ホテルの電燈の一室で 前編
なんだって、こういうことになったのだろう。
「まあ飲め」
並々と注がれたコップを前にして、神谷はやや呆然としていた。
「いいのか?明日試合なんだろ?」
「少しなら問題ないだろう」
「ばれたらスキャンダ〜ル」
「ドイツ語が読めなかったんです、とでもいっとく」
本気なのかふざけているのかわからない会話が、コップを前に呆然とする神谷の頭の上を飛び交っている。
「・・・・・あの、岩上さん」
「どうかしたか?」
コップに口をつけない神谷に怪訝な顔で岩上が聞く。
だから言えなかった。なんで俺はここにいるんでしょうと聞きたかったが、聞けなかった。
(なんでだ・・・・?)
なんで、この狭い部屋の中三人で酒を飲むことになったのか、さっぱりわからない。
豹の名を持つイタリアにいるはずのGKと、高校サッカー界のキングと呼ばれる男の二人に強引に連れてこられて。わかっていることはそれだけ。
「もしかして、飲めないのか?」
「いえ・・・」
「飲めるよな?弱いけど」
「順司、自分を基準に考えるんじゃねーよ。お前ザルなんだから」
「神谷は本当に弱いんだよ」
そうです、弱いんですと心の中で呟いて続けた。
(帰っていいですか・・・・)
しかし財布も持たずにつれてこられた身としては、口に出せなかった。一人で帰ったら・・・
(迷う。絶対迷う・・・・)
今日は試合はなかったので、それぞれ観光やらお土産やらでの自由行動を取っていた。
神谷は少し疲れを感じていたこともあって、昼にはホテルに戻って惰眠をむさぼり、夕飯をくいに行って、さて部屋に戻ろうかとして・・・つかまったのだ。
草薙京悟と岩上さんに。
草薙がホテルのロビーにいるのを見たときは驚いた。でもそばに岩上さんがいたので納得して、会釈して通り過ぎようとしたとき。
ガシっと二の腕をつかまれた。
そしてそのまま引きずられて、タクシーを呼ばれて、唖然としている間に草薙が泊まっているホテルについてしまった。
こういうときに限ってロビーに誰もいなかったのだ。いつもしつこく誘ってくる一つ上の先輩さえ。
(あの、役立たず・・・!!)
普段なら口にしない言葉を心の中で罵って、やけになって酒をあおった。
「・・・・・おいしい」
驚いた。
やけになってあおったそれは、酒に疎い神谷でさえ分かるほどいい味だった。
「そーだろ、そーだろ。なんといっても俺の秘蔵の一本だからな」
嬉しそうに笑った草薙に、岩上が呆れた顔をした。
「お前の秘蔵の一本は、いったい何本あるんだ?この間もその前も言ってただろう」
「うわ順司、そういうこと言うか!?高校サッカー界のキングともあろう男が、慣れない場所で苦労しているだろうと気遣ってわざわざ会いにきてくれた友人に対して、そんな細かいことを言うなんて・・・・かれこれ400年の付き合いなのに」
「引く385年の腐れ縁だな。神谷、こいつの秘蔵の一本なんて山のようにあるから遠慮せず飲めよ」
「はあ・・・・」
飲め、といわれても明日は試合がある。自分が弱いことには自覚があったので、あまり飲まないでおこうと決めた。
用意よく、テーブルの上にはさきいかやら柿の種やら、どこで買ってきたのかわからない日本製のものが置かれていた。
それに手を伸ばして、覚悟を決めて神谷は聞いた。
「なんで、俺連れてきたんですか?」
もしかして、何か注意されることがあるのかもしれない。それで、気を遣ってここまでつれてきて話をしようということなのかもしれない。
だから、覚悟を決めてきいたのだ。
が。
聞かれた岩上は首を傾げてから、言った。
「面白そうだから」
「・・・・はっ?」
何を言われたのかわからなくて聞き返すと、いたって普通の顔で言われた。
「京と二人で飲むのは代わり映えしない。ちょうどよく神谷が通りかかって、こいつも乗り気だった。ので連れてきた」
アーユースタンダン?わかりましたか?
