冬卵
久しぶりの休日で、朝から洗濯掃除に励んでやっと一息ついたときだった。
ドアをぶち抜く勢いで、玄関のドアが叩かれた。そりゃあもう、ご近所三部屋には確実に響き渡っただろう大音響で。
無口で無愛想、根暗とまでいわれる恩田朝之のマンションのドアを、こんな豪快に叩ける人間など彼は一人しか知らない。
「・・・・・・・・・近所迷惑です」
「よっ!」
恩田の苦情をものともせずに、神谷は勝手知ったる部屋に上がり込む。手に抱えた箱は、またファンから貰った食べきれない差し入れかなにかだろう。
黙って玄関のドアを閉めると、そのままキッチンに入る。いつの間にかできてしまった神谷用のマグカップを出して、これもいつの間にか買ってしまったコーヒーメーカーに豆を入れる。
何度注意してもベルを押さずにドアを叩くこの一つ年上の男が、そのほうが好きだとしってなんとなく買ってしまったのだ。自分で飲むならインスタントで十分なのだが。
「恩田ー、あと水かお茶もちょーだい」
くつろぎきった声が届いて、恩田は知らずに眉をひそめた。
(なんでそんなに飲むんだ?)
今日もまたいつも通りのことだと思って濃い目のコーヒーを入れているのに、まさか、いつも以上に何かあったのだろうか。いやな思い出が頭をよぎる。前に一度だけ神谷がお茶を飲みたがったときは、ようやくものになってきた新人が飲酒運転で捕まったときだった。少ししなびたお茶っ葉でお茶を出すなりそれを一気飲みして、飲み込めず吐き出した。神谷は極度の猫舌なのだから、当然の結果だ。あの時はさすがに慌てて医者に連れて行ったのを覚えている。
今日もまた、何かあったのだろうか。マグカップに褐色の液体を注ぎながら、最近の情報を整理してみるが、これといって思いつかなかった。
もともと、噂話の類には疎いほうだ。微かにため息をつきながら、きつめの芳香に染まったキッチンを出た。
「・・・・・・どうぞ」
片手にコーヒーを、片手に水を持って差し出すと、神谷は嬉しそうに受け取った。
ますますよくない。
神谷が尋ねてくるときは、ただでさえ悪い目つきをいっそう険悪にして口をきゅっと結んで、コーヒーくらいで嬉しそうな顔はまずしないのが常だ。
そういうときにしか、神谷は訪ねてこない。
だから自分も、神谷にはドアを開く。
「恩田!ほらっ、開けろよ」
思考の海から恩田を引き戻したのは、神谷のやけに明るい声だった。
開けろ、と示されたのは、どうやらこのリボンのかかった箱らしい。包みを破かないように丁寧にセロハンテープを剥がして開けると、中からホールのケーキが出てきた。
(生ものか・・・・・)
こんな物をほいほいと貰ってくるとは、神谷にはやはり生存本能が足りない。毒でも入っていたらどうするのだ。
「包丁は取ってきてやるから、ローソク立てとけよ!」
ウキウキと神谷が立ち上がる前に、恩田が軽い動作で立ち上がって箱を掴んだ。そしてそのままキッチンへ向かう背中に、神谷が慌てて声をかける。
「どこもってくんだよ?早くくおーぜ」
「・・・・・・・・・駄目です」
「なんで」
「毒でも入ってたらどうするんですか」
「入ってるわけねーじゃん」
ああ頭が痛い。
どうしてそんなことが言い切れるんですか世の中には何をするかわからない連中だっているんですよいい年してなに考えてるんですかと、目だけでいえば、神谷はなんだか困ったような顔でいった。
「それ、俺が買ってきたんだけど」
恩田はもう一度手の中のケーキに目を落とす。ホール大のケーキ。この人はそんな甘党だったろうか。
「今日、お前の誕生日だろ?」
問いかけであって問いかけでない言葉に、恩田は、90℃体の向きを変えると、手の中のそれを元あったテーブルの上に置いた。
忘れてた。
「忘れてたな?」
呆れたようなからかうような神谷に、「ええ」とも「いえ」ともいえずに恩田は黙り込む。
確かに忘れていた。が。それよりなぜ神谷が自分の誕生日を知っているのか。
そのほうが驚きだ。
「・・・・・・・・・・いただきます」
ローソクを立てようとする神谷の手より先に、備え付けのフォ−クでケーキをむしる。
「あ!なんてことすんだ!せっかくのケーキが台無しだろうが!」
(ローソクなんか立てて欲しくない。立てられたら吹き消さなきゃじゃないか。この年になって頬を膨らませて火を消すなんて真っ平だ)
「誕生日ケーキにはちゃんと順番があるんだぞー・・・ちゃんとローソク立てて、火をつけて、写真とって・・・・」
(写真までとる気だったのか)
