心からの、深い感謝だった。目を丸くしたアイスバーグの向かいで、サン・ファルドの市長は弾けたように笑い出した。
「あーはっはっはっは!!いいねえ、面白い!この死にたがりを射止めたっていうから、どんな男かと思えば、くくっ、なかなかどうして、面白い坊やじゃないか」
「パウリー、お前…」
 言葉もなく凝視すれば、愛弟子は気まずそうに目を逸らした。
 アイスバーグは確かに、ガレーラの社長として初めてこの島を訪れたときから、昨日の夜まで一度も、あの花のような女性の誘いを断ったことはなかった。
 初めの晩はさすがに驚いたが、アイスバーグはすぐに察した。この島においては、これは一つの接待なのだ。同時に、測られてもいる。このもてなしを受けるか断るか、受けるならばその意味をどこまで理解しているか。アイスバーグは、当時はまだガレーラが駆け出しだったこともあり、ほかの三都市との結びつきを強めることに苦心していた。だから、迷わずに彼女の誘いを受けた。愛情はもちろん、性欲や一夜の幻想すら存在しない、駆け引きの一つとして。
 だが、ガレーラが軌道に乗り、彼女を部屋に入れる必要がなくなっても、アイスバーグはことさらに夜の訪れを拒まなかった。それはある種の惰性だったのかもしれない。誰が見てもビジネス上の関係だとハッキリとわかる相手は、アイスバーグには貴重だった。まして彼女はサン・ファルドの人間だ。
 将来なにかが起こっても、巻き込むことはないだろうと思った。
 でなければ、アイスバーグは決して彼女には触れなかっただろう。会社を持ち、大勢の部下を持つことは、世界政府に対抗するためにはどうしても必要な手札だった。けれど、親しい友人や恋人は、必要不可欠なものではなかった。少なくとも、自分という人間が生きていく上では。
「そうさ、坊や、あんたは正しい。この男はね、殺される覚悟でずーっと生きてきたのさ。うちの娘としか寝なかったのは、単に、あれが一番巻き込む心配のない女だったからってだけでね。そうじゃなかったら、無理やりにでもあれを嫁にやってたんだけどねえ」
「サン・ファルド一の美女と、ウォーターセブンの成り上がり者では、格が合わないでしょう」
「腐るほどあった見合いの話を、聞きもしないで断った男の台詞とは思えないね」
「ンマー、初めだけですよ。物珍しかったんじゃないんですかね。すぐに来なくなりましたから」
「はん、届けるのをやめたんだよ。死にたがり相手に話をふっても仕方ないだろう」
 死にたがりと連呼するのはやめて欲しいとアイスバーグが渋面したとき、すっと若い声が割って入ってきた。
「今は、話をふる価値があると考えてらっしゃるんで?」
 老女は、にんまりと笑った。
「ふふふ、気になるかい?」
「これ見よがしに積まれていれば、イヤでも目に入りますよ」
 料理と混じって高々と積まれた冊子に、アイスバーグはこめかみを押さえた。
「死にたがりに見合いを勧める価値はないけどね、死にたがる理由がなくなったっていうなら話は別さ。あんたみたいな好物件の男が独り身で通そうなんて、許されるはずがないだろう?」
 それに、と、女主人は静かに続けた。
「あんたは、部下以外の相手を持ったほうがいい」
「──── お気持ちだけで、十分です」
「ふふふ、そうだねえ、今回ばかりは、これはお土産にでもするしかなさそうだ。こんな可愛らしい恋人を連れてこられたんじゃね」
「部下です」
 連れてきたのはあくまで、次代を担っていく若手の顔見せのためである。しかしアイスバーグがそう遠回しに主張しても、サン・ファルドの女主人はいっそう喜んだだけだった。
「恋愛で大切なのはタイミングなんだよ。人恋しく感じたときに傍にいてくれる相手に、ころっといっちまうもんさ。特にあんたみたいな、弱みを見せない男はね。ふふふ、部下兼恋人なんて、大いに結構じゃないか」
「……ンマー、そうも祝ってくださるなら、ついでにこの山も捨てて頂きたいんですがね」
 そういって見合い写真を指させば、今度はあっさりと断られた。
「それとこれとは話が別だよ。人生なにがあるかわからないからねえ。今度あんたが独り身になったときには、うちの娘を傍に置いてみせるさ」