(わかるかぁ!!!)
てゆーかさ、それってつまりつまり、
「つまり暇つぶしですか・・・・?」
声に怨念が混じってしまったのは仕方ないことだ。覚悟を決めて聞かされた答えが「暇つぶし」・・・・!!
だが岩上は、神谷がなんで怒っているのかわかりませんといった顔である。
代わりに口を開いたのは草薙だった。
「神谷、あのな、こいつは周りが思っているほど常識家じゃない。むしろ無い。こいつなりの回路で動いている奴だから、言うだけ無駄なんだ。ちなみに俺も無いので諦めろ」
何か言おうとして、パクパクと口を動かすだけで終わった。
(諦めろっていわれてもなあ・・・・・)
もう、飲むしかない。飲んで飲んで、明日にはキレイさっぱり忘れよう。
先ほどの決心を心の片隅に追いやって、ビンに手を伸ばした。
「そういや、ルディ・エリックにあったぞ」
伸ばした手がビンにたどり着く前に、神谷は固まった。
(岩上さん・・・!!)
それは神谷への言葉ではなく、草薙に向けて言われた言葉だった。
それはつまり、ルディと草薙のいるチームが闘ったことをしっているということ。それなら草薙がなすすべなく抜かれたことも知っているだろうに。
恐る恐る、全く酔った色のない顔をうかがう。
そして、ほっと息を吐いた。
猫のような目をした男は、どこか面白がっているような顔のままだった。
「試合を見に行ったのか?」
「それもあるが、選考合宿のときに来たんだ。ラルフ・マテウス、ハンス・クーガーといっしょに」
「はあ?なにしに」
「神谷に会いに」
瞬間、アルコールが気管に入ってしまってむせ返った。
むせるのは辛い。アルコールだと最悪。神谷は地獄を1分くらい見た。
「おい、大丈夫か!?」
「ちが・・・ごほっ・・・・ちがいます・・・」
「落ち着け。水飲むか?」
差し出されたコップに首を振って、お礼代わりに頭を下げる。
草薙は困ったように笑って、涙目になっている神谷の背中をさすった。
「順司」
「悪かった。大丈夫か?」
咳が治まってきてからうなずいた。
「俺はてっきり神谷の友達で会いに来たんだと思ってたんだが、ちがうのか?」
たずねられて、言葉に詰まる。
友達ではない、と思う。別に嫌いなわけじゃないけど、友達といわれてしまうと抵抗があった。かといって知人と言い切れるほど浅い縁でもない。
「・・・・久保の、友人です。あいつ、前にドイツにいたから」
「ああ、それで。・・・・お前も大変だな、神谷」
「そんなことないですよ」
笑って首を振る。
「俺より、久保の10番を継いだ田中のほうが大変でしたから。それにユースでは楽させてもらってますし」
「加納がいるからな」
「それに岩上さんも」
顔を見合わせて、苦笑する。
お互いに、普段よりは肩の荷が軽いことは確かだった。
「・・・・・・二人で納得してないで欲しいんだけど」
見れば、草薙がすねた顔でじーっとみつめている。
「え?・・・・ええっと・・・草薙さん?」
「そもそもだな」
「はい」
「久保って誰」
・・・。
・・・・・・・。
カルチャーショック。異文化コミュニケーション。ああ、ノバのCMでやってたなあ。
草薙の質問は、ぐさっときた。今まで、サッカーを通じて知り合った人間で、久保のことを知らない人はいなかった。
知っているのが当たり前のように思っていた。
「・・・・知りませんか・・・・・?」
「知りません。いや聞いたことのあるよーな気もするけど、あるよーな、無いよーな、無いよーなだから」
「どっちだ」
「無い。前に順司に、聞いたことあるだろって言われた名前がそんなだった気がするけどな、はっきり言ってしらねえ」
