衝撃ノート 下
正直に、言おう。
俺はこの人が嫌いだった。
その実力と自信過剰と、全てを手にした顔で笑うその傲慢さが、大嫌いだった。
今振り返って考えてみればそれは幼稚な嫉妬でもあった。
けれどやはり、自分は、自分がいかに恵まれているかを知らない人間が大嫌いだった。
今もそうだ。
全てを手にした顔で笑うくせに、その目だけがいつも空っぽで、その目は常に自分を苛立たせたのだ。
それだけ恵まれているくせに、なにが不満なんだと、自分がこれほどに望んでいるものを手にしながら飽きているその傲慢さが許せなかった。
「恩田?どーした、ここ、皺よってんぞ」
「・・・・・・・・いえ」
神谷は、笑う。屈託なく笑う。けどそれは、子供のような無邪気さではなく、全てを飲み込もうとしている青年の笑い方だ。
だから、馬鹿馬鹿しいと思いつつ守りたいとさえ感じてしまう。
「おまえ、京悟嫌いだもんな」
さらりと言われて、返す言葉が見つからなかった。
気づかれて、いたのか。まずったと思う反面、やはりとも思う。
この人になら気づかれても、おかしくはなかった。
「・・・・・・・・・・嫌いですよ」
「そうか」
「なんで神谷さんが仲良くできるかわかりません」
言葉にしてしまうと、ひどく子供っぽく響いて恩田は渋面した。
「なんでだろーなあ?」
神谷は苦笑していった。
「似たもの同士だからかな」
反論する前に、神谷は監督に呼ばれていってしまったので、彼は心の中だけで呟いた。
(・・・・・・似てませんよ)
どこが似ているのか。
あんな、なに一つ失ったことがないような男に。
わずかな苛立ちを抱えながら、宿舎の廊下を歩いていたときだった。
ふと、人の争う声が聞こえた気がして、恩田は窓の外を見た。
三階から見下ろすと、銀杏の木に邪魔されて途切れ途切れにしか見えなかったが、そこになにがいるかははっきりとわかった。
マッチョの集団。
恩田は思わず物陰に隠れた。
(・・・・・・・・・・・・・・うわあ)
あれは、まさか、そうなのかあれが、噂に聞く。
神谷篤司ファンクラブ。
ガタイの良い男しか入れないという、恐ろしい集団。
(・・・・・・・・・・・・・本当に存在してたのか)
木ノ内が喜びそうなネタだなと思いながら、恐る恐る窓から下を見た。
どいつもこいつも無駄に筋肉がついていて、テレホンショッピングに出てくるアメリカ人のようだ。『HAHAHA、これで僕のボディも磨かれたんだヨ!』とかいってそうだ。
(・・・・・・・・・・・・・・・誰だ?)
誰かと争っているようだが、葉に邪魔されてその相手は見えない。
噂によると、何でも、誰かが神谷に近づきすぎると現れるらしい。嫌がらせをしに。
真っ先に思い浮かぶターゲットといえば斉木だが、あの人は今さら過ぎる気がする。むしろ連中と仲良くなっていてもおかしくないくらい年季が入っている。
(・・・・・・・・・・・・・・もしかして)
脳裏に朝の光景が浮かぶ。
だったらいいなーと淡い期待を込めて見つめ続けると、ふと、葉が揺れて、バンダナを巻いた茶色の髪が見えた。
(・・・・・・・・・・・・・よし!)
思わず拳を握ってしまった。
あの男なら、なんの問題もない。むしろ願ったりだ。
人の不幸を願うなんてずいぶん悪趣味だが、あの人なら多少痛い目にあってもいい気がする。うん、きっといい!
