悲鳴に振り返ったときには、友人の足は地面から離れていた。
足場の悪い傾斜地だった。数日の雨でたっぷりと水気を帯びたつる草が、ただでさえ狭く歩きにくい獣道に伸びだして、視界と足場の両方を塞いでいた。一行の責任者である教授は、十分に気をつけるよう、登山前にメンバー全員に注意していたが、悟飯はそれでも一抹の不安を抱いていた。
パオズ山育ちの自分や、フィールドワークで山慣れしている教授は、『十分に気をつければ』このくらい問題ないだろう。でも、ほかのゼミ仲間は?山登りの経験のない人もいるのに、あぶないんじゃないか……?
そう心配していたことが、逆によかったのかもしれない。ゼミ仲間の悲鳴に、真っ先に反応したのは悟飯だった。けれど悟飯が手を伸ばすよりも早く、友人の体はすでに宙に浮いていた。ほんの一瞬、まばたきよりも短いいっとき、悟飯は迷った。舞空術を使えば、自分も友人も怪我一つすることはないだろう。だけどここで空を飛べば、望まない騒ぎを起こすことになる。
結局、悟飯は手を伸ばし、重力に従って落下し始めていた友人の体を引きずり寄せ、その代償として自分の体を大地に叩きつけた。
ドジだねぇ、兄ちゃん。
そうしみじみ呟いたのは、さきほどまで見舞いに来ていた弟だ。亀仙流の胴着よりも薄い生地の検査着に着替えさせられ、消毒の匂いのする病室で、心もとない思いをしている兄に向かっての第一声がこれである。
昔はオムツの面倒まで見ていた弟に、哀れみの声でいわれてしまって、悟飯はひそかにこぶしを握りしめた。しかし言い返すことはできなかった。自分でも失敗したと思っていたのだ。
舞空術を使わない代わりに、自分の体ですべての衝撃を受けとめる ─── そこまではよかった。多少の衝撃など悟飯は幼少の頃から慣れていたし、ゼミ仲間を無傷で助けることもできた。ただ一つ、地面にたどり着くまでの間に、葉の生い茂る木々の間を通ることさえなければ、あるいはその状況を予想して避けるなりしていれば、今頃は家に帰ってレポートの続きに取り組めていたことだろう。
けれど現実に悟飯の身に起こったことといえば、こうだ。
落下する間に枝に引っかかれて細かく傷を負い、特にまぶたの上からも血を流していた悟飯に、助けられた友人の方がパニックになってしまい、駆けつけた教授たちも慌てふためいて、救急ヘリが呼ばれた。
搬送先の病院では全身の精密検査が行われ、“奇跡的に”軽症であると診断されたものの、様子見のため数日間は入院することが決定し、眼に近い傷だから動かさないようにと、目を開けるどころか、瞼をぴくりとも動かせないほどしっかりと包帯を巻かれた。
教授から連絡を受けた両親は、すっ飛んで、というか瞬間移動で駆けつけてくれた。救急ヘリという馴染みのない言葉が、相当ショックだったのだろう。孫家の辞書には怪我という言葉はあっても、病院や救急という言葉は基本的に存在しないのだ。しかし実際に顔を合わせると ── 悟飯は目を開けられなかったが、包帯の向こう側で ── 二人は拍子抜けしたようだった。
それはそうだろうと悟飯も思う。いくら病院の検査着に着替えて、眼の上を包帯で覆っているといっても、中身はピンピンしているのだ。幼少の頃からの数々の戦いで負った怪我を思えば、この程度の傷は、傷とも呼べないほど些細なものだ。
それでも、瞼の上に巻かれた包帯はわずかに不安を煽ったらしい。そっと手を伸ばして包帯に触れ、「ほんとに大丈夫なんけ?」と呟いた母親に、父親はあっけらかんといった。「じゃあ、オラが仙豆をもらってきてやるよ」と。そして言うなり軽く瞬間移動しようとした父親を、悟飯は慌てて引きとめた。
仙豆を使えるなら。もっといえば、自分たちが普通でないことがバレてもいいなら、初めからこんな事態に陥ってはいなかったのだ。
この点においては、父親よりも母親の方が理解が早かったらしい。「なんで?仙豆きらいだったか?それならデンデに頼んでやろうか?」と、またしてもかるーく瞬間移動しかけた父親の腕を、母親がぐいと引っ張り、入院の支度をするといって帰っていった。
そのあとに、入院道具一式の大荷物を持たされた悟天が見舞いを兼ねてやってきて、そしてしみじみと、兄の間の悪さを哀れんでいったのだ。
教授が手配してくれたのか、悟飯の部屋は個室だった。見舞いが許可された時間も過ぎて、味も量も物足りない病院食を食べ終えると、することもなくなってしまい、可動式のベッドの上で体を起こしたまま、ぼんやりと窓の方へ顔を向けた。
見えるわけではないが、すでに外が暗くなっているのはわかる。視界が閉ざされていても、気や空気の流れから、周囲の様子をイメージすることは可能だ。だから不自由はないのだけれど、ああでも、せめて眼以外の怪我だったら、レポートを片付けることができただろう。そう思うと、このぽっかりと空いた時間が、いやに惜しく感じられてしまう。……だからといって、仙豆や、デンデの力に頼ることはできないのだけど。
ふうっと、無意識のうちに出たため息に、悟飯は首を振った。そして ─── 馴染みのある気が、こちらへ近づいてきていることに気づいた。
「これは ──── 」
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