「・・・・・おまえ日本にいなかったからなあ」
岩上はため息とともに言った。
「なに、そんなに有名?日本人なら誰でも知ってる有名人?」
「そんなにすごくはないですよ」
「ただ、日本でサッカーしていたら嫌でも耳に入ってくる名前だったな」
「だった?」
今は?と聞き返す草薙に、岩上が苦い顔をするのがわかって、神谷がいった。
「死にました。去年の夏に」
淡々と告げても草薙がすまなそうな顔をしなかったのが、ありがたかった。
「どんな奴?」
「どんなっていわれても・・・・・」
これほど言い方に困る馬鹿はいない。
素直に言えばただのサッカー馬鹿。プレイは一流、生活能力は三流以下。副将としてする羽目になった苦労は数え上げればきりが無い。
しかしそこまで素直に言うのは、さすがにためらわれた。
「・・・・サッカーは、すごかったですよ」
なので、一般的な評価でお茶を濁す。
雨のグラウンドでサッカーして、晴れ上がってでこぼこになった地面を体育教師に怒られたような奴でしたとはいえない。
「天才プレーヤーといわれていた。奇跡の掛川をつくった男だ」
岩上のその言葉に、初めて草薙の表情が変わった。
寝そべっていた豹が、不意に獰猛な笑みを見せるように。
「死んだのは、去年の夏だって?」
「ん?ああ」
「俺が掛川の奇跡を見たのは今年の冬だ。順司、言葉は正確に使えよ。死んだ男に奇跡はつくれない。つくれるのは、生きている奴だけだ」
「・・・・そうだな。悪い」
謝られて、慌てていった。
「どっちでもいいんですよ。似たようなもんですから」
久保でも、久保が死んだ後の掛川でも。
久保がそこに存在していることは確かだから。
「神谷」
薄茶色の髪をした男が、幼子をさとすような声で言った。
「言葉には心があるから、大切にしたほうがいい。自分のことを話すときは、なおさらな」
それは不思議な声だった。
自信と揶揄と傲慢さをこの男から拭い去ったら、こんな声になるのだと思うような。
不意に、何かを見抜かれた気がして、恐くなる。
「でもほんとに、似たようなもんです。久保の目指したサッカーが、うちの基盤だから」
だから笑って、酒を飲んだ。
久保の話をするのは、実は苦手だった。
誰もが、すまなそうに神谷を見るから。
「基盤はあっても作り上げるのは大変だろう?同じキャプテンとして、よくまとめていると感心する」
「止めてくださいよ、俺はたいしたことしてないんですから」
苦笑して、もう止めましょうと手を振る。
酒を飲むときにしたい話じゃあない。
自分がしているのはたいしたことじゃなくて、褒められたり慰められたりしていいことじゃない。
自分はただ、すべきことをしているだけだ。
だがかけられた声が、それを引きとめた。
「なあ」
真っ直ぐに見つめられて、心臓が嫌なリズムにはねる。
草薙の目が苦手だと、その時自覚した。
「なんでお前は自分を責めてるんだ?」
その言葉に見抜かれた何かを悟る。
青緑がかった虹彩の、目が、苦手だ。
言葉にしてはならないものを、引きずり出そうとするから。
ごめんなさい・・・続きます・・・・
キリリクで続くなんて・・・ごめんなさい、明里様(汗)
それと、リクエストは「ワールドユースに草薙君が遊びに来る話で京神」だったのに、ユースメンバー二人しか出てねえよ!しかも遊びにっていうか、酒飲みに・・・?
しかも久保神入って・・・・・いや、気にせんで下さい。
岩上さんがいっぱい出てるのは、きっぱり私の趣味です。
ごめんなさい。
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