その電話が鳴ったのは、ちょうど、天ぷらを揚げているときだった。
「はい、はい、はい、はい坂本です!」
 天ぷら粉を纏ったサツマイモを長ばしで挟んだまま、左手で子機を取る。
『よお』
 聞こえてきた低いバリトンはそれ以上いう気がないらしいので、とりあえず坂本は世間常識を教えてやった。
「名前を名乗れ」
『なんや。わからんのか?』
 とたんに不機嫌になる声に、聞こえるように溜め息をついてやる。
 わかるわからないではなくて、マナーの問題だと、いって聞く男だったらどんなによかったか。
「ったく、なんの用だよ、川島」
『昔、俺が結婚してくれゆうたの、覚えてるか?』
 サツマイモが上空から勢いよく落下した。
「・・・・・・・・・・・・・ええと、川島?」
 この幼馴染が、といっても小学に上がる前に引っ越したので本当に子供のころしか一緒にいなかったが、それでもこの男がいかに日本語が不自由かは十分承知していた、が。
 それにしたって突拍子がなさすぎだろう。
『そんときお前ゆうたな』
 坂本が面食らっているのにも気づかず、男は上機嫌で続けた。
「・・・・・・・はあ」
『年収一千万になったら結婚したるって』

 ちょっと気が遠くなった。

「いったっけそんなこと・・・・・・・」
 いったとしたら我ながら嫌なガキだ。
 いやいや、そもそも男に向かって結婚してくれというこの馬鹿もどうかと。
 油の飛ぶフライパンを前にして坂本はちょっと電話を切りたくなった。
『俺な、今度転勤で、そっち行くことになったんや』
 また話が脈絡ないし。
 誰かこの男に日本語を教えてやって欲しい。
 確かにおしゃべりな男よりは無口なくらいが格好良いかもしれないが、会話として成り立たないのはどうだろう。
 と、つらつらと物思いにふけってしまってから、気づいた。
「そっちって、東京か!?」
『ああ』
「地元大好きなおまえが!?よく大阪離れる気になったなあ」
『そっちで支店任されることになったんや』
 それは俗にいう栄転だろうか、なんて羨ましい。
『でなァ、支店長になったら、年収一千万超えるで』
「そりゃすげえ・・・・・・・・・・・・って、おい、待て」
 嫌な予感に青褪めた坂本の耳に飛び込んできたのは、この相手にしては珍しく軽やかな声だった。
『結婚してくれ』

 そうか、おまえは日本語だけじゃなくて、頭もおかしかったんだな。

 あんまりびっくりすると、逆に冷静になってしまうという経験を初めてした。
「・・・・・・・あのなあ、川島、よく聞けよ?」
『新居のパンフレットおまえの住所当てに頼んどいたから、好きなとこ選ぶとええ』
「聞けよ!!いいか、日本国憲法じゃ男同士は結婚出来ねえの!!!ぜってえ無理なんだよ!わかったらそのバカな頭を冷やしてまともに女作ってからこっちに来い!」
『俺はおまえと結婚したいんや』
「俺はしたくねえ!!」
『年収一千万になったら結婚してくれるゆうたやんか!!』
「ガキの言ったこと真に受けてんじゃねえよ!おまえは今いくつだ!」
『29や!悪いか!』
「悪いわ!ボケ!常識を持て!!」
 散々怒鳴り散らしたあとで、不意に静かな声で川島が言った。
『もう遅いわ』
「なにが」
『婚姻届、受理されたで』

「・・・・・・・嘘つけーーーーーー!!!!!」

 受話器を握りしめて叫んだが、男は嬉しそうに笑った。
『そうゆうことやから、末永く、よろしくな』
「おい、ちょっと待て、冗談だろ、おい川島!!?」
 だが人の話など聞かない男はさっさと電話を切ってしまった。
 あちこち焦げてしまった天ぷらと、機械音の鳴る受話器を交互に見つめて、坂本は呆然と立ち尽くした。









