岩上は、その総帥の性格をよく把握していた。二十年以上の付き合いだ、その気まぐれをまともに取り合うほうが馬鹿を見るということはいやというほど理解している。
 宥めすかして辞表を下げさせ、出向いてみれば今度は草薙一族の開発部のホープに半泣きで縋りつかれた。行く先々でむさくるしい男どもに縋り疲れれば、いい加減ストレスが溜まるというものだ。
「どうせまたいつもの気まぐれだろうが、欲しがるならせめて現実的なものにしてくれ」
「タイムマシンが欲しいんだよ」
「京、いい加減に」
「・・・・・・でも、駄目かもな・・・・・・・・過去を変えて今が消えるだけか・・・・・・・・ちくしょう」
「京悟?」
 ようやく振り返った草薙の目は、見たことの無い色をしていた。
 常に気だるそうに細められる目に、だらしなく伸ばされる手足に、初めて生気が通っていた。
(いったい、なにが・・・・・・・)
 顔色一つ変えずに、だが岩上は内心ひどくうろたえた。それは恐れにも近いほどの衝撃だった。幼いころから徹底的に叩き込まれたポーカーフェイスに、このときばかりは感謝した。
「なにか、あったのか?」
 声を、震えずに出すのにひどく苦労した。問いかけはすでに問いではなかった。何かがあったのだ。 そうでなければ、この友人が、こんな物欲しげな目をするはずがない。
(欲しいだと・・・・!?)
 気づいて叫ばなかったのは奇跡に近い。指先が震えだしそうになるのを、必死に抑え込む。動揺を露にすることなど、岩上は己に許していなかった。
 けれどそれは、恐怖だった。自覚した。恐ろしかった。はじめて見る、草薙の意思というものが、信じられなかった。草薙京悟は繰り糸を持たない人形だった。少なくともこの二十五年、ずっとそうだった。
「神谷がうなされてる」
 独り言のように語る幼馴染に、気づかれないように息を整えた。それでもまだ、脈は速い。
「・・・・・・なあ、俺に手に入らないものはないと、草薙の総帥に叶わない望みはないと、昔っからいわれてきたけどな。時間だけは、駄目なんだな」
 虚ろに宙をみながら語る姿は、いつも通りの、草薙京悟だった。誰かを想うことからも、自分を想うことからも逃げつづけながらそれを自覚しない男の姿だった。
 その目が、誰かを想っていることをのぞけば。
「さすがに、今はまだ無理だろうな。第一、お前の開発部が無理といったらどこを捜しても無理だろうが。うちにまで話を持ってこないでくれ」
「万が一ってこともあるだろ」
 かすかに苛立ったように、草薙はデスクを指で叩いた。
「俺に手に入らねえもんはないと、そういったのはおまえだろう、順司」
「だから?責任をとれとでもいうつもりか?」
「取れよ。俺に叶わねえ望みはないはずだろう?時間一つ動かせなくて、なにがすべて思い通りになるだ」
 嘲う声に、一つ間をおいて告げる。
「頭を冷やすんだな。なにがあったか知らないが、お前らしくもない」
 その冷ややかな声に、けれど、永い長い間心を放棄しつづけた男は笑った。
「いいんだ。もう、いいんだよ、そんなことは」
 それは、初めて見る顔だった。
 巨大なバックグラウンドと、それを手足として動かせるだけの器をもちながら長い間人形として生き続けてきた男が、初めて、自らに血を通わせる。
 恐れと同時に感じた歓喜を、岩上は抑え込む。
(まだだ。まだ判断するにははやい)
 本当に、傷も痛みも覚悟の上で本当に生きようするならば、草薙は恐ろしく強大な力を手にして生きることになる。今まではなに一つ望まなかった機械は、だがその手にある力を知っている。ずっと知っていたのだ。今までは、どうでもよかっただけ。
 久しぶりに会った男は、人形であることも機械であることもやめていた。初めて欲したなにかのために、痛みを感じる人となった。
 流れる血を覚悟の上で、自らの手足に血を通わせてしまった。
「そんなことはどうでもいいんだよ」
 もどかしく言い募る姿は、同時に、力に満ちていた。まるで魔力のようだった。
 昨日の友が今日は敵になっていてもおかしくない世界で、敵に回せば恐ろしく厄介な男の目覚めを喜ぶというのもおかしな話だが、岩上が感じたのは間違いなく歓喜だった。
 敵に回してみたい、気すらする。
(だが、まだ駄目だ)
 判断にはまだはやい。



 草薙のオフィスをでて、藤長が待機していた車に乗り込む。
「このまま社に戻られますか?」
「いや、京悟の家にいってくれ」
 皮のシートに背をおいて、携帯をとり出す。
「木ノ内か?・・・・・ああ、俺だ。突然で悪いが、京悟の客に会えるか?・・・・・・・・・そうだな、あと二十分もすれば着く。・・・・・・・・・・わかった。そうしよう」
 携帯を切ってから、深く息を吐き出した。
 正直言って疲れたのだ。しばらく会わなかったからといって、二十年以上変わらなかった男がああも変貌していれば誰だって驚く。
 変貌といっても、岩上か、木ノ内くらいにしかわからない程度だ。それで十分だ。それ以上変わられた日には本当に息が止まる。
 少し間を置けば、歓喜はすぐに不安を生む。あの変化が、いったいどう影響してくるのかまるで読めない状況は、恐ろしくもある。それは否定しない。
 だが変化を恐れた瞬間から敗者になるのだ。岩上や草薙が生きているのはそういう世界だ。変化を見極めた上で支配できなければ上に立つ資格はない。
(それでも、まだ決断にははやいがな)
 会うまでは決められない。あれが吉兆なのか、それとも破滅への一歩なのか。
 後者は十分にありえるだろう。あの目は、そこにいない誰かをひたすらに見ていた。
 恋でもしているかのように。





 それが本当に恋だとしたら、草薙京悟には耐えられないだろう。

















 たぶんあと一話で終わると思うのですが、ごめんなさいまだ続きます(汗)
 岩上さんがですぎなのは京悟が悪いんです。京悟の内面が恐ろしく書きにくいせいです。私のせいじゃないんです!げふ!(射殺)
 ごめんなさいごめんなさい、でも大月はじめ様に捧げます。捧げるったら捧げるんです!へ、返品は却下!(死)いや、サクッと見なかったことにしてください・・・・