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夜道





真夜中の電話は心臓に悪い。突然鳴り出した音を見つめること三秒、諦めて取り上げた受話器から聞こえてきたのは馴染み深い声だった。
『よ』
「……なんだ」
『うんー?なんでもねえよー、寝てたか?早寝早起きだなあ、もっと夜更かしをしなさい』
ベラベラと口を挟む隙も見せず立て続けに紡ぎだされる言葉はどれも空っぽで、葛西は一息でそれを断ち切った。
「なんだ」
『…………迎えに来てくれねえ?』
財布持ってと媚びるように付け加えられた言葉に顔をしかめたのは一瞬で、彼がどこから電話をかけているかを悟った葛西は受話器を叩きつけて立ち上がった。




電話越しに、救急車のサイレンが聞こえた。




ひょろりとした体を固く軋む病院の椅子に横たえている姿は、予想通りとはいえ心臓に痛く、葛西は知らず右手を握り締めていた。
気を抜くと、殴ってしまいそうだった。
「おい」
「…さんきゅ」
へらへらと笑って、坂本はゆっくりと立ち上がる。
その拍子に、薄い肩にかかっていたジャンパーが、静かな廊下に音を響かせて落ちた。黙って拾い上げて、葛西は、心底この親友を殴り飛ばしたくなった。
一面に広がる染みは、洗濯しても落ちないだろう。今はもう乾いていて、その赤黒い色が葛西の手にうつることはない。
拾い上げたまま動かない葛西に、坂本は少し困ったように笑って、そしてそれを葛西の手からそっと奪った。血に染まったその上着をもう一度肩にかけると、坂本は左腕だけを通した。
右腕は動かせないのだろう。包帯は幾重にも巻かれていて、腕の動きを制限していた。肩から肘にかけて巻かれた包帯は、黄ばんだ灯りの下では、やっぱり薄い黄土色に見えた。見えてそれでも、目に痛いほどの白さだと葛西は思った。
これほどの傷では、本当は、入院を命じられているのかもしれない。
だがそんなことは、いって聞くような男ではないと知っていた。それに葛西はさっきから、へらへらした笑いを崩さない坂本を思い切り殴ってやりたくて、右手を押さえる事だけに必死だった。
(落ち着け)
自分自身に言い聞かせる。相手は怪我人だ。おまけにこいつはすぐ平気な顔をするから、どのくらいの怪我なのかわかったもんじゃない。せめて怪我が重くないことを知ってからでも、殴るのは遅くない。
坂本はふと、困ったように眉を下げた。その顔はどこか頼りなく、そして幼く見える。
坂本にこんな顔をされて、それでも殴れる人間なんていないだろう。
だから、自分だけは殴ってやる。
痛みでもなんでもいいから、お前がしていることを思い知らせてやる。






