不眠不休の船造りの中でも、休憩時間くらいはある。
木の組み方一つ取っても順序があるから、全てをいっせいに行うことはできないのだ。自分の持ち分が空いたら、みな、わずかな時間でも休むようにしていた。
そのわずかな時間が、たまたまパウリーと重なったとき、フランキーは大いに悩んだ。いうべきか、黙っているべきか。昔の自分なら躊躇なく話していただろう。自分の心が信じることを、迷うことなく貫いただろう。だが、今の自分は知っていた。たとえ気持ちにいっぺんの曇りもなくとも、結末が幸せなものになるとは限らないということを。信じるものを貫いて、結果的に大切な人が傷つくこともあるのだということを。
フランキーは、船を造ったことを後悔してはいなかった。それだけはするなと恩師は言ったし、たとえ過去に戻れたとしても自分はやはり船を造ってしまうだろうと、諦めのように思うからだ。
後悔しているのは、船を造ったことではなく、兄弟子の言葉に耳を貸さなかったことだ。彼の言葉を真剣に考えて、理解して、迷って、悩みきった末に船を造り続けるならよかった。せめてそれくらいの覚悟は持って、船を造っていればよかった。あのときの自分は、あまりに幼かったのだ。喜びが生み出したものは、必ず喜びを産むはずだと信じていた。理解してくれない兄弟子を、分からず屋だと決めつけて、自分の方が正しいのだと思いこんでいた。彼もまた、正しかったのに!
後悔はいつも遅いのだと、フランキーは思う。自分はアイスバーグのようには生きられないし、生きたいとも思わない。自分は心のままに生きて、心のままに死ぬだろう。それでも、せめて一歩留まって、考えることをしたかった。自分はあまりにも迷わなすぎるのだ。心のままに動き過ぎるから、たいてい後でどっぷりと落ち込む羽目になる。スパンダに彼の真意を教えられて、自分の浅はかさ思い知らされたときのように。
政府の船を造れば儲かるんだろう、などと、どうしてその程度のことしか考えられなかったのだろう。政府に手を貸すのは許さない、などと、どうしてああも簡単に言えたのだろう。たとえアイスバーグに設計図を守るという意図がなくとも、政府から話を持ちかけられれば、私怨でその取引を蹴ることはできない。それは許されない。市長として、社長として、彼は責務を負っているのだ。
だが、だからこそ、フランキーは沈黙を選ぶことはできそうになかった。迷って、迷って、部外者である自分が、彼の社員に口出しすることの重さを秤にかけて、それでも言うべきだと思った。
世界を金槌で割りつづける
「オイ」
「あぁ?」
「お前、その服はなんのつもりだ?」
回りくどい聞き方などフランキーにはできなかった。だから率直に切り込んだ。
作業の邪魔にならないよう、離れた場所に設置した丸太の上に腰を下ろして、ココロが作ってくれたおにぎりを頬張りながら、睨み付けるように年下の男を見る。一段下の丸太にもたれかかっていたパウリーは、首を曲げてフランキーを見上げ、へらっと笑った。
「いいだろ、これ。白薔薇の造花を探すのは苦労したんだぜ。ま、アイスバーグさんのファンクラブ会長としては、これくらい気合い入れねえとな」
「……あのなァ、お前の目にはたいそう立派に見えてんだろうが、アイツはそんなたいしたもんじゃねェぞ。ああ見えて気は短えし、すぐに手は出るし、器用そうに見えて不器用だし、料理は一切できねえし、ワガママで自己中でとんでもねえ奴だ。おまけに寝起きも悪いくらァ」
「─── それで?」
パウリーの声は冷ややかだった。憧れの社長をこき下ろされれば当然だろう。だが、どうしてもフランキーにはいっておきたいことがあった。
「あんまり、英雄扱いしねェでやってくれ。ほんとにアイツは不器用なんだ。適当に力抜ける奴じゃねえんだ」
あまり彼を追い詰めないでやってくれ。彼は何もいわないけど、重くないわけじゃないんだ。責任や期待を、無責任に乗せないでやってくれ。彼だって当たり前に疲れるんだと、フランキーはそういいたかった。パウリーの崇拝じみた思いがいやだった。フランキーにとってアイスバーグは今でもバカバーグだったし、世界政府と渡り合うほどの思慮深さを見せつけられても、どこか抜けている兄弟子であることに変わりなかった。いつまで経っても、変なところで抜けているから、ちょっと目の離せない兄弟子だ。
英雄のアイスバーグなどしょせん、波間を漂う幽霊船のようなものだ。幻でしかない憧れを、アイツに押しつけないでくれと、そういいかけたフランキーを押しとめたのは、パウリーの冷静な目だった。それは少し、アイスバーグの眼差しにも似ていた。浮ついた熱などどこにもない、したたかな眼。
体ごとフランキーへ向き直った男は、ふうと紫煙を吐き出していった。
