ロシアン・ルーレット


 その店に行ったのは、ただの仕事だった。


 吐く息が白い。
 時計の針は零時を回っていて、真夜中は東京といえども酷く冷え込んだ。
 それでも目指す一角には煌々と明りがともり、人の熱気がこもっているように見えて坂本は知らずのうちに眉根を寄せた。
 はっきり言って、気の進まない仕事だった。それでも断れない義理というものがあって、四人で押し付けあった結果くじ引きとなり、見事はずれを引き当てた坂本の運の悪さはもはや才能といっていい。
(・・・ったく・・・・・)
 入りにくいことこの上ない店だった。なにせ売っている商品は男。
 いわゆるホストクラブというやつである。
 CLUB”BLUES”と青く光るネオンが目に痛い。それでいて醸しだす雰囲気に安っぽさはなく、女心をくすぐるだろう高級さを保っている。
 いやだなあいやだなあと思っても仕事は仕事。ため息一つつくと坂本はドアを押した。
「お客様申し訳ありませんが、当クラブは女性の会員様のみとなっておりまして・・・」
 足を一歩踏み入れるなり店員がやってきた。顔は笑っているが目にはっきり迷惑と書いてある。それでも丁寧な姿勢を崩さないあたりはさすがサービス業といったところか。
 しかしあいにく、酔っ払って店を間違えたわけでも、新宿二丁目と勘違いしたわけでもないのだ。
「すみません、こちらのbQホストの方とお会いしたいのですが」
「・・・・ご用件は?」
「それはご本人に直接・・・」
 いいませんとと、含んだ微笑を浮かべればはっきりと不審の色が強くなった。
 後ろ暗いことは吐いて捨てるほどあるのだろう。そうでなければ生き残れない。
「申し訳ありませんが、お引き取りください」
 しばし逡巡の色を見せたあと、案内係らしい男は冷ややかに告げた。
(やっぱりスーツでくるんだったかな)
 組し易いと思われたことは、その見下した口調からもあからさまだった。まあそれも仕方ない。ガタイがいいわけでもない男一人、しかもスーツじゃ寒いからとファーつきのジャンパーを羽織っている。
 はっきりいって見かけの脅威はただのチンピラ以下だ。
 だが坂本も、こんなところで無意味な押し問答をする気はなかった。立ち去る様子のない彼に、体格の良い黒服の男達が近づいてきたが、意に介さずジャンパーの内ポケットから取り出したそれを案内役の男に示した。
 はっきりと、男の顔色が変わる。
 それはただのカード。だがその意味を知るもの達にとっては。
「bQの方に、会わせていただきたい」
「・・・・・・・・・少々、お待ちください」
 麻薬よりも傲慢な意味を持つ、力の証。


 こちらでお待ちくださいとつれてこられた来客室のソファに座って、坂本は手の中のカードをしまう。
 実のところ、カードはただの借り物だった。
 権力に満ちた道具を使いすぎれば、そこから離れられなくなる。だから滅多にこれを使うことなかった、坂本も、本当の持ち主も。
 ただ今回はたいした仕事でもない上にさっさと済ませたい代物だったので借りてきたのだ。
 ドアが勢いよく開かれたのは、ぼんやりと壁の絵を見ていたときだった。
「・・・・俺になんの用だ?」
 じろじろと見られたあげくに不審げに聞かれた。面識がないのだから当然だが、坂本はあっけにとられてしまってとっさに言葉が出なかった。
 入ってきたのはヤクザ顔負けの強面のにーちゃんだった。ガタイもいいが顔もごつい。
 想像とかなり違う。これが本当に、六本木CLUB”BLUES”のbQホストなのか。いやそもそもホストなのかこの男が。ホストよりはテキ屋のオヤジのほうが似合っている。
 しかし依頼では確かにbQの男だと聞いた。
 人は見かけによらないんだなあと、無理やり自分を納得させて坂本はいった。
「そちらのお客さんに、橘さんって方がいますよね?その人のことでご相談が」
「橘ァ?いねえぞそんな女」
「・・・・・本当ですか?bQの方の客だと聞いてきたんですが」
 bQの、といったところで男の表情が変わった。
「はん、そりゃあのクソガキの客だろ。待ってな、呼んで来てやるよ」
 クソガキ、というところにあからさまに力を込めて言う男に疑問の目を向けると、男が地を這うような低い声で答えた。
「俺が昨日までbPだったんだ!!」
 ガン!!とドアを壊す勢いで叩きつけて去っていった男を呆然と見送って、坂本はよろよろと腰をおろした。
(なるほど・・・・・・)
 例の男はとうとうbPになってしまったらしい。bQの男をbPにしてやるためにせっせと通っているという話だったが、とうとうその努力が実ったわけだ。
 これできっぱり通うのを止めてくれればありがたいが、まずありえないだろうと小さく息を吐く。
 一度口にしたら虜になるものを麻薬というなら、ホストも立派な麻薬だ。
 一夜限りの夢で終わらせるしたたかさがなければ、あとはもう奴隷になるしかない。


