もしもの話


「イヤです」
 と、男はいった。
 上着を脱いで軽く首元を緩め、ワイングラスを片手にソファに腰掛けている男の姿は、どうみても上司に対する適切な態度ではなかったが、アイスバーグは咎めなかった。そもそもここは男の私室であったし、くつろいでいる時を狙って尋ねてきたのも事実だったからだ。
 自分の部屋である長官室で渡すよりはマシだろうと、アイスバーグが手土産に持ってきた資料の束は、男の手でテーブルの上に無造作に投げ捨てられていた。それでもその資料に一通り目を通した男は、うろんな眼差しをアイスバーグにぶつけた。
「ジャブラにでもやらせればいいでしょう」
「ンマー、それも考えたんだが、あいつは気が短いからな。お前の方が適任だろう」
「買いかぶって頂いて光栄ですが、こんな仕事をこなせるような気の長さは持ち合わせてませんね。だいたい、なんですかこの、五年間というのは。どこからこんなふざけた数字が出てきたんです」
 アイスバーグは、精一杯爽やかに、初夏の風のごとく爽やかに微笑んだ。
「バカンスだと思って、楽しんでこい!」
「バカンスなら有休を取っていきますから結構。……まったく、仕方ないな。五日ください。古代兵器とやらの設計図を探し出して、盗んでくればいいんでしょう?持ち主もわかっているようですし、五日もあれば十分です」
 半ば諦め顔で、再び資料を手に取ってくれた部下に、アイスバーグはさりげなく目を逸らした。
「いや、まだ盗まなくていい」
「なら三日ですね。島中探し回ったとしても、三日もあれば目星はつけられる」
「実はありかもわかってるんだよな…」
「はっ?」
 思い切り怪訝な顔で見られて、アイスバーグはわざとらしい咳払いをした。

 自分が長官という役職に就いているのは、単に一番年上だからだとアイスバーグは知っている。かろうじて六式は使えるものの、歴代最強と謳われる目の前の部下に比べれば、自分はものすごく弱い。残念な事実である。

 それでも、今のCP9の面々を育ててきたのはアイスバーグだった。戦闘の面ではあっという間に追い抜かれ、育てるどころか庇われるようになってしまったが、その他もろもろの実生活に置いて面倒を見てきたのは自分だ。豹と狼の二人が喧嘩をするたびに、命がけで両成敗してきたのは自分だし、命綱なしで高いところに登りたがる少年に付き合ったのも自分だし、あちこちをドアだらけにした少年の後始末に謝って歩き回ったのも自分だし、聞いたことを喋らずにはいられない少年となにかと切腹したがる少年のためにいつも説教されたのは自分だし、紅一点の少女に生理用品を買ってきて殺されかけたのも自分だ。
 …なにか、思い出すと切なくなることもあるが、まあ、そのくらい小さな頃から面倒を見てきたのだ。なんといっても、彼らは、自分より一回り以上も年下だったから。
 最初はさすがに戸惑った。CP9として育てるようにと連れてこられた子供たちは、本当にまだ子供で、最年少の子にいたってはまだ赤子のようなものだった。すやすやと眠っている赤ん坊を背負わされ、ほかに六人もの小さい子供たちに囲まれて、アイスバーグはいきなり大家族の父親になった気がした。あれほど途方に暮れたことはなかったと思う。自慢ではないが、オムツの替え方からお風呂の入れ方まで完璧にマスターしたサイファー・ポールなんて、自分以外いないだろう。自分と、子供たちの中では最年長だった、目の前の部下くらいなものだ。
 CP9に育てるということは、すなわち、六式全てを学ばせるということであり、六式を全てを学ばせる、ということは、人でなくなれというのと同じことだ。一式や二式程度ならともかく、六式全てを身につければ、すでにその力は人を越えている。人を越えた力を持ったなら、人の心など捨てたほうがいい。彼らを連れてきた人間は、そうアイスバーグに言った。それはある一面では正しいだろう。そのほうが、苦しまずにすむのだから。
 けれど、自分は望んだのだ。彼らが人の心を捨てないことを。人のためといいながら人を殺す、その矛盾に彼らが耐えきることを望んだ。
 苦難の道を強いたことを、後悔はしない。言い訳もない。おかげで幾度となく目の前の青年に殺意を持たれてきたが、そのくらい安いものだった。
 ただこんな風に、馬鹿げたことが起こると、申し訳ない気持ちになるのも確かだった。
 サイファー・ポールNo.9は、正義のための殺人を許可されているが、正義と名の付く殺人があるわけないだろうがアホか、というのが率直な意見だ。それでも任務放棄をしないのは、単に必要だからだ。千人の命を救うために百人の死が必要ならば、百人を殺す。決して許されないことだと知りながらも、自分は ── そして世界政府は ── 最後には数で命の重さを決めるしかできない。
 まあ、はっきりいって、その辺りの苦悩はものすごいストレスだ。目の前の部下なんて、おかげさまでいい感じに精神が歪んだ。なのに、そこまでしてこちらを悩ませる市民が、いや市民の一人が、こうもアホなことをしてくれると、冷静を心がけている自分でも少々腹が立つ。

