雑音 3



「それでわざわざ呼び出したのか」
 運ばれてきたコーヒーに手をつけることなく、男はすまなそうな顔をした。
「全く、いい迷惑だぜ」
 だがそういう薬師寺にしても、すまなそうな困った顔をしている相手に強くはいえない。
 そもそも、諸悪の根源は目の前に座る男ではなく、その友人なのだ。
「それで、葛西は?」
「俺がいるとおまえが逃げるからっつって帰った」
 前田が半ば呆れたように説明すると、彼もまた小さく、だが深くため息をついた。




 四天王というたいそうな呼び名とそれに見合う実力を持つ三人を前にして、怯む様子もない坂本ははたから見ればいい度胸だったが、本人はそれどころではなかった。
 四天王の実力にも地位にも価値を感じないのは確かだったけれど、その性格は十分恐れるに足りるものだった。
 ここにいない男に向けて罵声と悪態を心の中だけでついて、坂本は小さく息を吐いた。
「でだ、坂本。なにが駄目なんだ?」
 あっさりとそう切り出した前田に、心底逃げ出したい気持ちになったとしても無理はないだろう。
 そんなあっさり核心を突かないで欲しい。
 何も考えていない顔で、いや事実考えていないのだろうけど、人が幾重にも隠そうとしているものを見破るところは、はっきりいって怖かった。
 それは同時に魅力でもあり、それこそがあの時前田を選んだ理由でもあることも、確かだったけど。
「・・・・・・言いたくない」
 我ながら子供じみた言い草だと思ったが、迷ったあげくにでてきたのはそれだった。
 誤魔化しが通用するとは思えなかったし嘘をつく気にもなれなかった。こんな他人事に巻き込んでおいて言いたくないで済ませてくれるかは謎だったけど、それでもこれが坂本なりの精一杯の誠意だった。

 流行りの音楽とともに手付かずのコーヒーが冷めていく。
 長く感じたけれど、実際は十秒程度だったかもしれない。呆れたようなため息とともに立ち上がったのは薬師寺だった。
「オイ、どこ行くんだよ」
「ああん?帰るんだよ、決まってんだろ。つき合ってられるかっつーの。俺は帰る。金輪際葛西の呼び出しなんか聞かねえからな」
「ズリィ!俺も帰る!!」
「しゃーねーな、俺も帰るとするか。お前らを野放しにすると危険だからな」
 やれやれと立ち上がった鬼塚に、薬師寺と前田が声を合わせた。
「「コイツと一緒にすんな!」」
「んだとこの野郎!」
「ああ?やんのかコラァ!」
「・・・・・・息ぴったりじゃねえか」
 呆れたように鬼塚はそう言って、いまだ座ったままの坂本を見た。
「なあ?」
 そう同意を求められて、坂本もまた笑いかけて。
 ひやりと、凍った。
 笑いかける鬼塚の、その目が、得体の知れない深みを持っていた。



