奪われたものを取り戻すための戦いだと、麦わらの一味の男はいった。
 ならば、自分はなにを取り戻そうとしているのか。




理由



 もう一つの海列車、ロケットマンの中で、パウリーは深く紫煙を吸い込んだ。
 息をするだけでも体中が痛む。まァ、無理もない。全身に負った傷は深く、医者に診せれば即刻ベッドに叩き込まれるだろう。それでも、手も足も動くことが救いだったし、動く以上は行かずにはいられなかった。
 エニエス・ロビーへ乗り込むことの無謀さは、重々承知している。
 感情を抜きにして考えたなら、自分はついてきてはいけなかったのかもしれない。そう思って、パウリーは片手で顔を覆った。命をかける覚悟はすでにあったが、相手が政府だということを考えれば、自分一人の命ではすまなくなる可能性もある。ガレーラや、ウォーターセブンに迷惑をかけるかもしれない。なにより、あの人にいっそう辛い思いをさせてしまうかもしれない。
 アイスバーグは、今頃はもう、気付いているだろう。三人の職長たちがどこへ行ったか悟って、あの人が苦しんでいなければいいと思う。相手が政府である以上、乗り込もうとする自分たちはすでに犯罪者だ。今まで潰してきた海賊たちと同じ、無法者だ。生きてウォーターセブンに帰ることができても、捕まるのは時間の問題だろう。
 いざとなれば、あの人は自分たちを切り捨ててくれる。ギリギリまで粘るだろうが、手を尽くしてそれでもダメなら、アイスバーグは三人の職長よりガレーラを、そしてウォーターセブンを取るだろう。それができる人だと、パウリーは知っている。
(でも、血を吐くような思いで決断して、一生忘れねェんだ)
 どうか苦しまないで欲しいと、どんなに自分がいっても無駄なのだ。自分がやろうとしていることは、命綱も持たずに海に潜ろうとしているのと同じで、引き上げれなかったからといってあの人になにひとつ責任はない。だけどあの人は、同じ船に乗っていたというだけの理由で、助けられなかった自分を責めるだろう。態度に表すことはなくても、一生おのれを許さないだろう。
 そういう人だとわかっているのに、それでもパウリーは海列車に乗った。
 軽く息をついて、パウリーは窓の外を見た。波は高く、空は暗い。まるで行く手に待ち受ける絶望を暗示しているかのように、不吉な色をしている。
(絶望、か…。そうだな、冷静に考えりゃあ、絶望だな)
 なのに、船内のこの明るさはなんだろうと、パウリーは小さく笑った。麦わらに全幅の信頼を置いているわけではない。この男なら絶対に勝てると思っているわけでもない。ただ、賭けてみたいと思わせる何かがあった。この絶望的な状況で、この男だけがくすまない。決して暗闇に飲まれない色をしている。
(あァ、そういや、同じようなことを、前にルルがいってたな)
 自分は気付いたときにはアイスバーグに全幅の信頼を置いていたので ── それは麦わらの一味が、彼らの船長を信じているのと同じような信頼だ ── ガレーラを立ち上げたときも、新会社をいかに軌道に乗せるかしか考えていなかったが、「おれは違った」と、前にルルがいっていた。
『アイスバーグさんの腕は確かにすげえ。人望も厚いし、人の上に立つ器ってのは、ああいう男を指すんだろう。だが、七つの造船会社を一つにまとめるのは、いくら何でも無茶苦茶だ。そうしたほうがいいってのはわかるが、納得できねえヤツも大勢いるだろう。……最初の一年くらいは、そう思ってたな。不安だらけで、しかも周りを見れば、みんな同じように不安を抱えてた。だが…、誰も、やめようとはいわなかった。アイスバーグさんに意見しようともしなかった。なんでだかわかるか? ─── あの人が、この島の灯りだったからだ』
 あの時自分は、そんなの当たり前のことだろうとかいって、ルルを呆れさせたのだったか。あの人を信じることは、自分にとっては息をするのと同じレベルで自然のことだったので、彼らに共感できなかったのだが、今なら何となくわかる。不安と隣り合わせの希望、賭けてみたいと思わせるその輝き。
 たとえどんな明日を迎えたとしても、後悔はしないだろうと思わせてくれる、その強さ。
(どうなっても、あなたに最悪の結果が届くことはないだろうと、思っちまったんですよ)
 ふうと紫煙を吐き出して、パウリーは軽く目をつむった。できることなら、フランキー一家の望みにも手を貸してやりたい。カティ・フラムを、あの人の所まで連れて帰ってやりたい。けれど、自分の一番の望みはそれではない。