「あの人が怪我をしてるからだ」
「あん?」
「てめェがマジな話をしたいっつうなら答えてやるよ、カティ・フラム。この服は、俺がアイスバーグさんを裏切ることはないという証だ」
「そんな事しなくたって、アイツは疑ったりしねえよ!いくらルッチ達が、政府の一味だったからって、それだけで周り全部を疑うような奴だと思うのか!長い付き合いのくせに、そんなこともわかんねェのか、お前は!」
怒鳴りつければ、パウリーはなぜか、ルッチを彷彿とさせる顔になった。呆れ返って声も出ないというような冷たい表情の中で、目だけがはっきりと人を見下している。むっとなったフランキーが口を開くより早く、パウリーが長いため息を吐き出した。
「バカと話すのは疲れんな…」
「誰がバカだコラァ!」
つい身を乗り出して叫べば、パウリーは煙草を挟んだ指をぴしゃりと指した。
「いいか、面倒だが仕方ねェ、5歳のガキでもわかるように話してやる。質問は後で聞いてやるから、とりあえず黙って最後まで聞け」
どちらが年上だかわからない言い方だ。まるで出来の悪い生徒に説教する教師のような態度で、パウリーは続けた。
「この島はまだ完全に立ち直ったわけじゃない。立ち直ったように見えるが、まだまだ脆いんだ。パッフィング・トムがあるし、勢いもあるけどな。一番脆い部分はどこだと思う」
「…アクア・ラグナか?」
「違う。アイスバーグさんだよ」
はっとしたフランキーに構わず、パウリーは淡々と続けた。
「この島はあの人に頼りすぎてる。普通、社長が市長を兼任するなんて事はありえねえ。あの人も最初は、市長になる気なんてさらさらなかったんだ。けど、議会側にはろくな奴がいなくて、そのうえあのころは、プッチとサン・ファルドが海列車の権利をよこせと言ってきていた。海列車がこの島の生命線だってことは誰でも知ってる。なのに当時の議会の連中と来たらどいつもこいつもてめェのことしか考えねえで……有能な奴ほど早々と見切りをつけて出てったから、仕方ねえといやァ仕方ねえことだったがな。それで結局、あの人は市長になっちまった。市長になって、次の世代が育つまで待つと、笑ったんだ」
その時のアイスバーグの顔が容易く想像できてしまって、フランキーは苦々しくその顔を睨み付けた。何だってバカバーグは、こうもバカバーグなのだろう。あの兄は昔から、自分がなんでもできると思いこむきらいがあるのだ。本当は全然なんにもできないくせに。
「もしも今、アイスバーグさんの身に万が一のことがあれば、この島の安全は容易く脅かされるだろうよ。逆をいえば、アイスバーグさんを排除することが、この島を食い物にしたい連中にとっての一番の望みなんだよ。だが、政府でさえそうだったように、あの人をそれとわかる形で殺すことは難しい。暗殺なんてすれば、市民の敵意がどこへ向くかわからないからな。簡単なのは、あの人への信頼を壊すことだ」
そこまでいって、パウリーはわずかに間をおいた。それを口にすることがよほど嫌なのか、ココロの特製栄養ドリンクでも飲まされたように顔をしかめて、話を続けた。
「例えば、ガレーラの若頭が、社長の『悪事』を告発するとかな」
「ハァ?」
話がいきなり想像の範囲を飛び越えていって、つい間の抜けた声が出てしまった。いやだって、それはいくらなんでも無茶苦茶だろうと、フランキーは思う。だが、パウリーは相変わらず苦虫をかみ潰したような顔をしていた。
「でっち上げの悪事でも、それなりの立場の奴がいえばそれらしく聞こえちまうんだよ。それくらいてめェにもわかるだろ。それなりの立場の奴がいわなきゃ、真実も嘘も伝わらないけどな。だから、うちを食い物にしたい連中は、喉から手が出るほど俺の証言がほしいんだよ。たとえ、火のないとこに無理やり煙を作ってでもな」
「…つまり、その格好は、牽制なワケか?」
恐る恐る尋ねれば、パウリーはまじめくさった顔で頷いた。
「こんなバカバカしい格好をしてりゃあ、噂だって立てられねえだろ」
確かに、服に白薔薇を縫いつけているような男が、その白薔薇の悪口をいっているなんて噂は、バカバカしすぎて誰にも相手にされないだろうが。それにしたって、よくもまあ、そんなアイディアを思いついたものだと、フランキーは半ば呆れながら思った。
「それでもここ数年は、これを着ないですんでたし、今回もまあ、どうしようかと思ったが…ろくに傷もふさがらねえうちから、仕事を始める人だからな。傷が完全に癒えるまでは、着てるつもりだ」
そうか、と相槌を打って、フランキーはそれ以上何も続けられなくなってしまった。パウリーが、パウリーなりのやり方で、アイスバーグを守ろうとしていることがわかったからだ。そしてそれは多分、自分のすることよりも思慮深くて、効果的なのだろう。
