ナンバーone
「・・か・も・・さん・・坂・本さ・・ん」
頭上から降ってきた声に眠りにつき掛けていた坂本は重い瞼を上げた。
昼下がりの屋上。
秋の柔らかい陽射しがやけに眩しい。
フェンスにもたれてうたた寝していた坂本に、彼を最も良く慕う一年の二人組みが、遠慮がちに声をかけてきた。
「あの、坂本さん。今いいですか」
「ん、ああ、どうか、したのか」
まだ夢から覚め切らない虚ろな様子の坂本だったが、二人の口から『葛西』の名が出ると、身体を起こし、寝ぼけた頭を揺さぶり起こした。
「またか」
「はい」 坂本は額を押えて嘆息をつく。
「今度の相手はどこの誰だ」
「それが」
なぜか二人は口ごもる。
「その、四天王の一人です」
「四天王?悪いな、あまり詳しくねぇんだ」
「浅草、渋谷、吉祥寺の三人と葛西さんがそう呼ばれているそうです」
坂本は制服のポケットからタバコを取り出し、だるそうにくわえた。
「四天王ね。葛西はそう呼ばれるのが許せないんだろうな」
「みたいです」
「それで、最初の犠牲者はその三人のうちのどいつなんだ」
「渋谷の楽翠高校の鬼塚とかいう奴です」
「楽翠の鬼塚か。葛西が勝ったんだろ」
「勿論ですッ」
「そんな嬉しそうに答えるなって」
坂本は苦笑いを浮かべ、憂鬱と一緒にタバコの煙を空に向かって大きく吐き出した。
「四天王なんて呼ばれてるんだ、相手も相当強かったんだろ。葛西に怪我は?」
「ありません」
「そうか」
坂本は安堵する自分自身を今更ながらにバカだと思う。
「ただ、相手の野郎が相当ヤバくって」 「ひどいのか」
「勝敗は完全についてるのに、絶対に負けを認めない野郎で、あの様子だと恐らく肋骨が6,7本折れてると思います。右腕も妙な方向へ曲がってましたから骨折は間違いないかと」
「肋骨が6,7本だと!」
「はい。死んだんじゃないかって、びびってる連中もいたくらいですから。最後には相手が血ぃ吐いて気絶して、それでやっと葛西さんももういいかみたいな感じになって」
「・・・・・・・・・」
坂本は殆ど口をつける事なく短くなったタバコを揉み消し、立ち上がった。
「渋谷だったな」
「ええ、まさか行かれるんじゃ・・・」
「葛西には黙ってろよ、いいな」
「で、でも、坂本さん」
坂本は振り返りもせず、肩越しに手を上げ、屋上を後にした。
「そんでお前ら鬼塚さんがやれるのを、黙って見とったんかい」
救急車で都立病院に運ばれた鬼塚が処置室に入ってからもう随分と時間が経っていた。
待合室の喫煙コーナーには楽翠の主だった生徒達が暗鬱な表情でタバコを吹かしている。
「須原、おめぇはあの野郎の強さを見てねぇからそんな事が言えるんだ」
「ありゃ化け物だ。奴の強さを目の当たりにすりゃ同じ台詞は吐けねぇさ」
「それじゃ、見殺しも同じやないか」
「鬼塚さんは、俺らに被害が及ばねぇように、手ぇ出すなって言ってくれたんだよ」
「最後まで負けを認めなかった鬼塚さんの気持ちを、俺らが分からねぇとでも思ってんのか」
「せやかて・・・・・あんなボロボロになってんやで」 処置室の扉が開いた。
ベットに乗せられた鬼塚が看護婦に付き添われて運ばれてくる。
「鬼塚さん!」 顔のあちこちに固まった黒い血がまだこびりついていた。
真新しい白い包帯が痛々しく上半身を覆っている。局部麻酔だったのか、意識はあるようだった。
「よぉ、ザマァねぇぜ、まったく」
鬼塚は青紫色に腫れ上がった唇を、痛みに顔をしかめながら僅かに歪めた。
小太郎は大きな瞳に溢れんばかりの涙を浮かべている。
「お、鬼塚さん」
「泣くな、小太郎。みっともねぇ。誰も怪我はないか」
「ああ、鬼塚さんのお陰でな」
上山がそう言うと、鬼塚は安心したのか、疲れたように瞼を閉じた。
鬼塚はそのまま病室へ運ばれていく。
ガラの悪い学生が真っ昼間に病院をウロウロする訳には行かず、警察も動くだろうと判断し、上山は須原と小太郎だけを残し、他の者達は学校へ戻るよう指示した。
恐らく誰も正道館への報復など考えはしないだろう。
鬼塚自身がそれを望まない。
それが今まで傍若無人に振る舞ってきた鬼塚の、不器用な贖罪だった。
渋谷に降り立った坂本は、楽翠高校と思われるブレザーの生徒に鬼塚の入院先を聞き出していた。
正道館の青いガクランから私服に着替えると、坂本は至ってまともな人間に見える。
楽翠の者達も、声を掛けてきた坂本が正道館トップの親友などとは思いもしなかったのだろう。
素直に入院先を教えてくれた。かなりでかい病院で、場所もすぐに分かった。
「鬼塚さん?ああ、今日運ばれてきた高校生ですね。706号室ですよ。
ああ、それから、絶対安静ですので面会は特別ですよ。7時半まででお願いしますね」
受付の女性にそう言われ時計を見ると既に7時を回っていた。
エレベーターで7階まで上がった坂本は、病室の前で思わぬ声を聞いた。