 取り戻すための戦いだと、麦わらの一味の男はいった。

 麦わらの一味はニコ・ロビンを、フランキー一家はフランキーを取り戻すために戦う。ならば自分たちは、自分は、いったい何を取り戻そうとしているのか。
 自分たちが奪われたものは、もう決して取り戻せないものなのに。
 握りしめていたものは木偶だった。血の通わない、木でできたマネキンを、本物だとずっと信じていた。親愛を込めて手をつないできた。そして彼らは、木偶の腕をたやすく切り捨てた。
 冷たくなった木偶の腕は、今ごろ海の底にでも沈んでいるだろうか。じくじくと痛む肩を意識して、パウリーはそんな風に思った。今はもう、この肩から血が吹き出すような思いはない。裏切りの刃に斬りつけられた痛みは消えないが、この先それを口にすることもないだろう。
(なぜって、おれァ生きていて、これからも生きていけるからだ)
 裏切りの刃が片腕をもいでいっても、これは致命傷じゃない。彼らはこの首を落としはしなかった。この心に死を望むほどの絶望が生まれるとしたら、それはあの人の命が奪われたときだけだ。アイスバーグが生きている限り、どんな痛みも自分の息の根を止めはしない。
 だから、思い出に縋ってるわけではないのだ。もし仮に、彼らの心に迷いがあったとしても ─── それゆえとどめを刺さなかったのだとしても ─── すでに道は分かれている。彼らはアイスバーグの命を奪ってでも、政府の人間であることを選んだ。ともに過ごした五年間がどれほど輝かしくても、仲間としての彼らを取り戻すことなどできないし、取り戻したいとも思わない。
(ただ一つだけ、おれはやらなくちゃならねェことがある)
 深く息を吸って、パウリーは腹の底に力を込めた。信じていた未来は、二度とこの手に触れることはない。そうだ、未来は取り戻せないのだ。なぜなら取り戻したいとも思えないから。
 ─── だが、過去は取り戻せる。
 彼らは、この五年間に唾を吐きかけて去っていった。それはいい。もうこれ以上、そのことをぐだぐだ言う気はない。彼らの過去を、彼らがどう扱おうと勝手だ。
(けどな、おれたちの分は返してもらうぜ。最低でも、アイスバーグさんの分だけは返してもらう。それはてめェらが好きにしていいもんじゃねェだろう)
 あの人が彼らに向けた信頼も、親愛も、踏みにじることは許さない。自分たちの五年間にまで唾を吐きかけることは許さない。信じるほうが愚かなのだと、笑いたければ笑え。誰がなんといおうと自分は信頼の尊さを知っているし、あの人も知っている。
 五年間。彼らを信じて、尊重して、仲間として愛してきたことを後悔はしない。
 だからこそ、自分たちの別れは、自分たちでつけなくてはならなかった。そうしなくては、この五年は踏みにじられたままだ。彼らは、泥にまみれた思い出が全てだとでもいうつもりか。そんなことはありえない。嘘だろうと偽りだろうと、自分もあの人も信じた。その思いに嘘などひと欠片もありはしなかった!
 彼らが裏切りと破壊の別れを押しつけていっても、パウリーにそれを呑む気はない。無論、アイスバーグにもそんな思いをさせる気はない。自分たちの別れは、自分たちでつける。
 この五年間、彼らと過ごせて楽しかった、でもここまでだ。道はここで分かれてしまったから、楽しかったけれど別れよう。
 そう言ってこそ、この五年間を取り戻すことができるだろう。






 手綱を渡し、近づいてくる敵を眺めながら、パウリーはいった。
「あいつらに会ったら、言っといてくれよ」
 別れを告げよう。ここで、自分たちは、彼らが奪っていったものをこの手に取り戻す。彼らが踏みにじっていったものを掬い上げて、彼らとは違う道を行く。
「てめェらクビだと」
 さよならだ、ルッチ、カク、カリファ、ブルーノ。




 裏切りのせいではなく、傷つけられたせいではなく、砕かれた絆のせいでも奪われた未来のせいでもなく。
 ただ、道が違った。
 別れの理由は、それだけでいい。












 私はたぶん副社長に夢を見過ぎなんだと思います。
 でもガレーラの副社長になるくらいなんだから男前に決まってる!とも思います。