花よりもなお
喉が、からからに渇いていた。
最後にまともに休んだのは、もうどれくらい前のことだったか。ここしばらくは、ろくに水も飲めず、食事も取れず、追い立てられる獣のように走り通しだった。
実際、獣なのだろうとデュフォーは思う。連中にとって自分と清麿は、一個の人ではなく、ただの動物なのだ。それも少しばかり珍しい力を持っていて、連中からみれば、ぜひ捕らえて研究してみたい獣なのだろう。腹を割いて内臓を調べ、頭を開いて脳波を取り、透明なガラスケースに入れて電気を流す。そんな実験をしてみたいのだろう。デュフォーは自分たちを追ってきている連中が、どういう人間なのか、よくわかっていた。もはやこの程度のことでは、心を動かしもしない。
だが傍らの清麿は苦悩している。表情を取り繕ってはいるが、瞳を覗き込めば、隠し切れない苦痛と嘆きが見える。感情に疎い自分にすら読み取れるほどなのだから、清麿の苦しみは深いのだろう。かつての自分もそうだったのだろうか?今ではろくに、思い出せもしないが。
空を切る轟音が遠くに聞こえて、清麿がハッと身を起こした。ヘリだ。それに森の気配も変わった。殺気を隠しもしない侵入者たちに、デュフォーはわずかに唇をゆがめた。
「山狩りでもするつもりか」
低く、かすれた声で清麿がいう。そうだろうなと、デュフォーは頷いた。追い詰められているのはお互い様といったところか。連中もなりふり構わなくなってきている。
「……離れて正解だったな」
独り言のように、清麿が呟いた。連中に目をつけられ、追われる身になってから、清麿は全てと別れてしまった。家族とも、友人とも、故郷とも。はじめこそ、みなの手を借りて抗戦していたようだが、守りきることは難しかったのだろう。清麿には大切な人間が大勢いて、清麿を大切だと思う人間も大勢いるのだ。そして、清麿を追うような連中は、その隙を決して見逃さない。
デュフォーが清麿の身に起こったことに気づき、探し当てたとき、清麿はすでに独りだった。
かつて別れを告げたときに比べて、ずっと多くの傷を背負い、苦しみを体中に刻みながら、それでも清麿はデュフォーを拒んだ。「久しぶりにあえて嬉しいぜ。また今度、ゆっくりメシでも食おうな」それだけを清麿はいった。
だから、最終的に二人旅になったことは、清麿の本意ではないのだ。彼は振り切れなかっただけだ。清麿はその能力をフルに活用して、デュフォーをまこうとしたが、生粋のアンサートーカーを振り払うには一歩足りなかった。それは純粋に経験の差だった。物心ついた頃からアンサートーカーである自分と、少年期に覚醒し、戦闘の中でのみ力を利用してきた清麿とでは、同じ能力を持っていても慣れが違う。
近づいてくるヘリの音を聞きながら、清麿だけはと、デュフォーは思う。彼は怒るだろうが、デュフォーは初めからそのつもりだった。
「デュフォー、お前だけでも逃げられないか」
ゆるりと目を動かしてみれば、清麿が困ったように笑っていた。
「お前に何かあったら、ゼオンに合わせる顔がないからさ」
「……それは、オレの台詞だな」
わずかに頬をほころばせて、デュフォーは続けた。
「お前に何かあったら、オレはガッシュに何といっていいのかわからない。ゼオンにもだ。……だから清麿、お前はここにいろ」
「 ──── 駄目だ。ふざけるな、デュフォー。オレはそんなこと許さないからな」
ぐいと襟首を引っ張られて、清麿の顔が近づく。まだそんな力が残っていたのかと、驚くほど強い力で腕をつかまれた。
「駄目だ。誰かが犠牲になるなんて、オレは認めない。オレもお前も、生きて帰るんだ」
「……さっきといっていることが違っていないか」
オレ一人に逃げろといっただろうと矛盾をつけば、さらに清麿の眼が近づいた。
「茶化すなよ。お前がオレの考えていることがわかるように、オレだってお前の考えていることがわかるんだ。絶対に駄目だ、デュフォー。そんな真似は許さないからな」
清麿の眼をじっと見返して、それからそっと、襟首を掴んでいる手に触れる。指を一本一本解いていって、デュフォーはすっと清麿から離れた。お互いに無言で、清麿はただじっとデュフォーを見ている。
焼け付くような眼だ。鮮烈で、力強く、太陽を想わせる眼差しだ。……ガッシュも、同じ眼をしていた。
だからデュフォーは、清麿を守るのだ。清麿には生きていて欲しいと願うから。大勢の人間が、彼の帰りを待っていることも知っているから。この両手が焼け爛れても、太陽は守る。