多少痛い目にあってもちょうど良い、いや釣りがくるくらいだ。
期待に満ちた目で下を見つめること数秒。
恩田の目に写ったのは。
茶髪の男ではなく、筋肉だけは気持ち悪いほどついた男のほうが、軽々と吹っ飛ばされる光景だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・え」
目を丸くした恩田の下で、立て続けにまた三人吹っ飛んだ。
「おー、よく飛ぶなあ」
「・・・・・・・・・・・い、岩上さん!」
いつの間にか隣には元帝光学園の主将が立っていた。
「あの蹴りを食らうとなかなか辛いんだよな。さすがに手加減はしてるだろうが」
「え、え、ええと・・・・・・・草薙さん、喧嘩、強かったんですか・・・・・・・・?」
恐る恐る尋ねれば、下で次々にマッチョな男たちを足一本で蹴り飛ばしている男の幼馴染は、あっさりと頷いた。
「手はなるべく使わないようにしているらしいがな。あの蹴りで相手を内臓破裂にまで追い込んだこともあったから、ま、足だけで充分なんじゃないか?」
充分も何も内臓破裂ってそれ殺す一歩手前っていうか立派な傷害罪じゃないですか、という言葉を恩田は何とか呑み込んだ。
あの草薙の幼馴染だけのことはあって、岩上もまともとはいいがたい。恐ろしく大雑把なところがある。
この人が平然としている限り、そこに疑問を挟むだけ無駄なのだ。
「ところであれはなんの集団なんだ?かなり見苦しいが。あれじゃ京でなくとも蹴り飛ばしたくなるぞ」
あっさり物騒なことをいう先輩に、恩田は疲れを感じながら答えた。
「・・・・・・・・・・・神谷さんのファンクラブだと思います」
「ああ!あれか!はー、すごいな、生でみるのは初めてだ」
そんな芸能人かなんかのようにいわないで欲しい。
疲れたため息を吐き出した恩田に、岩上がひどく楽しげにいった。
「なるほど。京がフクロにされるところがみれなくて、残念だったな」
恩田は、常日頃から無愛想だなんだといわれるが、それはつまり感情が表に出にくいのである。
そんな自分の性格に、今ほど感謝したことはなかった。
「・・・・・・・・・・・・いえ」
「誤魔化さなくていいさ、俺もみたかったな。あいつが負ける光景というのは、なかなか面白そうだ」
恩田はふと顔を上げた。
何かが引っかかった。岩上の言葉の中の何かが。
そう、まるで。
「・・・・・・・・・・負けたことが、ないんですか?」
「ないな」
それは、充分予想内の答えだったにもかかわらず、ひどい不快感をもたらした。
負けたことがない。
やはり、あの男はそういう存在なのだ。なに一つ、失うことがない。
肌がざわついた。深く息を吸って、冷静さを繋ぎとめる。
「なにか、誤解があるようだが」
「・・・・・・・・・・・・・いえ」
誤解などない、想像どおりだ。
短く首を振ることで否定すれば、岩上の目が猫のように細められた。
自然、恩田の体が引けた。この男が、こんな顔をするときは、ろくな事があったためしがない。
「・・・・・・・・・・なんですか?」
「負けたことがないというのは、常に最後まで奴が立っていたということだ。それだけだ。意味がわかるか?」
「・・・・・・・・・・・いえ」
「殴られようが蹴られようが、骨折られようがナイフで刺されようが、最後まで立っていれば負けにはならないだろう?」
恩田は思わず窓の下を見た。
いつのまにかマッチョの群れは姿を消して、茶色の髪が、葉と葉の間からわずかに見えた。
男が怪我をしているかどうかは、ここからでは見えない。
「最も、勝ちに拘っていたようには見えなかったがな。自分の怪我すら気にとめない奴だったが・・・・・・」
不意に岩上が笑い出した。
「・・・・・・・・・・・なんですか?」
「いや、自分の怪我にも気づかないほど鈍い男だったが、今はそうでもないらしい」
促されてもう一度窓の下に目をやると、日に透ける茶色ともう一人、黒髪の青年が見えた。
(・・・・・・・・・神谷さん)
どうも、怒っているらしい。
背の高いバンダナの男は、それを宥めているようだった。
忘れていた苛立ちが、また燻りはじめた。好き嫌いなんて、しょせん感情だからたいした意味はないくせに、感情だから手におえない。
不意に風が葉を揺らすのと、草薙が少し顔を上げるのは同時だった。
だが少し顔を上げただけの男からは、こちらは見えなかっただろう。恩田はとっさに手すりにつかまりながら、それに感謝した。
息を、ゆるく吐き出す。固まった心臓がようやく動き出して、血が全身を回った。
(・・・・・・・・・・・・・誰だ)
あれは一体誰だ。
あんな顔をする男をは知らない。あんな目をできる男など知らない。草薙は。
草薙京悟は傲慢な男だ。何にも価値を見出さず、空っぽの目で全てを見下していた。
(ならあれは誰だ)
あんな顔で。あんな目を。
あの人は、できたのか。
呆然と凝視する視線に気づいたのか、神谷が顔をあげた。
笑顔で手を振られて、つられるように振り返せば、殺気を感じた。
(・・・・・・・・・・・・・・殺気?)
誰だと考えるまでもなく、それは、神谷の横に立つ男のもので。
ものすごい目で睨まれていた。
「・・・・・・・・・・草薙さん?」
思わず名前を呼ぶと、草薙は一応、笑って見せた。
一応というのは、その目は相変わらず真っ暗で、口の端だけで作られた笑みは、日本にいながら北極の気持ちにさせたからだ。
(・・・・・・・・・・・・こええ!!!)
背中に冷や汗がだらだらと流れた。
(・・・・・・・・・・・・・・・ああ、でも)
そういう、ことなのか。
ひどく口惜しく、腹立たしく、それでいて笑い出しそうだった。
そうなのか。
あの人はなに一つ失ったことがないわけじゃなくて、失えるものすらなかっただけなのか。
全てを手にしていると思っていたのに、本当は、なに一つもっていなかったのか。
そしてあの男は、ようやく、幸せの意味と失うことの恐怖を、知ったのか。
前編とテンション違い過ぎでごめんなさい(汗)あんまりいちゃついてな・・・・ゴフゴフ!(吐血)
大変遅くなってしまいましたが、6262番をとってくださったはじめさんに捧げます〜!
こ、こんなんになっちゃってごめんなさい・・・!!(逃走)