5
交錯する視線、均衡する力。
凍りついた時間を動かしたのは、薬師寺の、喘ぐような息だった。
「……さか…もと?」
まさか、とその目が言っていた。
信じられないと、その顔が言っていた。
その声無き言葉を、坂本は一度見据えて、そしてなにもなかったかのように葛西に近づいた。
「馬鹿やろうっ!どうして」
どうして来たと言葉を吐き出す前に、坂本の手がそれをさえぎった。
自身の腹を押さえている葛西の手を掴んで、しゃがみこんでその傷口を確かめる。
顔色が変わった。
「……退くぞ」
「坂本っ!」
「退くっつってんだ!文句なら後で聞いてやる。こんな血ィ流しながら戦う気か?死にてえのか!!」
めったに本気で怒鳴ることのない男に胸倉を掴まれて、葛西は舌打ちしつつも頷いた。
どの道この状況では戦えない。知られてはならない情報を二つも相手に知らせてただ逃げるという、最悪の結果になってしまうとしても。
彼を、戦わせたくない。
「待てよ!」
葛西に肩を貸しながらその場を去ろうとした坂本を引き止めたのは、白の中でも一、2を争う、いや正確には白の中で最高の質の光を持つ男。
薬師寺が、両腕に白光を集めながら坂本を、そして葛西を睨みつけた。
「どういうことだ…!!」
白の光が、脅しかけるように輝きを増す。
「答えろよ坂本!どういうことだ!?どうして─── !」
責める口調は、不意に泣き出しそうな声に変わった。
「どうして、お前が生きてるんだ!?」
わずかな沈黙があった。
薬師寺はたまらなくなって、どうしていいかわからずに集めた光を消してしまう。
責めたいわけじゃなかった。喜びたかった。嬉しかった。本当に、生きていてくれて嬉しかった。そう言いたかった。けれど出てきたのは結局、責める言葉だけだった。
白の光を持つものは、それほど多いわけではない。それはもちろん、黒の光を持つものも同じだったけれど、彼らは人の心臓を喰らう力を持っていた。そんな力を持たない光人は、代わりに、お互いの光を感知することが出来た。
どれほど遠く離れていても、一度知った光ならば、目でもなく耳でもないなにかの感覚で探すことが出来る。
坂本が一番恐れたのは、その、光人特有の能力だった。
「正確には生きちゃいねえ、そうだろ?」
なにも言えなくなった薬師寺の肩に手を置いて、鬼塚は真っ直ぐに坂本を見た。
「ああ」
生きているのならば、坂本の白い炎が、鬼塚たちに感知できないはずがない。
今ここに立つ男は確かに坂本だけれど、その白炎は感じられなかった。
そう、ある日突然に、坂本の光が感じられなくなった。
坂本と鬼塚と薬師寺、もともと知りあいだったこともあって、光人の中でも三人でよく一緒にいた。けれど坂本はある日唐突に姿を消して、そしてその光さえ消えた。光が感じられなくなるというのは、すなわち、死んだということ。
薬師寺が必死になって探しても、その遺体さえ見つけられなかった。
当然だ、死んでなどいなかったのだから。
「説明しろよ!どういうことなんだよ!どうして…」
薬師寺の叫び声に、坂本は一度口を開きかけて、閉じた。
なにを言っていいのか、なにをいったらいいのか、謝ればいいのか、それともただその怒りを受け入れるべきなのか、わからなかった。
「答えは一つだろ。なあ葛西?」
代わりに口を開いた鬼塚は、揶揄する口調で言った。
けれどその目がまるで笑っていないことに、葛西は気づいていた。
「わかってんなら言わせんじゃねーよ、野暮な男だな。行くぞ坂本」
荒い息で、それでもふてぶてしく笑う姿に、坂本はため息一つついて肩を貸す。
その光景を、半ば呆然と見つめていた薬師寺の腕が、不意に白く輝きだした。
「──────── 喰ったのか?」
底冷えのする声だった。
そう、答えは一つしかない。坂本はもはや光人ではないのだ。黒の炎を持つ男に心臓を喰われた、黒き炎の下僕。
「喰ったのか…!坂本を、テメエの奴隷にしやがったのか!!」
主人の怒りに応えるように、白の炎がみるみる勢いを増していく。
