落し物 3
変な男かもしれないと思った男は、予想を違えず、変な男だった。
いや、変と言い切ってしまうと語弊があるかもしれない。
正確に言うなら、そう、なんというか、みかけは若いのに生活感あふれる主婦みてえ?
よれよれのエプロンをつけて忙しく動いている後姿を、鬼塚は渋茶を片手になんともいえない表情でみていた。
鬼塚の家は、確かに男二人が入ると狭かったが、ごく普通の一人暮らしの部屋だった。
普通でなかったのは来客のほうで、記憶喪失の男は靴を脱いで中に入るなり、
「ここ何畳?」
と聞いた。たぶん無意識に。
自然に口をついたという顔だったが、入るなりその質問は、健全な男子校生として、あまり、普通ではない。
たいていの奴は入ると、まず部屋の中の物を物珍しそうに見回す。一人暮らしだってそんな変わったものがあるわけじゃないのに、未知の洞窟探検でもしている気分らしい。
入るなり何畳と聞く奴はあまりいない。
なので戸惑いながらも、鬼塚が「七畳」と答えると、今度は、
「家賃いくら?」
と聞いてきた。
はっきり言おう、変だ。
そのあとも、「駅から何分?」とか「スーパーは?」とか、あげく風呂を覗いたりしているのを見て、鬼塚は確信をこめて言った。
「おまえ、絶対に一人暮らしだな」
「なんで」
「その行動全てが一人暮らしだ」
不思議そうな顔をしている男に、きっぱりと言い切った。
「そーなのか?」
「そーだ。俺も身に覚えがあるけどな、そういう質問が無意識に出てくるのは一人暮らしの奴だけだ」
「それは困ったな」
ちっとも困っていない顔で男は言った。
「生ごみが腐ってたらどうしよう」
気にするのはそこじゃねえだろとツッコミたかったが、真面目くさった顔をしている男に我慢した。
そしてその後発掘された台所を、記憶喪失の男はせっせと片付けている。
鬼塚が一度も袖を通さず、押入れに突っ込んでおいたエプロンを着て。
「あんたここまで魔の巣窟にするまえに、片づけようとは思わなかったのかよ」
「めんどくさくて・・・」
最初の頃はそれでも片付けていたのだけど、今じゃもう最後に米を炊いたのがいつかも思い出せない。
「めんどくさがるな!こんな汚かったら飯も作れねえだろ」
「作んなくたって、買えばいんだよ」
「それじゃダメ人間だ」
言い切られて、鬼塚はそうですかと肩を落とした。
別に片付けてくれと頼んだ覚えはないのだが、記憶喪失の男は魔の巣窟と化した台所が堪えられなかったらしい。
どこからかエプロンまで見つけてきて、さっきからこまめに働いている。
ちなみに鬼塚が部屋のほうで一人さびしく茶を飲んでいるのは、怠けているわけではない。
邪魔だと問答無用で台所から追い出されたのである。
可愛くうさぎがプリントされたエプロンは、確か母親が買ってきたんだと思うが、まさか記憶喪失の男に着られることになるとは、誰も思わなかったに違いない。
あのエプロンを着て台所で動く後姿を見ることになるとは、さすがに鬼塚も予想しなかった。
しかも男が。
まるで新妻のよう、というフレーズが唐突に浮かんでしまって、鬼塚は慌てて打ち消した。
だが一度浮かんでしまったものは簡単に消えてくれない。
めくるめく新婚生活ストーリーが、理性の網を潜り抜けて、鬼塚の脳裏を舞台にはじまってしまった。
真新しいエプロンを着て、台所に立つ新妻、いや(希望は)幼な妻?
庭にはチューリップ。
真白のテーブルクロスに、アイロンのかかったシャツ。
まるで『花王・愛の劇場』
そして仕事で疲れて帰ってきた旦那様にかの名台詞、ピンクのフリルが風に揺れながら『お帰りなさいあなた、ご飯にする?お風呂にする?それとも・・・・』
「うわあああああ!!」
「うわっ!なんだよ!?どした!?」
ガッテーム、と叫びだしそうな勢いで頭を抱えて叫んだ鬼塚を、記憶喪失の男が不審の目で見ている。
「い、いや、なんでもない・・・・・気にするな、頼むから気にすんな」
「はあ?なんだよ、変な奴だな」
お前にだけは言われたくねえ!と言い返す気力もなく、鬼塚は自分の空想(妄想?)にやられてぐったりとした。
最近、『女優・杏子』とか見てたのが悪かったのかもしれない・・・・。
男のエプロン姿にあらぬ夢(妄想)を抱いてしまったなんて、鬼塚勝也一生の秘密である。
よろよろと、時間とともにようやく鬼塚の精神が再生されてきたとき、男がぽつりと言った。
「なあ、あんた高校生だよな?」
「まあ一応」
記憶喪失の男が困ったような、それでいて聞きたそうな顔をしているのを見て、察しがついた。
「親は離婚して父親に引き取られて、再婚に邪魔だったんで金だけもらって一人暮らし。ちなみに弟がいるけど、母親と暮らしてる。以上、質問は?」
「・・・ないです」
「気を使わなくていいぜ。たいしたことじゃねえから」
苦笑混じりに言えば、男も微かに笑ったようだった。
「じゃあ、弟さんは何年生?」
「いま中三」
「似てんの?」
「・・・・かなり」
弟は可愛いが、似ているというのはやっぱり複雑な感じだ。