「で?今度はなにしやがった」
「ひでえいわれようだな」
苦笑とともに吐き出された息が、真夜中の空気に白く浮き上がった。
こうやって並んで歩けば、やっぱりその姿はただの中学生で、子供にしか見えない。
「じゃあ、聞き方を変えてやる。こんな夜中に呼び出したあげくにてめえの治療費まで払わせやがったんだ、怪我の理由くらいさっさと言え」
「金は返すよ」
「坂本」
葛西は、最大限に抑えた声で親友の名前を呼んだ。
もしもあと一言でも坂本がくだらないことをいったら、右腕は動いてしまうだろう。わかっていて止める気にもなれない。ふざけるなと思うだけだ。
ただ幸いなことに、坂本はその危うい響きに気づかないほど鈍くはなかった。
「刺された」
「……今度は何やったんだ、てめえは」
うめくような声に、怪我の当事者は淡々と答えた。
「ベッドに入る前に出張中のはずの旦那が帰ってきて、怒った旦那さんにざくっと」
「せめて人妻はやめとけっつったろ!!」
葛西の怒声にも、坂本は笑うだけだった。
「ほんとになー。あれ、刺されたときって意外と痛み感じねえもんなんだぜ。知ってた?」
「変な知識つけてんじゃねえ!お前が痛くなくても俺が痛かったわ!いきなり夜中に病院から電話しやがって、死んだかと思うだろ!!」
「いや、死んだら電話は出来ねえだろ」
そういう問題じゃない。全然ない。
街灯の明りは、明るいけれど暖かくなかった。自販機から漏れる光が、夜の空気を白く染めるけれど、そこに熱はない。温もりは足りずに、体温は奪われる一方だ。ジャンパーしか防寒具のない怪我人は、寒そうに身を縮めながら、ふらふらと前を歩いていた。
坂本の遊び癖は昨日今日の話ではないし、それが本当に遊びなら葛西だって口を挟んだりしない。
けれど親友は、刺されたばかりの人間とは思えない軽い足取りで歩くから、ふらふらと定まらずに歩くから、首根っこを引っ掴んで止めたくなるのだ。
「…怪我は」
「たいしたことねえよ」
「具体的にいえ」
「──── 十針ほど」
葛西は散々自制してきたにもかかわらず、とうとう、怪我人の頭を後ろから殴った。
「いてぇ!!!」
「アホかー!!なにやってんだ!何がしてえんだてめえは!!いちいち俺の寿命を削りてえのか!!」
「そんな大袈裟な……嘘ですごめんなさい。俺が悪かったです」
葛西の額に青筋が浮かんでいるのを発見して、坂本は慌てて謝った。
坂本が毎晩のようにふらふらと女のところへ行く理由を、葛西はいくつか推測することができた。けれど、そのどれもが正しくないことも、葛西はきちんと知っていた。
本人でさえ理解しきれていないものを決めつけるなんて、傲慢で愚かなことだろう。
それにこの友人相手では、分析も推測も、まるで役に立たない。躊躇いなく新しい傷を増やしていく坂本の足を、一歩でも止められるものがあるとすれば、それはただ一つ、実力行使というやつだけだ。
「…悪ぃな」
「わかってんならやめやがれ」
「うん…わかってんだけどな。煙草みたいなもんかな。……体に悪いとわかってるのにやめられねえ」
坂本の一歩後ろを歩いていた葛西は、ゆっくりと言葉を口にした。
「なら、試すか?」
怪訝な顔で振り返った坂本の目の前で、葛西の静かな声が夜闇を貫いて響いていった。
「おまえがやめるっつうなら、俺は今日から禁煙してやるよ」
坂本は笑い飛ばそうとして、失敗した。
街灯の明りに晒された葛西の目は、光に色を奪われてもなお強く、坂本を見ていた。
笑おうとして失敗した顔は、泣き顔のように歪んでいく。坂本は人工の地面に目を落とした。闇に埋もれた足元を見つめて、ぽつりと呟いた。
「俺が……──── 俺が、もし死んでも、お前は悲しまなくていいよ」
「おい」
小さく吐き出された言葉は、その小ささに反していつまでも残った。あっさりと消えてくれない言葉に、葛西は息を詰まらせた。それでも坂本は言葉をとめない。葛西の心をわかっているはずなのに、微かな笑みすら浮かべて、坂本は続けた。
「俺が。俺が死んだら、お前は忘れろよ」
鈍く光る切っ先を向けられた瞬間に思ったことは、もしかしてそれなのか。
じくりと広がる痛みに歯を食いしばって、葛西はもう一度親友の頭をどついた。
「ってえ!!!」
「お前が死んだらな、盛大に泣き喚いて、一生引きずってやるよ。いいか、覚えとけよ、一生引きずってやるからな」
「忘れろよ」
「いやだね。冗談じゃねえ、一生恨んでやる」
恨んで想って呼び続ける。そんな姿を見て、なにも出来なくなった自分を少しでも後悔すればいい。お前のした事を思い知ればいい。
「なんでおまえは人のいう事きかねえんだ!?」
「てめえにだけはいわれたくねえ!!」
しばしにらみ合ったあと、肩を落としたのは坂本のほうだった。
「それじゃ、おちおち死ねねえじゃん…」
「生きてりゃいいだろ」
当たり前のことだろうと言い切った葛西を、坂本はまじまじと見つめて、そして笑いだした。
「ときどき、おまえは、すごく賢いんじゃねえかとおもうぜ」
ひどく嬉しそうに笑いながらそんなことをいう怪我人を、迎えに来た少年は憮然として見つめた。
「ときどきが余計なんだよ」
「いやマジで、マジでさ。頭いいよなおまえ」
「てめえがバカなんじゃねえか?」
「そうかも」
しまいには腹を抱えて笑い出してしまった坂本を、葛西が未知の生物でも見るような目つきで見ていると、小さな声がいった。
「ありがとな」
それは聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、だから葛西は答えなかった。
ごめんなさいとありがとうが言えるうちは人は大丈夫なのだと、誰かがいっていた気がする。それが本当ならいいと思う。
坂本はゆっくりと夜道を歩き出した。葛西もそれにならう。空に星はなく、この分じゃ明日も寒いだろうなとポケットに手を突っ込んだとき、斜め前の坂本が呟くようにいった。
「刺された時に、死んでもいいような気がしたんだ」
「いいわけねえだろボケ」
「ほんとにな」
そういって、黒髪の怪我人はくつくつと笑った。
「俺はさあ、葛西」
「なんだよ」
一歩先を歩いていた坂本は振り返り、葛西の眼を見て微かに笑った。
「一緒に死んでといわれたら誰にでも頷くけど、一緒に生きろといわれて頷くのはお前だけだよ」















オフ用アンケートのお礼小説だった話。いろいろ削ったり加えたりしてますが大筋は変わってません。
坂本は年上好きというのが昔からの妄想設定です(痛!)