闇人に心臓を喰われれば、その奴隷となるしかない。
なぜなら、喰われた心臓の代わりに闇人の黒の炎がその胸に入れられるからだ。その胸に黒の炎が燃えている間だけ、心臓を喰われた人間は生きていられる。
主に炎を与えられなければ、喰われた人は死ぬしかない。
「違う!違うんだ、薬師寺。これは俺が望んだことだ!俺の意志だ。俺は、葛西といきてえんだ」
その声が、感情まで侵せたのは、その言葉が、迷いの中で坂本が握っている数少ない真実だからだろう。
激昂にさえ、その声が水のように染み渡り、薬師寺はゆるゆると腕を下ろした。
「言おうか、迷った。二人にだけは正直に話そうと思ったこともあった。けど……薬師寺にも、鬼塚にも、守りてェものがあるだろ?光人でなきゃ守れねえ、守りてェものがある」
誰かの日常だったり、誰かの平穏だったり。白き炎の人でなければ、守れないものが彼らにはある。
「俺の欲しいもんは、こうしなけりゃ手に入らなかった。こうすることで手に入れられた。後悔はねえけど、二人と戦うことになんのがわかってたから、言えなかった」
白の光を持ったままでは見つかってしまう。闇人である葛西は、見つかれば捕らわれるか殺される。それでもともにいきたいと願った。
そして、泣き顔に近い笑顔で、坂本はいった。
「心配かけて悪かった」
そんな顔で謝られて、なおも責められるような奴はいない。
薬師寺が泣くのを堪えている笑い顔で、一歩坂本に向かって足を踏み出したとき、ぴちゃりと音がした。
葛西の脇腹から、血が滴っていた。
その音に、現実に引き戻される。
立っている場所を忘れて、坂本の傍へ行こうと踏み出した足が行き場を無くした。
もう、坂本は薬師寺にとって狩る相手でしかないのだ。
足を進めることも引っ込めることも出来ずに動けなくなった薬師寺を、鬼塚が乱暴に引っぱった。
「いくぞ」
「いくって…鬼塚」
「今日のところはいったん退く。俺は手負いだしお前は、戦えねえだろ」
死んだと思っていた友人が生きていた。それが立つ場所が変わり敵対する相手になっていても喜んでしまった薬師寺に、坂本と戦うことは出来ない。
それではハンターとして失格だ。
鬼塚の目に責める色はなかったが、薬師寺はつい目を逸らした。
「オイ」
傷の痛みを感じさせない、静かな顔で鬼塚は坂本に目を向けた。
「これが最初で最後だ」
「……ああ。そうだな」
ギリギリまで問い詰めれば、三人とも、この友人よりも大事なものがある。一番じゃなくても大切な友人は、それでも一番大事なものよりは劣ってしまうから。
次に会うときは、ただの、敵でしかない。友人だった記憶が、痛みに悲鳴をあげようとも。
こみ上げる恐怖を押し殺そうと、手をきつく握り締めた坂本の腕に、葛西が触れる。
さするように、宥めるように、触れてくるその掌が、ひどく優しかった。
人ではありえないスピードで薄暗い空の下を走り抜けながら、薬師寺が呟くようにいった。
「本気で、アイツとやりあう気かよ鬼塚。そんなこと出来んのか……?」
「出来る出来ねえの問題じゃねえ。やるしかねんだよ」
不機嫌に、それでも鬼塚ははっきりと答えた。
「けどよォ!…俺は…俺には……」
「それともおとなしく殺されてやるか?あの女はどうする」
びくりと、薬師寺の体が一瞬震える。
「坂本の言うとおりだ。俺もお前も、優先順位はとっくについてる。違うか?」
容赦ない言葉に、薬師寺は諦めたように首を振った。
「……そうだな…」
この手で守れるものなどほんのわずかな欠片にすぎないことを知ったときに、ハンターという人殺しの名を名乗る覚悟を決めた。
思い出が受ける傷も、積み重なる罪悪感も、彼女にはかえられない。
月一つない夜空にも、やがて朝の光が差し込む。
血に塗れた体でも、君が抱きしめてくれるなら、痛みすら幸福に変わる。
坂本、鬼塚、薬師寺の三人は友達です。友情です。深読みすると勘違いできなくもないので、一応注意を(笑)
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