なんだかなあと、赤星は思う。
どこかの街の幸福な王子様
部室の中は基本的に騒がしい。部活の前も、後も、くたくたになって着替えている今でさえもちろん、喧噪という言葉がぴったりくるほど騒がしい。
だけど例外はあって、新庄のところはたいがい、静かだ。
「読みたいのか?」
「…え?あ、ああ…」
着替え終わって雑誌をめくっていた新庄が、顔を上げて聞いてくる。なんとなく眺めていたのを気付かれたらしい。欲しいとも欲しくないともいわずに言葉を濁すと、新庄は黙ってその雑誌を差し出してきた。思わず、受け取ってしまう。
「あー!ずりィ!俺が狙ってたのに!」
「みたかったのか?」
「みたかった!まだ読み終わってねーと思って遠慮してたのにー、くそ、さっさと読めよ、赤星!」
騒ぎ立てる湯舟に、新庄が少し困った顔になる。赤星はそれを横目で盗み見て、わざとらしく丁寧に1ページ目をめくった。
「俺、じっくり読みたいタイプなんスよねー」
「赤星てめー!」
いっそう騒ぎ立てる先輩を無視して、赤星は雑誌を眺めた。なんだかなあと思う。新庄が読み終わっていないことは知っていた。だってついさっき紙袋の中から取りだしていたのだ。あの指が、最後までページをめくっていないことも知っている。だけど新庄の表情はとても静かで、未練も媚もまったく感じさせない。
たとえば、と赤星は思う。たとえばこれが安仁屋だったら、読み終わるまで絶対に貸さないだろう。たとえばこれが湯舟や桧山だったら、無理やり奪い取ることはできるだろうが、絶対にわめかれる。
だけど新庄は静かだ。呆れすら、その顔には浮かばない。
(なんだかなあ)
欲がないとでもいえばいいのだろうか。でも、欲のない高校生なんて、なんというか変だ。若菜たちのように、女や食事という単純な物欲しかないのは、まだわかる。安仁屋のように、色んなものを知っているからいっそう欲深くなるのは、よくわかる。自分もどちらかといえばそうだ。目に見えるものよりも、形のない栄光が欲しい。
(なのに、なに考えてんのかねー、この先輩は)
読むというより眺めながらページをめくっていくと、赤星はいやな視線に気付いた。頭痛を覚えながら顔を上げると、予想通り濱中がこちらを見ている。ようやく着替え終わったらしい。よくいえば子犬、悪くいえば駄犬の目でこちらを見つめていた。
「やんねーぞ」
ソファの上にのせて置いたパンを自分の手元に移動させて、赤星は呆れ顔でいった。
「べ、べつに欲しいなんていってねーだろ!」
「おまえねえ、少しは学習したら?」
「うるせー!今日はたまたま、授業が終わるのが遅かったんだよ!」
部活のあとは腹ぺこになるが、貧乏な高校生がそうそう外食できるはずもないので、たいていは昼に多めに買っておく。のだけど、濱中はしょっちゅう買い忘れてくる。要領が悪いのか、根性がないのか、たんに非力でパン買いの戦争に負けているのか。たぶん全部だ。
濱中が救いを求める目で部室内を見回したが、優しい先輩たちは、さっとパンを隠すか、これみよがしに見せつけるかのどちらかだ。濱中が夜食を忘れてくるのは一度や二度のことではないので、真面目な御子柴にさえあまり同情されない。赤星は雑誌をまためくろうとして、視界の隅に入ったパンに顔をしかめた。
珍しい。新庄がまだ食べていないなんて。静かな先輩は静かにさっさと着替え終わるので、騒がしい先輩方が着替え終わる頃には、いつもきれいに食べ終わっているのに。
(あー、今日は雑誌見てたからか)
腹ぺこでも先に読みたかったのか。なのに読み終わる前に人に貸して、平気な顔をしてるのか。
(わけわかんねーな)
なんだかなあと、赤星が何度目かに思ったとき、新庄があっさりとした口調でいった。
「ほら」
「新庄さんーーーーー!!!」
平然とパンを差し出す新庄と飛びつく濱中に、さすがに赤星がぎょっとしたとき、グローブがその金色の頭を軽く叩いた。
「甘やかすんじゃねーよ。てめーもちったあ遠慮しろ」
「安仁屋。いいじゃねえか、別に」
「よくねぇよ、バカ。ほんとバカ。お前はどこの街の幸福な王子様だ。アホの街か?」
意地の悪い目で睨み付けられて、新庄の眉がよる。幸福な王子というのは、自分のものを全部くれてやって最後には死ぬ話だったか。よく覚えていないが、新庄ならずいぶんと強面の王子様になるだろう。
「大げさにいうなよ。今回だけだ」
「へー」
「安仁屋」
「やめろっつってんだろ」
許す気の全くない安仁屋と、困り切った顔の新庄を仲裁したのは、野球部のキャプテンだった。
「濱中、今日だけは俺のを半分やるから。明日はちゃんと自分で買ってこいよ」
「御子柴センパーイ!!」
泣きつく濱中の頭をぽんぽんと叩きながら、キャプテンは立ったままのピッチャーを窺った。
「それでいいだろ、安仁屋」
「好きにしろよ」
安仁屋が興味をなくしたように座り込むと、御子柴はすっと視線を動かし、真摯な目を友人に向けた。
「新庄、俺もそういうのはよくないと思う」
それがパンのことだけを言っているんじゃないと、気付いたヤツはどれくらいいたんだろう。
少なくとも赤星は気づき、そして、少なくとも安仁屋と御子柴は知っているのだと気付いた。
新庄は何でもかんでも人に分け与える。見返りを求めてるのなら、安仁屋だって何もいわないだろう。嫌といえない性格だというなら、赤星は気にとめなかっただろう。でも、新庄はそのどちらでもない。
(どーして損してるって気付かないのかね)
一歩間違えれば、ものすごーく利用されやすい性格をしてるんじゃないだろうか、あの先輩は。野球部のメンバーが、ああも気の良い人間ばかりでなかったら、財布代わりにされたっておかしくない。まあ、あの外見があれば、そう利用されることもないかもしれないけど。
帰り道を歩きながら、つらつらと考えていた赤星は、不意に自分が苛立っていることに気付いた。
なるほど、確かに新庄は、どこぞの街の王子様かもしれない。自分のものを全部他人にやって、平然としている王子様。アホな王子様は、周囲の仲間が腹を立てていることにも気づかない。
(だいたいねー、この俺が尊重したいと思うなんて、めったにねーんスよ)
それこそ野球部の人間と、顧問と部長とマネージャーくらいだ。
なのに、その尊重したい人の一人が、自分を大事にしていない(ように赤星には見える)なんて、こんなひどい話があるだろうか。
むうと眉間に皺を寄せて、赤星は決めた。
とりあえず明日からは邪魔をしよう。幸福な王子様っぽい行動は目についた端からやめさせよう。見ていて腹が立つのだ。むかつくのだ。
新庄のためではなく、自分のためにそう決めた赤星は、いつも通りの嫌味な笑みを取り戻して帰路を歩いていった。
新庄が読んでいたのは、野球の載ってるスポーツ雑誌ということにしておいてください。あ、あと、幸福の王子はそういうテーマの話じゃないですよもちろん!