夜の病院はどこの病棟も非常灯だけが頼りなく灯り、不気味に静まり返っている。 だが、その日に限っては何かが違った。 鬼塚は眠れずベットに横たわったまま、じっと病室の天井を眺めていた。 何かの気配を感じたのは、時計が真夜中過ぎを指した頃だった。 昼間感じた、抑え切れない殺気がひしひしと近付いてくる。 病院に恐ろしく不似合いな金髪の男は、研ぎ澄まされた双眸に、獰猛な光を滲ませて鬼塚の病室を目指していた。 その様子はまるで暗殺者のそれである。 音もなく病室の扉が開いた。 何者かが入ってくる。 鬼塚は動じる事なく、ベットを仕切るカーテンの向こう側に立つ人影を見詰めた。 「勝敗はついたと思ったが、息の根でも止めに来たか、葛西」 ゆっくりと、カーテンが引かれた。 「その通りだ」 姿を現した葛西は薄笑みを浮かべている。 狂気さえ含んだ鈍く光る瞳。 「殺しに来てやったんだよ」 起き上がろうとした鬼塚の首を鷲掴み、葛西はへし折る力でベットに押さえ付けた。 咄嗟に膝を蹴り上げた鬼塚の脇腹に、葛西は容赦なく拳を振り上げる。 悲鳴を漏らさない為、葛西は鬼塚の口を塞いだ。 「ぐぅぅ」 塞がれた口からくぐもった呻き声が上がる。 苦痛に歪む顔を満足そうに眺め、葛西は鬼塚の上に馬乗りに乗った。 首に両手を回し、じわじわと締め上げる。 本気だった。 本気で殺すつもりの尋常ならざる殺意が締め上げる手から伝わってくる。 葛西の目は血走り、狂人のそれのように何も映していなかった。 だが何かに必死でしがみつき、怯えているようにも思えた。 葛西、今のてめぇはクソみてぇなクズ野郎だ。 なのに、なぜあいつはこんな野郎を止めたいだなんて言うんだろうか。 「死ねや、鬼塚」 低く喉の奥で笑う葛西の目に、無造作にベットに置かれたタバコが映った。 坂本と同じ銘柄のタバコ。偶然か、いや、違う。 その隣に置いてある携帯用の灰皿は間違いなく坂本の物。 一瞬、首を締め上げる葛西の腕から力が抜けた。 その一瞬の隙を突き、鬼塚は左腕のギプスでしたたかに葛西の顔面を殴りつけた。 虚を突かれた葛西は、もろに左頬にギプスを食らい、仰け反って倒れた。 倒れた拍子に折り畳んであったパイプ椅子に足が当たり、派手な音を上げて一緒に倒れ込む。 調度見回りをしてた看護婦が騒ぎを聞きつけ、慌てて飛んできた。 「チッ」 葛西はいまいましげに舌打ちして、入ってきた看護婦を倒して出ていった。 看護婦が悲鳴を上げて、助けを呼ぶ。 だがその時には既に葛西の姿はどこにもなかった。 「殺したぜ」 朝っぱらからいきなり物騒な事を言い出す親友に、坂本は思わず耳を疑った。 「なんだって?」 「殺したって言ったんだよ」 「誰を?」 「てめぇが斐甲斐しく見舞いに通ってる野郎をだよ」 「なに言ってんだ、お前」 「とぼけんなよ」 「とぼけてねぇよ」 「楽翠の鬼塚をだよ」 坂本の頭は真っ白になった。 通学路のど真ん中に立ってただならぬ雰囲気で対峙する葛西と坂本に、同じ正道館の生徒達も何気に緊張の眼差しを向けている。 「殺しただと」 坂本は思わず葛西の胸倉を掴み上げた。 「殺しただと?アホな事言ってんじゃねぇよ」 「なに必死になってんだ。まさか楽翠に寝返ったとか言うんじゃないだろうな」 「関係ねぇだろ」 「これ以上、俺を失望させるなよ」 「いい加減にしろよ、葛西」 葛西は胸倉を掴んでいる坂本の手に手を重ねた。 「止まれねぇんだよ、もう」 重ねた手に力を込める。 「今更、止まれねぇだろ」 ミシミシっと骨が折れるほどに力が加わる。 坂本は痛みに顔を歪める事もなく、表情一つ変えなかった。 「お前は強い。俺が一番よく知ってる。お前はナンバーワンだよ。 だから、何があっても俺は変わらない。変わらないんだよ、葛西」 「それでも」 葛西は突き放すように坂本を離した。 「止まれねぇんだよ」 「葛西」 「もう行くな。いいな、野郎の所には行くな。でないと、今度は本気で殺すぜ」 ―それから数日後、葛西は前田に負けた― 暴走し続けた獣はようやく牙を休め、 何ひとつ失う事はなかった。 仲間も信頼も、そして親友も。 いつかのように彼の元を去る事はなかった。 そして・・・・・ あの日、病院で別れて以来、坂本が鬼塚の病室を訪れる事はなくなった。 何があったのかは分からない。 ただ突然姿を見せなくなり、鬼塚は退院の日を迎えた。 「二年の坂本でしたっけ?確か七組でっせ、鬼塚さん」 鬼塚は退院したその足で、『坂本』に逢うため学校に顔をのぞかせた。 二年の教室から坂本と名乗る生徒が、びくびくしながら姿を見せる。 「あ、あの、なにか」 鬼塚は絶句した。 色白で、瓶底メガネをかけ、背の低い、全く容貌の違う男。 「てめぇが坂本だと?」 思わず眉間に険悪な皺が寄る。 「そ、そうです。ぼ、ぼ、僕が坂本ですけど、あの、な、なにか」 「人違いだ。てめぇじゃねぇ。二年に坂本ってのが他にいるだろ」 「い、いえ。二年で坂本ってのは僕だけです」 「ふざけた事ぬかしてんじゃねぇ」 「何怒ってるんや、鬼塚さん。ほんまやで。二年に坂本ってのはこいつだけや。他にはいてへん。なんやねん。どないしたんやねん、いきなり」 「どういう事だ」 鬼塚は呆然と立ち尽くした。 確かに秘密のある奴だとは思っていた。だが嘘をついたり、騙したりといった卑劣な人間いには思えなかった。誠実で、お人好しで、憎めない野郎だった。 では、いったいアレは誰だったのか。 「誰なんだお前。どこに行ったんだよ」 鬼塚の呟きは絶望に変わる。 「坂本・・・・」 「寝ぼけてんなよ」 長い夢を見ていた。 葛西は重い頭を上げる。昔の夢だ 目の前には鬼塚。隣にはまだ眠りこけている薬師寺がいる。 「てめ、鬼塚。ああ、そうだったな。川島の野郎をぶっ倒すんだったな」 喫茶店COREのソファで一晩明かした四天王の四人である。 「寝ぼけんなよ。夢でも見てたのか」 「ああ、昔の夢だ。口うるせぇ親友がな、」 言いかけて葛西は口元に苦笑いを浮かべる。 たった四人で150名近くを相手にすると知ったら、坂本の奴、どれだけ激怒するだろうか。 想像しただけで楽しくなってしまった。 「なに笑ってんだよ。気色わりぃ」 「るせぇよ」 そのうち薬師寺が起き、前田が戻り、四人はサンシャインの地下へと向かう。 そこで、出会う。 鬼塚は再会する。 もう一度、出会う。
乱闘を終えた鬼塚の視界に飛び込んできた一人の男。 |