幸いなことに、自分には帰りを待つ人もいないし、そもそも帰る場所もない。生きて帰るんだといわれても、どこに帰ればいいのかわからない。いや……、一つだけ、帰りたい場所はあるか。でもそこに行けないこともわかっている。だからいいのだ。
追い詰められた連中は、今度こそ確実に仕留めるために、戦力のほとんどをこの地に向けた。ここで大きな火花でも起こしてやれば、清麿に平穏を取り戻すことも可能だろう。ヘリも兵士も、銃もナイフも何もかもを巻き込んで、火柱を上げてやろう。それで、大方のケリはつくはずだ。
そう思い、わずかに意識を清麿からそらせた瞬間だった。
「駄目だっつってんだろうが、聞きやがれこの大バカ野郎!!」
がんっと体に衝撃が走る。殴られたのだと理解し、瞬いたときには、自分も清麿も地に膝をついていた。はあっ、はあっ、と清麿が荒い呼吸を繰り返す。
「…………無駄な体力を使うな」
「誰のっ、せいだ……っ!」
ぎっと睨まれる。その眼は疲労の色が濃くでていて、頬には泥がついている。着ている服だって、あちこち焦げたあとがあり、その下からのぞく肌には、汚れた包帯が巻きついている。
満身創痍だ。ボロボロじゃないか。
「なに……っ、笑ってんだよ…っ」
「……おまえの、怪我の手当てをしたい」
「ハア?」
「清潔な衣服に着替えさせて、栄養のある食事を取らせて、心置きなく眠らせてやりたい。……これが、“大事にしたい”ということなんだろう?……ゼオン以外で、こんな風に思うのは初めてだ」
「……そんなの、この先いくらだって増えるさ。お前の大事なものは、これからどんどん増えていくんだよ」
デュフォーは、やんわりと首を振った。
「もう十分だ。……今なら、あのときのゼオンの気持ちがわかるな。オレはもう十分だ。満足している。でもお前はこれからだ」
「ちがう!お前だってこれからだ!諦めるな、ここで終わりじゃない!オレもお前も、これからだ!」
清麿がそう叫んだ瞬間、デュフォーはすばやく身を起こした。清麿もさっと身構える。
連中が、近づいてきた。
「罠は張ってきた。あとはオレが行けば完成する」
「完成すればお前も死ぬんだろうが!!ゼオンにいわれた事を忘れたのか、あいつとの約束を破るのか!」
「お前を守って死ぬなら、ゼオンも納得する」
「んなわけあるか!!ふざけんな!オレがゼオンなら、一生引きずるぞ!お前を助けられなかったって、お前が苦しい時に、何もしてやれなかったって、そう思わせていいのか!」
そう言いあっている間にも、連中の気配が近づいてくる。ヘリの轟音が頭上に聞こえる。自分達を探す猟犬の足音を、肌で感じ取る。
「議論している時間はない、清麿」
「いま考えてる!」
「遅い!」
初めてデュフォーが声を荒げた。それでは遅すぎる。アンサートーカー、全ての答えを瞬時に導き出す者が、“考えて”なお答えを出せないなら、そこに道はないと判断すべきだ。そのくらい、清麿だってわかっているはずなのに!
デュフォーはとっさに清麿の腕を掴み、地面に引きずり倒した。その上を、銃弾が走っていく。木々がミシミシとうめき声をあげて倒れる。もはや迷っている暇はない。走り出そうとしたデュフォーの腕を、清麿が再び掴む。
「放せ!」
「駄目だ!」
その一秒が仇となった。
銃口が自分の足を捕らえ、引き金が引かれる瞬間を、デュフォーはたしかに知覚していた。だが、間に合わなかった。
「デュフォー!」
清麿の絶叫とともに、銃弾が膝下を突き抜けていく。デュフォーは木の枝を掴み、ハッと短い息をつくだけで、倒れ落ちかけた体を必死で支えた。ここで崩れてしまうことなどできない。
だがこの足で走れるか。いや、走らなくてはならない。“答え”を受け入れてしまうわけにはいかない。清麿だけは守ると決めたのだから。
(ゼオン ──── )
遠い場所にいる家族に願う。どうか力を貸してくれ。
(お前にもう一度会いたかった。オレのただ一人の家族。ただ一つ帰りたい場所)
でもいま、お前に二度と会えなくても構わないと思う。だって、清麿を死なせてしまったら、お前や、お前の大切なガッシュに、どんな顔をして会えばいいのかわからないから。だから二度と会えなくてもいい。
(清麿を守れたら、お前はきっと、オレを誇りに思ってくれるだろう。オレはそれを願う)
だからどうか、力を貸してくれ。
−後編−