「その写真の、真ん中にいる男な…。ああ、その大きい方じゃなくて、小さい方の、髪がふわふわしてるヤツ。そいつからタレコミがあってなァ…」
「タレコミ?」
「古代兵器の設計図を持ってるから、50万ベリーで買わないかと」
 きっちり十秒、目の前の青年は沈黙した。
 十秒後に目だけを動かして、そんな怪しいタレコミを信じたのかと言いたげに目の前の上司を見た。アイスバーグはその視線を受け止めて、少し困ったように笑う。それだけで青年の目からは疑いが消えた。上司が簡単にはCP9を動かさないことを、青年は理解していた。
 相当の裏付けが取れているのだと悟って、青年は心の底からうんざりとした顔になった。
「アホですか」
「アホだな」
「買ってやればいいでしょう。50万ベリーで手に入るなら、ずいぶんと安い買い物だ。たとえ偽物でも、たいした損失じゃない」
 本物ならば、値を付けられないほどの価値があるのだからと言われて、アイスバーグは完璧な微笑を浮かべた。
 それは涼やかで、礼儀正しく、瞳は慈愛に満ちて、纏う空気は聖者の様ごとく気高い。そんな完璧な微笑をもって、アイスバーグは言い切った。
「今回は予算がないからダメ」
「そのくらい私が払っても構いませんが」
 即座に妥協案を出した部下に、アイスバーグは無言で答えた。
 青年の顔に、あからさまな嘲笑が浮かぶ。
「つまり、欲しくないんですね?」
「さすがだなあ、ルッチ。お前みたいに頭のいい部下を持って、おれァ本当に幸せだよ」
 パチパチと拍手までしてみせると、いっそう空気が冷え込んでいくようだった。
 古代兵器の設計図など、欲しくない。アイスバーグ自身の個人的な倫理観を抜きにしても、世界政府はそんな厄介なものを持つべきではない。だが、むろん、放置もできなかった。一個人に強大な武力を握らせたままにはしておけないし、ましてそれが、たやすく金と引き換えにするような男の手にあっては、どこの闇市場に流されてしまうか知れたものではない。
 情報を手にしたときから、アイスバーグの心は決まっていた。
 古代兵器の設計図など、存在するべきではないのだ。
「こんなにも頭が切れて、歴代最強のCP9であるお前が、五年も探して見つからないなら、それはきっと最初から存在しなかったんだろうよ。おれがまんまと担がれちまっただけで、どこにもありはしない。そうだろ?」
「……いやです」
「ルッチ」
 宥める口調で名前を呼ぶ。青年の拒絶が、作戦そのものに向けられているのではないとわかっていた。
「お断りします。冗談じゃない。五年も、こんなふざけた男の下につけと?うっかり手が滑って殺しかねませんよ。だいたい、その間、あなたの身はだれが守るんです。カリファより弱いくせに」
「ンマー、気をつけるさ」
 政治家並みに、嘘くさい言い訳だ。わかっていたが、ほかに言いようがなかった。
 ルッチの目が苛立たしそうに細められて、指先はきつくソファに食い込んでいる。
「おれはときどき、あなたを殺したくなりますよ」
「ああ」
 今にも牙をむいて襲い掛かってきそうな部下を、アイスバーグは真っ直ぐに見つめた。
 先に目をそらしたのは、青年の方だった。
「……とにかく、お断りです。ジャブラにでもやらせなさい。駄目ならカクに。私は受けませんから」
 そういって、部屋を出て行ってしまう。
 一人残されて、アイスバーグはゆっくりと目を閉じた。

 彼が自分の身を案じてくれていることはわかっていた。確かに五年は長く、その間、右腕である彼がいなければ、この身の保障はないだろう。CP9で最弱である自分が、今日まで五体満足でいられたのは、部下たち ─── 特に彼が ─── 常に傍にいてくれたからだ。
 それでもアイスバーグは、ルッチ以上の適任者がいない以上は、彼に命令を下す。それが、この身を案じてくれる彼の心を、引き裂くことと同じ意味だと知っていても。
 自分はルッチに厳しすぎるのだろうかとも思う。だが、甘やかされることを、あの男が望んでいるとも思えない。
 彼の中にある、ありとあらゆる矛盾に付き合うことで、救われるというならそれもいいだろう。だがルッチが望んでいるのは ──── …。
「ンマー、とりあえず、説得に行くか」
 首を振って、アイスバーグは立ち上がった。
 どれほど拒絶を口にしても、青年は最後には了承するだろう。

 それこそが、サイファーポール・ナンバー9のロブ・ルッチという男であり。
 そしてその上官であるアイスバーグとの、捻じれながらも強固な絆なのだから。










長官な社長を一度書いてみたかったんですが、書いてみたら、社長は長官でも社長職でも、ルッチとは精神的攻防を繰り返すということが判明しました…。い、いつかはラブラブに!