春 2



(草薙さん・・・・か)
 声に出さずに、さっき知ったばかりの名を呼んでみる。
(覚えてねえんだろーな・・・・)
 自分を見ても顔色一つ変えなかったのだから。
 別に何か期待していたわけではないけれど、少しがっかりしたのも事実で。
 そう感じてしまう自分がまた嫌で、初めてのホームルームの真っ最中だというのに神谷は小さくため息をついた。



 新任の担任の熱弁も右から左に通り抜けるだけで、まるで意味をなさない。
 それよりもさっきクラスを覗いていった、平均身長より頭一個分はゆうに大きそうな男のことばかりちらついて、うんざりした。
 草薙という名前は、クラスメイトが大声で話していたのが聞こえて知ったのだ。
 どうやらあのふざけた男は、この学校ではずいぶん有名らしい。姿が見えなくなってから、クラスの中は蜂の巣をつついたような騒ぎだった。

 どうだっていいのだ、別に。
 強く手のひらに爪を立てて、思った。
 何しに来たのかしらないが、自分には関係のないことだ。
 帝光に入ったのは神谷の意志で、あの男に言われたからじゃないし、何か期待していたわけでもない。

 強く、祈りにも似た強さで思った。
 期待なんて絶対にしないと。
 それが裏切られても笑えるほど強くないから。



 ぼんやりとしていたら、いつのまにか帰りの挨拶になっていた。
 おざなりに礼をしてかばんを掴む。本当はサッカー部を見に行こうと思っていたけど、なんだか気乗りがしない。
 今日はもう帰ろうかと思って、ドアに向かったときだった。
「待ったあ!!神谷篤司ぃぃ!!」
 教室中に響き渡る声で名前をフルネームで呼ばれて、神谷は思わず振り返った。
 振り返れば、まだ名前も顔も覚えていないクラスメイトであっても一目瞭然。神谷篤司は俺ですといっているも同然。
 振り返るんじゃなかったと後悔しても後の祭りである。たいして存在感も無く過ごすはずの高校生活は、はなからつまずいたようだ。
 きっとこのクラスでみんなが、一番に神谷の名前を覚えた。
 視線が集まるのがわかって、自然顔が赤くなる。
 しかし大声で人の名前を呼んだ犯人らしいごつい顔の男は、全く気にしていないようだった。
「神谷篤司!あ、よかった、待っててくれたんだな」
「・・・・・・誰だよおまえ」
 待っていた覚えはこれっぽっちもない。
 男の顔に見覚えもない。
 加えていうなら、見知らぬ相手に名前を叫ばれる覚えもない。
 恥かしさとあいまってきつい目になったが、ごつくデカイ男は神谷の気持ちに気づく様子もなくデカイ声で言った。
「松木宏道だ。よろしくな、神谷」
「・・・・・よろしく」
「よし、じゃあ行くか!」
「ちょ、ちょっと待て、どこ行くんだよ!?」
 手を引っ張ってずんずん歩き出そうとする松木に慌ててストップをかけると、逆に不思議そうに聞き返された。
「サッカー部に入るんだろう?」
「まだ、決めたわけじゃねえよ・・・・って、何でおまえが知ってんだ!?」
「神谷は草薙さんの知り合いだろ?俺は草薙さんと中学が一緒だったんだ」
 その名前に、神谷は意表を突かれて黙り込む。
 あの男が、自分を覚えているはずはなかったのに、覚えていなくて当たり前だと納得したところだったのに。
 心のどこかで喜んでいる自分を嫌悪した。
「あの草薙さんが名前を覚えてるなんて、おまえ相当のサッカー馬鹿だろ?そうじゃなきゃ、担任の顔も覚えない草薙さんが、名前を口にするわけがない!」
 「どうだ、当たりだろ」と得意げに指差されても、神谷は黙ったままだった。
 硬い雰囲気を張り付かせて、つかまれていた腕を振り払う。ついさっきまでわずかに緩んでいた心の扉を固く閉めて、そのまま歩き出そうとする。
「おい、神谷!?」
 驚いてもう一度腕をつかもうとする松木の手を荒く振り払って、神谷はそのまま振り返らずに教室を出て行った。



「なんでだ!?何かまずいこといったか?」
 置いていかれて一人オーバーリアクションで叫ぶ松木の肩に、ぽんと手が置かれる。
「おおう!?」
「初めまして、松木くん。クラスメイトの田辺だけど、あんたもサッカー部はいるの?」
「入るぞ!うん?なんで俺の名前知ってるんだ?」
「そりゃあんだけ大声で叫んでたらねえ。俺も入るんで、よろしく」
 へらあと田辺が笑いかけると、松木の下がっていた気分が一気に浮上したらしい。
 嬉しそうに田辺の肩をバシバシと叩く。
「痛い、痛いって!」
「よろしくな!神谷も入るはずだから、三人仲良くやろう!!」
「あー、あいつ入るの?さっき嫌がら・・・・いや、断られてなかった?」
「入る!絶対に入る!!」
 どこからそんな自信が、と田辺は呆れていたが、松木には確信があった。

 あのいいかげんな先輩がわざわざ探していた男だから、入らないはずがだろう。
 という、担任の顔もクラスメイトの顔も、下手するとチームメイトの顔さえも覚えていなかった男の下で二年間苦労を味あわされた哀れな松木ならでは、確信だった。


 




 田辺登場。
 性格造ってます。田辺の性格なんてわかんないよ〜(泣)
 ちょっと松木が可愛く思えてきたりして。
 私も大声で神谷さんの名前を叫んでみたいです。


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