須原と小太郎が、何やら上山と揉めている。
「警察が嗅ぎ回ってるんだ、お前らも今日はとりあえず帰れ」
「せやかて、鬼塚さんちって両親海外で、一人暮らしなんやで」
「そうですよ。誰かが付き添わないと」
「絶対安静の大怪我だが、生死に関わる事はないって医者も言ってただろ」
「そんな白状な」
「葛西って野郎は、前々から警察がマークしてるみたいでな、どうしようもねぇクズだ。鬼塚一人なら警察にもうまく答えるだろうが、俺らがちょろちょろしてると、鬼塚までヤバイんだよ。」
小太郎はちらりと鬼塚を見た。ぐっすりと眠っている。恐らくこのまま朝まで眠り続けるだろう。
「明日また、来ますから」
「わいも来るしな、ゆっくり養生しぃや」
返事はないと知りつつそう言い残し、二人はしぶしぶ上山と共に帰って行った。
坂本は三人が消えるのを確認し、静かに病室へと足を踏み入れた。
カーテンが引かれた奥の窓際が、鬼塚のベットである。
カーテンをくぐり、坂本は眠っている鬼塚をしばらく見詰めた。
四天王の一人なんて言うから、その名の通りもっと鬼のような厳めしい面を想像していたが、ベットに横たわる男は、意外に整った秀麗な顔立ちをしていた。
「アバラが7本か・・・・」
罪悪感の欠片もないだろう親友の代わりに、坂本は謝罪の意を込めて呟く。
左耳の金色のピアスにも血がこびりつき、鈍く光っている。
しばらくパイプ椅子に腰掛けたまま、眠り続ける鬼塚を黙って眺めていた坂本は、時計を目にして立ち上がった。
面会時間終了の7時半まであと数分もない。
音を立てず、静かに立ち去ろうした坂本は、だが突然その腕を掴まれ思わず声を上げそうになった。
「ッ!」
鬼塚がベットから腕を伸ばし、坂本の手首を掴んでいる。
「誰だ」
鬼塚は掠れた声でそう言い、見慣れない男を睨み付ける。
「見ねぇ顔だな。誰だ」
「・・・・二年の坂本だけど」
咄嗟に坂本はそう答えてしまった。やばいと思ったが、鬼塚は大して気にする様子もない。
「二年か、どうりで知らねぇ顔だ。他の連中はどうした」
「ああ、さっき帰ったよ。サツが動いてるとかで、大阪弁と軟弱そうなのがデカイのに引き摺られて帰っていった」
「大阪弁と軟弱そう?ああ、須原と小太郎か。デカイのは上山か」
「あ、ああ、そいつそいつ」
鬼塚は胡乱げに目の前の見慣れぬ男を凝視した。
小太郎の事はともかく、楽翠の生徒で上山くんを知らない奴などいない。
それに、いくらトップの座を追われたとはいえ、二年の分際で自分にタメ口をきく者など居る筈もなかった。
−誰ダ。コノ男ハ誰ダ−
だが、今の鬼塚に坂本の素性を追究する余力はない。
鬼塚は脇腹に走る鈍痛に喘ぐようにして、慎重に肺の空気を押し出した。
「絶対安静にしてなきゃなんないんだろ。無理するなよ」
「ああ」
「起こして悪かったな」
鬼塚は既に意識を手放し、浅い眠りについている。
「お大事にな」
小さく呟いて病室を出た坂本を、若い看護婦が呼び止めた。
「鬼塚さんのご友人の方?」
「いや、ええ、まぁ」
「これ、彼の荷物なんだけど、預ってもらっていい?」
「え、ああ、いや」
困惑顔の坂本に、看護婦は紙袋を手渡すと、別の看護婦に呼ばれ忙しそうに立ち去ってしまった。
「預ってって言われてもなぁ」
中をのぞくと、高そうなランチコートと制服のブレザー、シャツなどが入っていた。
どれも大量の血が滲んでいて、葛西との死闘の凄まじさを物語っていた。
「クリーニングくらい安いもんか」
病室に置いて帰ろうとも思ったが、坂本はひとつ溜息をついて、紙袋を抱えた。
「昨日、どこに行ってた」
いつも遅刻は当然の葛西が、今朝は珍しくまともな時間に登校してきた。
葛西は坂本の机に足を開いて座る。
「どこって、別にどこも」
「午後からいなかっただろ」
「気分悪かったから帰ったんだよ」
葛西は坂本の一瞬の動揺を見逃さなかった。だが気付かぬふりで話を続ける。
「昨日も勝ったぜ」
「聞いた。相手は渋谷の楽翠の奴だろ」
「ありゃ、アバラ7、8本はイッたな」
「あんまり調子に乗るなよ。警察も動いてるって噂だからな」
「ビビってんのか。心配すんなよ。俺より強ぇ奴なんていやしねぇよ」
やけに饒舌なのは昨日の喧嘩の余韻のせいだろう。葛西は凶暴に口端を上げて笑む。
「お前が強いのは充分知ってる。だからもう、」
坂本の肝心な言葉は始業のチャイムに遮られた。
葛西は昨日の勝利で機嫌がいいのか、珍しく一限目から授業に出るようである。
と言っても、教室にいて雑誌を読みふけるだけで、まともに授業を聞く気など毛頭ない。
窓際の一番奥の席に着き、両脚を机に投げ出してだらけている。
葛西の暴走を止められる者などこの世に存在するのだろうか。親友の尋常ならざる強さを目の当たりにする度に坂本はそう実感する。
「本当は誰かに止めてもらいたいんだろ」
呟きは喉の奥で苦々しく掠れて消えた。
[2]へいく? |