「・・・・・・・・・・・・・うまいですよ」
甘いけど、と内心つけくわえつつもそういえば、ブツブツ呟いていた神谷の顔が嬉しそうにほころぶ。
「だろ?」
結局包丁もローソクもなしで、ケーキを食べていく。どう見てもホール一つは食べきれないが、誕生日ケーキというのはそういうものなんだろうと、恩田は無理やり自分を納得させた。
グラスの水もすぐなくなってしまって、恩田はグラスを二つ持って立ち上がった。
(水はケーキ用か・・・)
内心安堵の息をついたと同時に、後ろから声がかかった。
深く、それでいて掠れた声がいった。
「なあ・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・はい」
「んー・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・はい」
「紅葉が見てーなー」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい」
ああ、やはり、なにかはあったのだ。
12月の木の葉すら舞わない時期に紅葉が見たいと言い出した男は、それきり口をつぐんだ。
ケーキを食べることもやめて、ぼんやりと壁を眺めている。
なにかはあったのだ。それはいつも通りのこと。熱湯で入れられたお茶を一気のみするほどではないにしても、なにかがあったのだ。
だから神谷はここにきた。いつもどおり、力任せにドアを叩いて。
「・・・・・・・・・・・・・見にいきましょうか」
言葉すくなに答えを返せば、神谷が少し笑った。
「この真冬にかあ?どこも葉っぱなんかもう全部散っちまってるよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ありますよ」
「うん?」
「・・・・・・・・・・どこかには、紅葉くらいあるでしょう」
恩田は何も聞かない。
濃い目のコーヒーを煎れて、静かな空気を神谷がもてあそびはじめるまでくり返しコーヒーを入れる。
それだけ。
「どこかって、どこまで行く気だよ。沖縄にあんのかな?」
「・・・・・・・・さあ」
どこまでも行けばいい。紅葉くらい、神谷が見たいというのならどこまでも。
「・・・・・・・・・・・・一緒に行ってあげますから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うん」
恩田はなにも聞かない。
神谷はなにもいわない。弱音も愚痴もなにも言わない。
それを無理に聞こうとは思わない。それはきっと、自分の役目ではない。誰か、神谷と一生をともにするような誰かが、聞けばいいのだ。
グラスに水を入れて持っていく。沖縄に紅葉はあるんだろうかと考えながら日の当たる部屋へ入る。
沖縄になくてもどこかにはあるだろう。神谷の言葉が本気でないことは承知の上で、それでも後で調べることにする。もしも本当に行きたいと言い出したときに、迷わずにすむように。
グラスを持っていけば、神谷はまだ壁とにらみっこをしていた。
ポスターの一枚も貼ってない日に焼けた壁を、見つめ続けさせるのはいやだと思った。考えすぎていい事など、全くない。
グラスを手渡ししながら、ケーキを食べ終わったらどこかに連れ出そうと、ぼんやりと考えた。
「恩田」
「・・・・・・・・・・はい」
「誕生日おめでとー」
ほんの少しも笑ってない顔で、神谷がそういった。
それが、嬉しかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・ありがとうございます」
楽しくもないときに笑わなくていい。
そんな神谷はいらない。
少なくとも自分には、必要ない。
ほんの少しも笑っていなくとも、この人が本当に祝ってくれていることくらいわかる。
「・・・・・・・・・・・・食べたらどこか、行きましょうか」
「お前の奢りね」
「・・・・・・・・いいっすよ」
「嘘だよ。誕生日くらい俺がおごってやる」
「・・・・・・・・じゃあ、ワリカンで」
そういうと、『いつもとかわらねーじゃん』と神谷が笑った。
だから、恩田も、僅かに頷いて笑った。
この人の全てを聞くのは俺ではないだろう。
けれど、もし神谷が全てに疲れて果てて誰もいない場所に行こうとしたとき、ともに行けるのは自分だけだろう。
冬の陽だまりよりも、絶対的に。
一日遅れですが、ハッピーバースディ恩田!祝ってるんだか祝ってないんだかわからない話でごめんよ!(笑)