 コンコンと、ノックの音がした。
 入ってきた男を見て、坂本は今度こそ、言葉を失った。
「ご用件は?」
 それは確かに、ホストと呼ぶにふさわしかった。ホストにふさわしいもなにもあるかといわれれば、あると答えるしかないような、夜の気配を持つ人間。人よりは魔に近い。
 一度その手を取れば引き返せなくなる、悦楽と堕落を同時に教え込む悪魔の囁きを持つ、男。
 女も男も堕とすことは容易いだろう笑みをむけられて、だが坂本が言葉を失ったのはそんな理由ではなかった。
「・・・・・・・・・・・鬼塚・・・・・・?」
「そうですが、ご用件は?」
 男の名前を聞いてこなかったことを、坂本は初めて深く後悔した。

 こんなところで昔の知り合いにあう羽目になるなんて・・・・相手が気づいていないのが唯一の救いだけれど。そういや確かに、高校時代から噂は聞いていた。女に手がすげえ早いという噂を。ホストは天職なんだろう、きっと。
 高そうなスーツを着こなして(これも貢物なんだろうか)艶然と笑う男に、尻尾を巻いて逃げ出したい気持ちでいっぱいになったが、なんとかこらえて話を切り出した。
「ええ・・・・と・・・・・ですね。単刀直入に申し上げます。橘さんと別れていただきたい」
「別れろといわれましても・・・・もともとお客様と従業員の関係でしかありませんが?」
「ええまあ、それはよくわかってるんですが・・・・」
 人の色事に口を出すのは野暮で、ましてそれがホスト相手だとすればただの馬鹿でしかない。
 恥かしくなるのはこっちのほうだ。なんだってこんなことを言わなきゃならんのか。
 橘の旦那のほうと付き合いがあったのが運のつきか。若いホストに入れ込んで家計は火の車、なんとか別れさせてくれと泣きつかれてむげに断ることもできなかった。
「あなたのほうからもう来ないように言っていただけませんか。奥さんはあなたにかなり入れ込んでるようで、ほかの人がなにをいっても聞いてくれないんですよ」
「できませんね。大事なお客様にそんなことをいえるわけがないでしょう」
「彼女の財産はもう底をついてますよ。あとはサラ金くらいでしょう。ここらで手をひくのが利口な選択じゃないですか?それとも、無理心中を迫られるのがお好みですか」
 女の恨みは高くつきますよと、いいながらそれでも、この男がなんというかは予想がついた。
「それも一興ですね」
 口の端を上げて、男は笑った。意地でもはったりでもなく、本当にそう考えているのがわかる。
 なんて酷い無頓着なのか。
 自分の人生も他人の感情もどうでもいいと言う、まるで退屈した子供だ。
 同じように笑う男を知っている。その顔を思い浮かべて、坂本はため息を一つついた。
「手切れ金に百万、旦那が払うといっている」
「話になんねえな」
「大金持ちのマダムと一緒にしないでくれ。橘のうちじゃこれが背一杯だ」
 真正面から見据えても、鬼塚は人を喰った笑いを浮かべるだけだった。この店でbPとなった男に、厄介の種にしかならない女などいまさら必要ないだろう。
 それでも決定権を持つのは鬼塚のほうだ。
 だがさて、真実切り札を持っているのは一体どちらなのか。
 その気になれば、この店を潰すことは可能だ。そのための手間と労力が依頼料につりあわないだけで、しまいこんだカードの主がその気になれば、店ごと潰すことができる。
 ただし、目の前で婉然と笑う男が、潰せるかどうかは別問題だが。
「カードの持ち主に合わせろよ」
「・・・・・出来ない」
「会ってからなら、考えてやってもいい」
 駄目なら話は終わりだと、言外に告げていた。
 選択権がないのは、自分のほうか。
 坂本はためらいつつも、頷いた。