「アイツは知ってんのか?その…、その服の意味を」
「知ってるさ。あの人は、一を見て百をわかっちまう人だぞ。初めてこれを着ていったら、俺が何かいう前に、複雑そうな顔で謝られちまったよ」
なんでだろうなと、フランキーはふと思った。
パウリーが語る彼は、フランキーにとってはやはり誇張された偶像で、広場に立っている銅像と何ら変わりなくて、いつだって引きずり下ろして踏みつぶしてやりたくてウズウズしてるのに、それでも話を聞いていれば脳裏には見慣れた彼の顔が浮かんでくるのだ。偽物のはずの偶像が、彼の顔をして笑う。
(あァ、俺は本当は、認めたくねェだけなのかもしれねえな)
重荷を背負う道を、兄が自分で選んだということを。認めたくなくて、もっと楽しい道がこっちにあるだろうと、無理やり手を引っ張っているだけなのかもしれない。もっと楽しくて、もっと自由な道を行こうと、ガキみたいに駄々をこねているだけなのかもしれない。
「テメーの目にどう見えてるかはしらねえが…」
再び丸太にもたれかかって、背を向けたままパウリーはいった。
「アイスバーグさんは英雄だ」
「違うっつってんだろ!」
「ちがわねえよ。英雄であることも、あの人の一部だ。そこから目ェ逸らしてたら、あの人を支えることなんかできねえよ」
フランキーは言葉に詰まる。けれど年下の青年は、追い打ちをかけることはなく、独り言のように呟いた。
「でもまぁ、お前はそれでいいんだろうな。お前はあの人の家族だから」
パウリーの指先から、紫煙がゆらゆらと空に伸びていく。フランキーは年下の青年を見た。兄弟子の弟子であり、ガレーラのbQであり、アイスバーグの武器となることだけを望んでいるような男を見つめて、ゆっくりと尋ねた。
「お前、俺が、トムズ・ワーカーズのカティ・フラムだと、いつから知ってた?」
「お前がこの島に戻ってきたときから」
あっさりと答えて、パウリーは煙草の火を踏み消した。そのまま作業へ戻ろうと歩き出す背中に、フランキーは重ねて尋ねた。
「なんで知ってた!?知っててなんで黙ってた!?」
振り返ったパウリーは、やはり呆れきった顔をしていた。
「俺はこの島に生まれて、海列車に憧れた人間だ。多少顔が変わってたって、トムズ・ワーカーズの人間を見間違えるか。それでもあの人がしらねえというんだから、俺が知ってちゃおかしいだろう」
「ンマー、どうした、そんなしょぼくれた顔して」
「別に、なんでもねえよ!」
パウリーと入れ違いに休憩に入ってきたアイスバーグは、そっぽを向いた弟弟子に肩をすくめただけで何もいわず、丸太の上に座り込んだ。
「アイスバーグ」
「なんだ?」
「………悪かったな」
「なにが?何かやったのか、お前」
唐突な謝罪に、アイスバーグが戸惑っているのがわかったが、フランキーは何もいえなかった。なにを謝っているのかなんて、自分でも定かじゃないのだ。ただ、何かいいたくて、できるなら謝りたくて、けれど謝ったくらいでなにかが帳消しになるはずがなくて。
(あー、くそ!今週の俺はスーパーダセェ!)
頭をがしがしとかきむしっていると、不意に、隣の空気が柔らかくなった。
「なんだかしらねえが、そんなに気にすんな。お前に迷惑かけられるのは慣れてんだ」
「あんだとォ!」
「それに……」
アイスバーグは珍しく言いよどんで、どこか寂しそうな笑みを浮かべた。
「おれも、できるもんなら、海列車を止めに行きたかったから」
それは雨のような横顔だった。激しくはないが止むこともない、永遠と降り続く雨のような微笑だった。
いつの話をしてるんだ、とも、いきなりなんだ、とも、フランキーはいわなかった。そんな問いかけは不要だった。フランキーはアイスバーグの弱さを知っていた。兄が、意味のない後悔を繰り返していても、兄が、不可能だとわかっていることに縋り付いていても、フランキーは驚かない。そんな風に、当たり前に弱い人間が、フランキーの知っているアイスバーグだっだ。
「でもできねえんだ。できねえと、わかってるんだ。どうしようもねえくらいにな。だから、お前は謝んなくていい。お前が好き勝手やってるのが、おれは結構好きなんだよ」
「…勝手なことばっかいってんじゃねえよ、バカバーグ」
やっぱり兄は我が儘だ。こっちの望みは一つも叶えないくせに、自分の望みだけは叶えろといってくるのだから。
好きに生きろだなんて、自分はその重い場所から一歩も離れてはくれないくせに。
──── あァ、それでも、おれは、おれの心のままに、お前に世界を伝えるだろう。
あの男がお前と同じ場所で戦うというのなら、おれは別の場所で生き続けよう。
おれはお前の武器にも鎧にもならないけれど、おれは喜びを叫び続けるから。
お前の世界が閉ざされてしまわないように。
終