なので渋々答えると、男は肩を震わせた。
「なんだよ」
「いや・・・みてみてえなと思って・・・きっとあんたを幼くした感じなんだろーな・・・」
何がツボに嵌ったのかしらないが、男はクックと笑いつづける。
「俺より性格はいいぜ」
グレてるけど、と心の中で付け足す。
「よく会ったりすんのか?」
「まあ、そこそこ・・・・」
「うん?どしたの?」
最近あったときのことを思い出して言葉を濁した鬼塚を、男が不思議そうに見る。
記憶喪失の男は、何も知らない。
それはときに心を軽くする。
仲間にも話せないことでも、何も知らない相手なら話せることがあった。
「弟の奴が、こないだ会ったとき・・・・・」
「なんかあったのか?」
気遣う口調に、鬼塚は深く息を吐き出した。
あのときのショックは今でもありありと思い出せる。一瞬、本気で疑いさえしてしまった。
思い出して重い口調で、鬼塚は言った。
「左耳にピアスしてたんだ」
「ピアスぐらいーだろ!」
「左だけにだぞ!」
「・・・・ああ、それは・・・また、なんつーか・・・・世間知らずな奴だな」
記憶をなくしたわりに、世俗の塵にまみれた男は遠い目をする。
「やめろっつったんだけどな、まるでわかってねえからそれがどういう意味か説明すんのも、ためらいがあるっつうか」
「ウブいなあ」
「かわいいと言え」
兄バカな発言をした鬼塚は、頭をゴンと打っただけで記憶をすっかりなくしたような男から、呆れと哀れみが半々に入り混じった目を向けられた。
「よし、こんなもんだろ」
そういわれて台所を覗くと、そこはまるで別世界。
光沢を放つステンレスは、思わず拝みたくなるカンジ。
「お疲れ様」
どこが客なのかわからなくなったが、一応お客様にねぎらいのビールを渡す。
「今度からは週に一度は掃除しろよ。それとゴミは分別して出す!生ゴミは特に気をつけないと虫がわくぞ。それから・・・」
延々と続く諸注意を聞き流し、鬼塚は自分の分のビールをあおった。
「人の話を聞け!」
「聞いてる、聞いてる」
「聞いてねえだろ!まったくいつもお前は・・・・・・・・・・・・・・いつも?」
「いつも?」
「いつもってなんだ?」
なんだと聞かれても鬼塚に答えられるはずがない。
思わず顔を見合わせた。
「いつも?いつもって・・・俺・・・あれ?なにいってんだ・・・いつも?」
自然に口をついた、その言葉に男が混乱しているのをみて、慌てて言う。
「大丈夫だ、落ち着け。いまの無意識か?」
「あ、ああ。たぶん」
落ち着かない風に頷く男に、鬼塚は断言した。
「おまえ、兄弟がいるな。それも手のかかる弟か妹」
「・・・・なんで?」
「1、やることがマメ。2、言うことが細かい。3、話しかたが言い聞かせるカンジ。典型的なお兄ちゃんタイプだ」
さりげなくひどいことも言われていたが、鬼塚の迫力におされて男は何となく頷いた。
「兄弟ねえ・・・・・駄目だ、思い出せねえ」
「それも手のかかる兄弟だな!予想としては、生活能力が乏しいけど人の話を聞かないタイプ」
嫌な予想を立てられた男は、困ったようにいった。
「あんま思い出したくねえなあ、それ」
「思い出してやれよ。兄貴がいなくなって泣いてるかも知れねえぞ」
言ってからしまったと思った。
目の前の男があんまりのほほんとしているから、つい忘れそうになったが、彼は何も思い出せないでいるのだ。
不安でないはずがない、手のかかる家族がいるといわれて、心配にならないはずがない。
だが鬼塚が謝る前に、男は微かに笑っていった。
「あんま不安はねえんだよ。なんでかな、すぐ思い出せそうな気がするんだ」
「思い出せるさ」
「だよな。ああ、それと、兄弟の話だけどな、たぶんそれはねえと思うぜ。いたって感覚が全くねえんだ。でも・・・・」
「でも?」
「手のかかるなにかがいたって気は、なぜかひっじょーにする・・・・」
思い出したいような、でも半分くらいは思い出したくないような顔で、記憶喪失の男は頭を抱えた。
「しかもなんか、厄介なカンジなんだよな。泣いてるなんて可愛げのあるカンジじゃなくて、なんか・・・・」
思い出そうとするたびに襲い来るこの嫌な予感はなんだろうと、男はうめいた。
そう、これは間違っても、帰らない兄を探して泣いている弟がいるような、かわいい感覚ではない。
この総毛立つような、巨大な嫌な予感を信じて言うなら、そう、待っているのは。
「キレて人様を殴り飛ばしてそうな誰かだ」
思いださねえほうが俺の人生は平穏かも知れねえと、半ば本気の顔で男は呟いた。
いろいろと遊んでます。特に左耳ピアスの弟とか(笑)
葛西は出てきてないけど出てきました。
でも一番かわいそうなのは鬼塚。どんどん壊れていって・・・・ゴメンよ(涙)
そのうち格好よく・・・ならないだろうなあ。
あと一回くらい同居編を書いたら、そのあとは再会編です。
何で長くなっているのかは私にも謎ッス。
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