 だがさて、真実切り札を持つのは誰か。




「ボロいな」
 煤ぼけたビルを前にして、遠慮なく言い切った鬼塚に坂本もこめかみがピクッと引きつった。
 そりゃあ確かにボロい、それは十分わかっているがしかし、わかっていても人に言われると腹が立つのが人情というものだ。
「ついて来い」
 それでも睨む程度で抑えると、油切れを起こして派手な音を立てるエレベーターに乗り込んで、七階を押した。
 そのボタンの隣には、「葛西探偵事務所」と表記されている。
 その文字に鬼塚がわずかに反応したのを感じ取って、坂本は内心ため息をついた。
 忘れていてくれればありがたかったのに、やはりそんなことは祈るだけ無駄だったらしい。アバラを七本も折られる経験など、いくらこの男が綱渡り人生を送っていようと、二度も三度もあることじゃないのだろう。
 なんと言おうか迷って、それでも遠まわしにいっても仕方ないことはわかっていた。
「元池袋正道館の葛西だ。お前の知ってるやつだよ」
 取り出したカードで、幾分掠れた葛西の文字とトントンと叩く。
「このカードの持ち主は、葛西だ」
 一瞬の動揺と沈黙。
 それでも殺気立つこともなく、変わらぬ気配を保ちつづける男に坂本は内心舌を巻く。本当に、厄介な男だ。
 厄介な人間なんて一人いれば十分なのに。
「金持ちの坊ちゃんには見えなかったけどな」
 金属の擦り切れる嫌な音が一際たかく鳴ったとき、独り言のように鬼塚がつぶやいた。
「金持ちの坊ちゃんがこんなとこに住んでるかよ。確かにカードはもともと父親のコネクションだけどな、譲られたわけじゃない。奪い取っただけだ」
 かろうじて認知された程度の愛人の子供、だがその立場を最大限に利用して財産のほとんどを奪い取る姿は、恐怖と同時にある種の感嘆さえもたらした。
 敵対するものを叩き潰して、味方さえ代えのきく手足でしかなく。
 ただそれでも、葛西はただの人に坂本の目には見えたから、結局高校卒業後もこうしてずるずると付き合っている。それが、葛西の一番の武器なのかもしれないと思いながらも。
 七階の部屋は、外からの外観にふさわしくぼろかった。
 擦り切れた畳と、火のついていない旧式のストーブ。
 人気がない。
「いねえじゃねえか」
 冷え込んだ空気しか残らない部屋に、鬼塚が顔をしかめるが坂本は黙ったまま、壁の一部をめくって手を突っ込んだ。
 中にある鉄に触れて、軽く指を曲げる。ひねり具合が難しいのだ。こんなもん買うくらいならいっそ暗号式にしてくれといったが黙殺されて決定した。
 その部屋の一部が、静かに動く。
 壁が割れて中から階段がのぞくと、さすがの鬼塚もあっけにとられた顔をしている。
 どこにも表記されていない八階。外からも一目ではわからないつくりになっている、本当の最上階。
 七階が表の顔なら八階は裏の顔だ。裏の仕事を請け負うときにのみ使う部屋、この時間帯なら葛西はたいがいそちらにいる。
「・・・・からくり屋敷かよ?」
「まあ・・・・にたようなもんだ」
 驚きというより呆れに近い顔の鬼塚に、坂本も渋い顔をする。はっきりいって恥かしい。女なら、いい歳してまだリカちゃん人形が好きなの〜?!といわれたようなものだと思っていただきたい。
 いい歳して秘密基地ごっこはねえだろう。
 ノリノリでこの部屋に決めていた悪友の顔を思い浮かべて思わずつっこんでみたが、本人に面と向かっていったところで効き目はないのだ、あきらめるしかない。