「・・・・・・・・・・・・・・で?」
「でっておまえ、それだけかよ!?俺の、役所で名字がマジで変わってるのを見たときのショックがわかるか!?」
「知るか」
 あちこち油染みのあるつなぎを着た男は、鈍く光を放つ工具をもてあそびながら愛想なく言い切った。
「ああちくしょう!なんで受理されてんだよ!?俺もアイツも男だぞ!?」
「うるせえよ、仕事の邪魔だ」
「あ・・・・・・・・悪い。ちょっと、気が動転しちまって・・・・また、あとで来るな」
 そういって坂本が腰を上げようとすると、下から腕を捕まれた。
「葛西?」
「馬鹿はおまえだ。さっさと離婚届出せばいいだろ」
 いつもより一段低い声に、坂本は困って首すじを掻いた。
「でも川島のサインがなあ」
「相手だって勝手に書いたんだろうが。そんなん気にしてんじゃねえよ」
 気にするなといわれても気になる。それになんで婚姻届が受理されたのかがさっぱりわからないので、離婚届を出してちゃんと受理されるのか不安だ。
「年収一千万なんて馬鹿なことを言うからそんなことになんだよ」
「んなこといったって、ガキのころの話だぜ?覚えてねえよ」
「嫌いだってはっきりいってやりゃよかったんだよ」
 なぜかひどく不機嫌な親友に、坂本は首を傾げた。やはり仕事中にきたのがまずかったのか。
 葛西の仕事は機械関係の修理で、つまり自営業なので、暇そうな時間はついつい入り浸ってしまうのだけれど、今日はいつになく機嫌が悪いようだった。
「別に、嫌いなワケじゃねえんだよ。ただちょっと、思い込みの激しいところがあって」
「結婚したいのかよ!?」
「んなわけねえだろ!」
 はっきり言い返したのに、葛西の目にはまだ疑いが残っていた。
「・・・・・・どうせ俺の年収は一千万もねえしな」
「だからそれは・・・・・・・・・・・・・・って葛西?」
 伸ばした膝をもう一度折り曲げると、坂本は呆気にとられて聞いた。
「おまえ俺と結婚したいの?」
「アホか」
 ばっさりと言い切られて、聞いた坂本のほうが恥かしくなっていると、不機嫌な声が続けた。
「そんなんじゃねえけど、お前が他人のもんになるのはむかつくんだよ。今すぐそのふざけた男を殺してやりてえくらいにはな、腹が立つんだ」
「いや、アイツはふざけてるんじゃなくて真面目に・・・・」
 そういうことを言う男なんだといい終える前に、節くれだった指が唇を無理やり塞いだ。
「俺がそいつをぶち殺す前にさっさと別れろ」
 これは、もしかして、この男なりの気遣いなんだろうか。
 微妙にずれた方向に頭をめぐらして、坂本は言った。
「努力する」
「政治家みてえなこと言ってんじゃねえよ。いいか、今すぐ離婚届を出して来い。俺がその馬鹿の顔面潰してコンクリに叩きつける前にな」
「いやだから、アイツは馬鹿なわけじゃなくて・・・・」
 見ばえも頭もそれなりにいいのだが、ときどきネジが一本抜けるだけだといおうとして、やめた。
 親友の目が、ひどく暗かったので。
 大阪の友人がそうであるように、目の前のこの男も嘘はいわない。口にする限り、それは本当のことで、つまりやるといったらやるのだ。
「・・・・・・結婚とか、したいのかよ?」
 ボソリと呟かれた言葉に、肩をすくめた。
「考えてねえよ」
「したくなったら俺にしろ。他のやつとはすんな」
 むちゃくちゃなことを言い出す葛西に、呆れながらも笑ってしまう。
「おまえと結婚ねえ・・・・」
「するか?」
「お前がウェディングドレス着るならしてもいいけど?」
「冗談じゃねえ、おまえが着ろよ」
 そうして、顔を見合わせて笑った。
 額を突き合わせて、視線を絡めて、子供のように笑う。
 そうしているとそれだけで、問題などどこにもない、無敵な気持ちになれるから不思議だった。








 がしかし。









 問題はまるで解決されていなかった。













 坂本の出した離婚届はなぜか受理されず、本当に引っ越してきてしまった川島が坂本の部屋に住み始めたことによって、第三次世界大戦が都内某所で勃発したとかは、もう少し先の話。


















 川島さんの関西弁については見なかったことにしてあげてください・・・・。
 川島スキーの皆さまごめんなさいー!!(逃走)
 なんとかプロポーズだけはクリアしたものの誰かをご臨終させるのは無理だったよ・・・
 でも一応川島と結婚したわけだからこれからは川島博之!(いやそれはどうかと)
 葛西と川島はどっちが強いんでしょう・・・・坂本が一番強いかなあ・・・・