 それは時折見せる、葛西と同じ。










 薬師寺の言葉は、裏を返せばこれ以上聞く気はないという彼なりの思いやりで、前田もそれをわかっていたのだと思う。言い方はアレだったけれど、それはよく坂本にもわかっていた。
 ビルの狭い隙間道を抜けて、裏道に出る。
 薬と煙草と酒と、痛んだ人の匂いが証となる道は夕闇に薄暗く、知らずに一人入れば十秒もしないうちに襲われるのは目に見えている。奪われるのは金か体かそれともほかの何か。
 いきがったチンピラくずれでもここは一人では歩かない。歩けない。
 その道を、坂本は平然と一人歩いていた。
 慣れた様子で、誰かの吐瀉物を避けながら歩く。道端にうずくまった男が近づいてくる獲物を上目遣いで見上げ、慌てて顔を隠す。
 ここは、池袋だから。
 まだ若い少年と青年の中間にいる男は、普段なら格好の獲物であったけれど。誰も、彼には手を出さない。誰だって自分から痛い目などは見たくないのだ。
 坂本に手を出せば、常にその傍らに立つ獰猛な男は、決して許すまい。苦痛だけを与えるやり方というのをよく心得ているような男の逆鱗に触れればどうなるか、想像したくもなかった。まだ子供だと侮って二度と姿を見なくなった男を知っている。アレは確かに子供だ。
 この光差さぬ場所に生まれた、深い深い闇の子供。
 悲鳴と罵声を子守り歌に、欲望と苦痛を玩具に育った子供。光を浴びて輝くのは、その内に闇を飼い慣らしているものだけだと。
 だけど、その子供が手に入れたのは光ではなかったかもしれない。坂本はたとえ葛西がいなくても、平然とこの道を歩けるだろう。
 絡んでくるものも襲ってくるものも全部倒して、通り抜ける。自分がどれだけ痛もうと、血を流そうと血に塗れようと、かまわない男だから。なにを失っても、たとえそれが命であっても、かまわないような男だから。
 それでも、彼らの間には強固な絆があった。少なくとも、うずくまったままの男にはそう見えた。どちらかを敵に回すのは、両方を敵に回すのと同義だ。悪魔のような男と、悪魔すら見捨てたような男を。
 目の前を足音が通り過ぎるのを、息さえ殺してじっと待った。やがて音が遠ざかり、完全に聞えなくなるまでそのままだった。そして再びもどってきた夕闇にほっとしていたとき、再び足音が聞えた。
 それは一人のようだった。この道を一人で歩くのは、さっきのような男かもしくはただの身の程知らずだ。
 そして後者であれば、それは格好の獲物だった。今度は期待に胸を高鳴らせながら、再び息を殺して近づいてくる足音を待った。
 やがて顔がはっきりとわかるほどの距離になってから、男は用心深く目を動かし。
 そして恐怖に心臓を喰われた。
 それは見ない顔だった。男だった。確かに一人だった。格好の獲物のはずだった!
 だが本能が怯えた。
 近づけばそれだけで食われるような、動物的な恐怖。その男の発する気配が匂いが雰囲気が全てがうずくまる男に警鐘を鳴らした。彼は利口だった。本能を信じた。
 いっそうに、無様なほどに縮こまり、息を止めて通り過ぎるのを待った。男がこちらにわずかな興味を向けたのがわかった。今にも逃げ出したい体を必死で抑え、ただうずくまり通り過ぎるのを待った。
 男はすぐに興味を失った。怯えたどぶねずみを蹴り飛ばして遊ぶ趣味は彼にはなかった。
 やがて足音が遠ざかり、うずくまったままの男は自分が助かったことを知った。
 彼はほっと胸をなでおろし、男が去っていったほうからやがて血の匂いが流れてきても、気にもとめなかった。
 身の程知らずが一人二人減ったところで、それは自業自得というものだと、彼は思った。







 裏道がやがて、無造作に立てられたビルとビルとが作ったほんの少し広い空間に出て、坂本は立ち止まった。
 広いといってもほんのわずか、さっきの道よりはましという程度だったけれど、坂本は煙草を取り出し軽く吸った。全く日の差さない道と違って、ここからはわずかに太陽が見えた。
 夕焼けが綺麗だった。
 光がわずかに差す場所は、その曖昧さが嫌われるのか、たいてい人気がなかった。
 今も、坂本以外誰もいない。けれど、これから一人来ることを知っていた。だから待っていた。
 やがて、タバコを一本吸い終わったころ、その足音が耳に届いた。
 ゆっくりと振り返り、坂本は尋ねた。
「何の用だ?」


 夕焼けを拒むかのように、その男は立ち。



「鬼塚」







 ふてぶてしく、笑っていた。
















 お、おかしいな、本当ならもう葛西がでてきて「この次で終わりです」ってここに書くはずだったのに。
 やっぱり昨日のチャットのせいかしら・・・・。
 必死でアンモナ鬼塚を忘れようとしすぎたせいか、鬼塚がやけに出てきちゃったような気が。
 あああ、ごめんよ葛西。次は出ます!


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