 薄暗い、それでもわずかな明りのともった八階に入ると、鬼塚は興味深げに部屋を見回した。
 先ほどの七階と同じビルとは思えない、オフィスという言葉がしっくりくる落ち着いた空間が広がっている。
 見えるところにあるだけでも、コンピュータ関係は最新のものが揃っている。テーブルの上に無造作に置かれた花瓶にいたっては、確か何百万とするものではなかったか。
「あくどく儲けてるなー」
「あれは貰いもんだ」
 言い捨てて部屋の奥に進めば、窓際のデスクの奥に金髪が見えた。
 外からはそうとわからないガラス張りの壁、そこから一面の夜が広がっている。
 プラスチックのような安っぽいネオンと、働きつづける人たちの光。
「葛西、起きろ。客だ」
 元から寝ていないことはわかっていたけれど、椅子から立つ様子のない男に仕方なく声をかける。
 案の定、すぐに開かれた目が薄く笑っていた。
 この獣並みの感覚を持つ男が、自分のテリトリーに侵入されて気づかないはずがないのだ。
「なにを、連れて来たんだおまえは」
 あきれ混じりの声で言いながら、葛西が重みを感じさせない動作で立ち上がる。
「なにって、例のホストだよ」
「そういう意味じゃなくてだな・・・・・」
 振り返り目にした姿に、言いかけた言葉が消される。
「・・・・・・・・鬼塚」 
「よお」
 めったに動揺しない男と、動揺を見せないだろう男が二人揃ってうろたえている姿は見てて楽しかったが、坂本のそんな悪趣味な楽しみは長くは続かなかった。
「・・・・その様子じゃ、交渉は無駄だったんだな?」
「・・・まあな」
 矛先がこちらに向かってきてしまって、坂本はさりげなく目を逸らした。
「百万で満足しとくのが、利口な選択だと思うぜ?鬼塚」
「つまんねえ選択ほど、退屈するもんもねえだろ」
「・・・・全くな」
 笑い方は酷く似通っているのに、きっちりボタンを留めた姿の鬼塚と、スーツを着崩した姿の葛西は酷く対照的だった。
 鬼塚が誘いの魔力を持つとすれば、葛西にあるのは圧倒的な力。
 全てを容赦なく叩きのめす、王の証明。甘い言葉と目隠しで心を堕とす鬼塚とは、酷く対照的で。
 それでいて、同じ笑い方を、するのだ。
 不意に坂本は、恐ろしくなった。笑い方が似すぎていて。
 他人が自分と似ていれば似ているほど、反発は強くなる。他人だから見える欠点が、自分のものとして跳ね返る。
 同じであればあるほど、相手の弱さが許せなくなる。
 まして、このプライドの高い親友が、自分と似た相手を容認できるだろうか、いや。
 それは無理だ。鬼塚を連れてくるべきではなかった。葛西にだけは会わせるべきじゃなかった。
「・・・・退屈がいやなら」
 不意に葛西が笑った。
 暖房のきいた部屋の中で、そこだけ心を凍らせる空気が流れているようだった。
「ギャンブルは好きか?」
「嫌いじゃねえけど?」
 嫣然と答える鬼塚に、葛西はデスクの引出しから、ずっしりと手になじむそれを取り出す。
「葛西!!!」
 黒光りするそれを認めて、思わず坂本が声を荒げる。
「大丈夫だ」
「バカ野郎、なにが大丈夫なんだ!」
「いいから、黙ってみてろ」
 それ以上の反論を許さずに、葛西は手の中のそれを鬼塚に示す。
 オモチャのように葛西の指がもてあそんでいるそれは、玩具ではありえない重みと能力を持つ。
 銃だった。
「百万を元手に、賭けをしねえか?」
「賭け?」
「俺が勝てば、手切れ金無しで橘の女と手を切ってもらう。お前が勝てば、一億だしてやる」
「・・・・・・・いいぜ。ルールは?」 
 わずかな沈黙は躊躇いというより、葛西の真意を測りかねているようだった。
 こんな馬鹿な事を言い出す男がどこまで本気なのかを測りかねている、そんな様子だったが、それでも勝負に乗る程には鬼塚は。
 退屈しているようだった。
「勝負は一度だ。玉は一発だけ。死んだほうの負けだ、わかりやすくていいだろ?」
「どっちも生きてたらどーすんだ?」
「そんときゃ百万で手をひけよ」
「ずいぶん、俺に不利じゃねえか」
 そういいながらも、鬼塚の目はこの状況を完全に楽しんでいた。
「退屈しのぎをさせてやるんだ、そのくれぇの代金はもらわねえとな」
 そして、ぎっしり詰まっていた弾丸はざっと床に零す。
 絨毯が敷かれた床は、派手な音を立てることなく弾丸を呑み込んだ。
「葛西!」
 銃身を頭に向けるその手を、坂本が掴んだ。
「馬鹿な真似すんな!!」
 常に穏やかな黒耀の目が、完全に怒っていた。だがこの張り詰めた空気の中では、それすらも生温い。
「大丈夫だ」
 微かに笑んで見せて、その手を振り払う。
 銃口を己のこめかみに突きつけて、目の前に立つ男を嘲いながら宣言する。
「さぁて、ちゃちなロシアン・ルーレットの始まりだ」
 そして、指を絡めて。
 引き金をひく。










 だがさて、真実、勝利の札を持つのは誰か。










 満月のわずかな明りだけが、愚者の戯れと気まぐれに微笑んで見せた。






















 うわーーーーーー長いよー変だよーだらけてるよーーーーーごめんなさい。
 ごめんなさいーーーーー!!!