 声は真剣だったが、眼は完全に遊んでいた。ちらちらとアイスバーグの隣に視線を流しては、反応を窺っている。内心で溜息をつきながら、部下のかわりに口を開きかけたとき、落ち着いた声が響いた。
「うちの社長が独り身になったときには、よろしくお願いします。ですが、独り身になることはあっても、独りになることはあり得ませんから、ご心配なく」
 唖然としているアイスバーグの隣で、それからと、青年は続けた。
「死にたがりというのはやめてください。この人が自分から死にたがったことなんかねえんで。──── もちろんこれは、ガレーラの職長としてではなく、恋人としての意見ですがね」



 サン・ファルドの市長に大笑いされた昼食の後、アイスバーグは書類を片手にパウリーの部屋を訪れていた。仕事の打ち合わせをと思っていたのだが、年下の青年の顔を見た途端にこぼれたのは別の言葉だった。
「ンマー、悪かったな。あの人は、ああいう人でな…」
「気にしねえでください。どっちかっつうと、驚きましたよ。さすがサン・ファルドというべきか」
 金よりも重いものが、ウォーターセブンにおいては技師の腕だとすれば、この町ではそれは情報だ。ありとあらゆる情報が行き交い、より多くを握ったものが強者となる。市長ともなれば、エニエス・ロビーでの真相を把握していても不思議はなかった。
「……おれも驚いた」
「え?」
「お前が礼を言うとは思わなかったからな」
 からかいを含んだ目で見れば、パウリーの顔が少し赤く染まった。
「ほかに、思い浮かびませんでしたから」
「悲しいなァ。嫉妬もされねーのか、おれは」
「あなたを暖めてくれるんなら、おれァ湯たんぽにだって感謝しますよ」
 アイスバーグは思わず吹き出したが、パウリーの顔は真剣そのものだ。本気でいっていることは疑いようもなかった。
「……実は、昨日の夜中に、その、女性がいらっしゃいまして」
「は?」
「アイスバーグさんの恋人でなくなるときには、真っ先に連絡をくれといわれたんで、選ぶのはおれじゃねェがその時は連絡すると約束しちまいました」
 気まずさと申し訳なさが絶妙にブレンドされた顔で、パウリーはすいませんと頭を下げた。
「おまえ、ちょっとまて、おまえなァ…!」
 あまりのことに、アイスバーグは軽い眩暈すら感じた。昼食で散々酷使された心臓が、またイヤな音を立てる。いったいどこの世界に、今の恋人と別れた後の恋人まで決められている男がいるのか。
「おまえ、いくらなんでもそれはどうなんだ…。なにか間違ってねェか?おれがそういう教育をしちまったのか…?でもおまえ、おれはともかく、ほかのヤツが相手の時は、そういうことはしねェほうが…」
「大丈夫です。あなただけですから」
 あっさりといって、青年はアイスバーグの手首を柔らかく掴んだ。
「おれァ本当に、あなたが温かくあればそれでいいんですよ。でも、あの女を帰したって聞いたときは、正直嬉しかった」
 ……口づけの甘さはいったい何で決まるのだろうと、アイスバーグはぼんやりと思った。もしかしたら、想いの深さで決まってしまうのだろうか。そんな幼いことを考えてしまうほど、部下兼恋人の口づけは甘かった。
 唇の端までなぞってから、パウリーの体温が離れていく。微かに吐息の混じった息を吐き出したアイスバーグに、金髪の青年は柔らかく笑った。
「恋人失格ですかね?」
 アイスバーグは小さく嘆息した。
 ──── ああ、ほんとうに、問いかけまで甘い。
 わかりきったことを聞いてくるのは、優しさというよりは甘さだ。むしろ甘やかしだ。この男は自分を砂糖の海で窒息死させたいんじゃないかと、アイスバーグはときどき本気で疑っている。
 甘い口づけがもう一度おりてくる前に、アイスバーグは口を開いた。悔しかったので、パウリーがちっとも望んでいない言葉を口にしてやった。
「決まってるだろう?お前は最高の恋人で、最高の部下だ」
 ゴーグルの下の眼が、イヤそうに細められるのを見て、アイスバーグは心から笑った。








 ラブくなった、かな?少しはラブくなったんじゃないでしょうか。少なくとも今まで書いた中では一番ラブラブだと思います。そして今まで書いた中で一番恥ずかしいです…!(笑)なんですかこのバカップル!